初めて山で遭難しかけた尼津彦です。
皆様おはようございます。
とはいっても生駒山なので遭難ってほど大袈裟ではないんですが。
行者堂から奥へと続く道を進みます。
不動明王と役行者の石像もありましたが、柵があったので立ち入ってません。
こんな倒木くぐったり
役行者像に見送られ
まだ余裕、余裕と思った矢先
これ下から見るとほぼ垂直に見えました。
鎖場は初体験なので登れるのか。
背中の普段使わない筋肉がミシミシいうのが聞こえるようです。
筋力は年々衰えているのに、体重はそのままなので、かなりキツイです。
あと5キロは体重落さないと今後ヤバそうですよ。
やっとのことで登り切ったと思ったら、さらにもう一か所
ちょっとへたりこみました。
一応足元は悪いですが迂回路があったのを後日知りました。
登った先が奥の院とのことでしたが
お堂などはなく、この場所が奥の院のようです。
尾根道を挟んで見下ろすと意味あり気な岩発見
修験道の山によくある西の覗きかと思い、覗いてみましたが、すぐ下が見えるので違うようでした。
実際の西の覗きは尾根道を進んだ表行場の突き当りにあったようですが、この時は下調べ不足で行けませんでした。
少し散策して、降りようと登ってきた道を???
どっから登ってきたっけ?
降りる方向はわかるんですが、降り口を見失いました。
少し降りてはまた登りを三度ほど繰り返し
ちょっと焦りかけましたが、スマホの電波も入るし、どれくらい時間がかかるかわからんけど尾根道歩けばどっかに出るのでなんとかなるかと一旦休憩
降り口方面を見下ろせる岩の上に腰を下ろします。
しばし尼津彦ワールド考えながら瞑想
役行者とか弘法大師とかが修行中に権現とか明王とか出現したりする話ってあるでしょ?
出現した仏さんとかからお告げみたいなんもらうアレです。
伝説ですから実際にそれらが出現するわけないんですよ。
出現という表現の他に「感得」という場合もあります。
「感得」とは字の如く「感じ得る」ことでしょう。
要するに、修行中に何かの真理に辿りつき、その真理を形として表現したものが出現した仏さんたちなんだと思うわけです。
こんなことばっかり書いていると、「尼津彦は夢がない」と言われそうですが、実際の出来事として考えることにロマンは感じていますよ。
でも、実際にそれらがドカ~ンと出現したら、それはそれで圧巻なので、空想ではイメージしていますよ。
この出現の有様をどのようにお伝えしたらいいかということを、瞑想しながら考えました。
頭の中の映像を実際に作成するのは無理。
画像にするにもしっくりこない。
ならば絵にしてみよう。
というわけで後日、メモ帳の裏に殴り描きしてみました。
滝壺から蔵王権現
池から善如竜王
拝殿から尼津彦
現実に戻ります。
しばしそんなことを考えた後、降りる決心がつきました。
降りるというより木の根っこ掴みながら滑り落ちました。
写真撮ってる余裕ないのでありませんが、沢まで降りて上を見上げると、鎖場が見えましたが、そちらに登り直すのも無理そうなので、少し歩きました。
行者さんの小屋にやっと辿りつきました。
翌日職場の山登リストにこのことを話すと、道がわからなくなった時は下に降りてはいけないそうです。
迷った時こそ上へ登るんだそうです。
なかなか出来ませんよね。
なんとか戻ってこられましたよ行者さん
計画ではこの後に表行場回って、山抜けて神感寺、慈光寺、枚岡神社奥宮と行くつもりでしたが、ズボンも泥だらけやし、気力的にいっぱいいっぱいだったので帰ることにしました。
帰るには早すぎて結局ひとつ寄り道しましたけどね。