冬将軍到来と聞くと厳しい将軍様を連想しますが、春将軍だとバカ殿を連想する尼津彦です。
皆様おはようございます。
国の天然記念物にもなっている杜若で有名な大田神社は上賀茂神社の境外摂社です。
摂社ですが、創建はこちらのほうが古いようです。
御祭神は上賀茂神社こと賀茂別雷神社と同じく賀茂別雷大神です。
賀茂別雷大神については諸説あって、丹塗り矢伝説のひとつなんですが、これがそれぞれ少しずつ違うんですね。
山城国風土記などでは玉依姫が川で拾ってきた丹塗り矢を持って帰ったら懐妊し、生まれた子供が賀茂別雷だとします。
他の文献ではその子供の父親が賀茂別雷とするものもあります。
これは解釈の違いで、祝宴の席で祖父の賀茂建角身命が「お前のお父さんにもこの酒をあげなさい」と言ったところその子供が矢を指さすと天に昇っていった。これが賀茂別雷神であるというんですよ。
現代語訳にした時点で解釈がずれていると思うのであえて主語を抜いて書きました。
原文では
「汝の父と思はむ人に此の酒を飮ましめよ」とのりたまへば、即て酒坏を擧げて、天に向きて祭らむと為ひ、屋の甍を分け穿ちて天に升りき。
乃ち、外祖父のみ名に因りて、可茂別雷命と號く。
謂はゆる丹塗矢は、乙訓の郡の社に坐せる火雷神なり。
天に升った(昇った)のが誰か主語がないので、前後関係から子供が主語と解釈するものが多いのですが、原文には句読点がないので
「可茂別雷命と號く謂はゆる丹塗矢は」と続けて読むことも可能です。
こうすることで、可茂別雷命とは丹塗矢であり、火雷神ということになり、天に昇ったのは丹塗矢であるともとれます。
ちなみに丹塗矢と玉依姫の間に生まれた子供は三毛入野命と言う名で、神武東征に同伴し、海上での暴風雨により命を落としております。
では賀茂別雷とはどなたのことか。
続きは明日の賀茂別雷神社で書くこととして大田神社の紹介に戻ります。
鳥居をくぐると空気が一変します。
鈍感な僕でさえ神域に入ったのに気づくほどでした。
仮に、パワーを発しているパワースポットが本当に存在するのなら、ここのパワーは本社の賀茂別雷神社より数段上だと思います。
丹波の籠神社と真名井神社との関係に通ずるものを感じました。
境内には末社がいくつかありますが、これは大田神社の末社であり、なおかつ賀茂別雷神社の末社でもあるそうです。
拝殿
拝殿内
本殿
末社
末社
境内から大田の小径というよさげな道が続きます。
賀茂別雷神社に続いているのかと思ったのですが逆方向に行ってしまうそうなのでやめました。
社務所には現在外出中と張り出されていたのですが、気づかずインターホン押してしまいました。
すると出かけようよしていた宮司さんに快く対応していただきました。
大田神社から賀茂別雷神社へ向かう途中にも末社がありました。
藤木神社とありますが後の古木は楠木でした。
この木を祀っているのではなく、御祭神は瀬織津姫さん
瀬織津姫については長くなりすぎるのでここではまともに触れませんが、天照大神の12人の妃のうちから中宮(正后)に選ばれた方で、父は桜大刀自(大山祇の祖)で子供が天忍穂耳です。
ここを過ぎれば上賀茂神社こと賀茂別雷神社が見えてまいります。
先日ネットニュースで熊本県で「天草八十八箇所霊場巡り」が復興されたようです。
他にも寺と神社の他にカトリック協会などでも御朱印をいただく巡礼企画もしているとか。。。
東寺公認だそうで、般若心経の後に『アーメン』と唱えるらしい。