チーバスはメキシコ人選手だけのクラブか
リーガMXのチーバス・グアダラハラは「設立以来、一度も外国人選手と契約したことがない」とされるクラブです。
より正確には、「
1906年にクラブ・デ・フットボル・ウニオンとして設立されてから2年間はフランス人選手などがいたが、1908年にCDグアダラハラと名称変更して外国人選手を排除した
」クラブです。フランス人の存在は青・赤・白のクラブカラーに残っています。
やはりバスク地方のアスレティック・ビルバオと同様に、外国人選手を受け入れるかどうか議論されており、また、
メキシコ人とは何ぞやという議論もあります
。
(北米一年間予算の多いチーバス)
メキシコ憲法によるメキシコ人の定義
メキシコ憲法による定義では、アメリカ出身でリーガMXでプレーしている下表の選手は、全員が「メキシコ人」ということになるみたい
。彼らは片親もしくは両親がメキシコ人であるため、出生地のアメリカ国籍に加えてメキシコ国籍を保持しています。
移民の国アメリカは、メキシコ系のハーキュリーズ・ゴメスをアメリカ代表に受け入れ、今ではファンに人気の選手となりました。メキシコ系アメリカ人の彼らは、ティフアナ、プエブラ、ティグレスなど、リーガMXのタイトルを争うような強豪クラブでプレーしていますが、チーバスは彼らの獲得を避け、チーム強化の機会をみすみす逃しています。
アメリカ代表のハーキュリーズ・ゴメスの例
2013年初頭には、ロサンゼルス出身のハーキュリーズ・ゴメスにチーバスが興味を抱いていると報じられました。ゴメスはアメリカA代表の選手ですが、メキシコ系であり、スペイン語読みではエルクレス・ゴメスとなります。結局、チーバスがゴメスを獲得することはありませんでした。
U-20アメリカ代表のオセグエダの例
2013年には、アメリカ出身のフアン・パブロ・オセグエダがチーバスU-20チームにローン移籍しました。
オセグエダは前年にU-20アメリカ代表としてU-20ワールドカップに出場しており、チーバスの選手としてふさわしいかどうか論争を呼びました
。
その際にチーバスは、「クラブの厳格な伝統を保つため、オセグエダは将来的なアメリカA代表入りを拒否するだろう」との声明を出して論争を鎮めようとしたようです。結局オセグエダはトップチームではプレーすることはなく、2013年末に退団しました。
U-23メキシコ代表のミゲル・ポンセの例
チーバスで80試合以上に出場した選手にミゲル・ポンセがいます。ポンセはU-23メキシコ代表としてロンドン五輪で金メダルを獲得した選手ですが、彼はアメリカ生まれで、カリフォルニア州の高校に通っていました。
ポンセはコパ・アメリカ2011にメキシコ代表として出場しましたが、メキシコサッカー協会はU-22世代を中心としたメンバーを送り込んでおり、A代表と定義できるかは疑わしいものでした。
アメリカA代表のユルゲン・クリンスマン監督がポンセの引き抜きに興味を示したため、チーバスは気が気ではなかったでしょう。ポンセは2013年7月のCONCACAFゴールドカップで完全なメキシコA代表の一員としてデビューしており、アメリカ代表入りの道は完全に消滅しました。
チーバスのメキシコ人観
オセグエダとポンセの事例をまとめると、チーバスはメキシコ憲法によるメキシコ人の定義に加え、アメリカ代表ではなくメキシコ代表を選択するかどうか、つまり本人がメキシコ人としての意識を持っているかどうかを重要視しているようです。
メキシコ憲法が定めるメキシコ人であっても、アメリカ代表を選択した選手の獲得、アメリカ代表を選択する選手の在籍には否定的なようです。
(ミゲル・ポンセ)
チーバスとアスレティックの自国人観の比較
アスレティック・ビルバオで類似の例を探してみると、バルセロナ出身で両親がバスク人とされるエンリク・サボリ(Enric Saborit)は、オセグエダの例と似ているかもしれません。
(エンリク・サボリ)
ビルバオ出身だが両親ともバスク人ではないとされるイニャキ・ウィリアムズ(Iñaki Williams)は、比較事例を探せませんでした。メキシコ出身だが両親がガーナ人なんて選手がいても、チーバスには加入すらできないのかも。
(イニャキ・ウィリアムズ)
まとめ?
バスク人の定義について寛容さを増しているアスレティックに比べると、チーバスのほうがいくらか「哲学」に厳格であるといえるかもしれません。浦和レッズのJapanese Only事件がきっかけでチーバスのメキシコ人観について気になったのですが、深みにはまりそうです。
以下がまとめです。私の認識間違い、矛盾点などがあったらコメントを頂けると幸いです。