そうなんですよ、何にしたって、ですね、車でもバイクでも、例え女の子でもですね、一直線に私のとこへ飛んでくるからには、当然、どっちもが、「よっしゃ、あんたがドストライクやッ!」てえ具合になってるわけで、そこにあんまり間違いたッ!っとか、ヘタこいたッ!っとか、無いわけですよ。女の子が人の妻だったりすりゃあ、そこは ブレーキがちゃんと掛かりますんで・・・。勿論、ベンチレーテッドの耐熱ディスクブレーキパッド付でね。

 VTR250Fで色んな人がインプレッション動画を出してますが、大男には窮屈だって以外、誰も悪くは言ってないですし、ちょっとそこの空き地で走ってみましたが、フロントのショックがちょっとごつごつしてるかなくらいで、いや、これにしたって走ってるうちにきっとなじんでくるでしょう。クルマのショックみたいにね。ここはバイク屋さんが納車前に新品交換してましたから・・・。

 早速、マニアックな仕組みのオイルエレメント&オイルも自分で交換しちゃって、ついでにエアインテークのエレメントパック&リテーナセットも発注しました。

 250ccV型(90度)2気筒という少し大きめのエンジンがコンパクトな車体に収まっている。しかも2015年式なのに錆一つ出ていない美しさ・・・。体小さい私でも足がついて馬力にも他の運動性能にも秀でている一台・・・。見つけたその場で購入決定してました。HONDAのエンジニアが知恵を絞って、YAMAHAの2サイクルに対抗した傑作4ストローク機です。

 

母を失ってから、もう、この私自身にも残された時間がそう、多くはないのだと実感させられました。近いところでは母の弟である私の叔父は71でこの世を去りましたし、私の父も74で他界してしまっています。現在は元気すぎる程元気な私ですが、どこからどう、終わりの時がやってくるか分かりません。今年で70になるんです。

 そこで前々から考えてはいた、「私のエッセイ集」=私の生きた証し・・・を早く完成させねばならないと、焦り始めているのです。エッセイ集と言ってもその内容は、このブログの中にある内容を上手に手際よくスマートにクールに、かっこよくまとめて編集して束ねてくくってしまえばそれでよい話ではありますが・・・。

 あとは、おおきな老後の挑戦として、また、死後の世界の天国ロードをスーパーバイクで自在に駆け回る事を目指して、バイクの免許取得の為に自動車学校へ通わなくてはなりません。200キロ近い重量のバイクを操って10メートル以上もある、幅30センチの一本橋をうまく渡れる自信は皆無ですが、自信がないからこその挑戦なので、ここは一丁、自分の要求に従って、頑張ってみようと思います、

 弟は名古屋から急遽帰ってきて、後の事はすべてやってくれました。ただ、火葬場が混んでいて、おおよそ一週間母は式場の安置室で眠っておられました。母には遺言も何もありはしませんでしたが、趣味の短歌で、すでに4冊の本を残していましたし、私達には覚悟しておくのに十分な時間がありました。すぐそばにいて数年の闘病生活を共にした私にも何も後悔が残らない、素晴らしい往生の姿だったと思います。

 人間は生きているうちに、自分の頭に何を形成するのか・・・が全てだと思います。若い時からこのことに注意して独自のものを打ち立てられればいいのですが・・・。いや、所詮、自分独自の世界なんて、求めることに無理があるのかも知れません。だって、この世の誰も、生粋の独自性を保てる人などいないのですし・・・。 根っからの独自性を求めるのなら、最初っからその人は、ご自分の独自の言語でものを考え、独自の方法で表現し、独自の方法で維持していなければならないでしょうから、結局、実際に私たちの思考する事は何であれ、生まれた時から慣れ親しんだ言語の表現範囲を超えないですし、そうである以上、何を考えても、それはきっと、どこかで誰がが考えたか、もしくはこれから考える事に過ぎないでしょう。

 考えてみれば、この厳然たる事実あればこその救いではありますが・・・。これあればこそ、人はより高みを目指していけるるんですし、要はすべては相対性(関係性)の中にあるって事なんでしょう。ただ、そんな中でも忘れてはならない事があるとすれば、それが、言語とか、表現とかを超えた直観の世界、この世界での可能性の事だと思います。

 ポータブルトイレを設置する前に、一応、病院の急患で受診は受けていましたが、母の状況が状況でしたし、大病院の急患あるあるで、ひとまず帰って、様子を観て、もう一度、今度は専門医に観てもらいましょうと言われ、とりあえずの「急性虚血性大腸炎」の疑い・・・でまた自宅に帰っていたのでした。この大腸炎とOー157の食中毒は症状が酷似しているため、見極めは難しかったと、あとで担当医に言われました。ただ、診断にくらべ、私の症状が少しきついので、おかしいなとは思っていたと言います。

 三日目の昼、かろうじて目を覚ましていた私に母のいる病院から緊急の呼び出しがありました。私は自分の病状を説明し、そこへ駆けつけるのには時間が掛かるかも知れないと説明し、まずは親戚のおばさんに病院へ向かってもらいました。自分はとても車の運転をしても良い状態ではなかったですが、もう、それこそ命がけで、やけのやんぱちで、ふらふらしながら、事故だけしないよう、祈りながら、病院へ向かったような始末でした。

 私はたった10分、間に合いませんでした。倒れそうになりながら、弟が駆けつけるまでの処の段取りをし、そのまま車で10分の市立病院に入ってばたんと倒れ込んだ感じでした。(つづく)