この度、ようやく、これが私の音でありますと断言できるところへたどり着いた感があったので
自分の部屋を「カテドラル」と名付け、JAZZ喫茶として認可致しました。
私にとってのJAZZ喫茶ですが・・・ちょっと考えて次のような条件を満たしている必要がありそうです。
1.お隣さん等に何の気兼ねなく、好きな音量で音楽が鳴っている事。
2,部屋に入って30分以内に、その音に依って精神が桃源郷に浮遊できる状態になれる事。
まあ、大体、この2点がかなえられておれば、私として、そこはJAZZ喫茶を名乗って貰ってもよろしい場所かと思います。
で、そもそも、何でJAZZが気持ちよいのかというお話なんですけれども、私なりの言い方を致しますならば、そこには日常にない「必然の美」が漂っているから・・・という事が出来ます。ちょっと、考えてみて頂ければお分かりになるかと思いますが、我々の日常というものを俯瞰しますに、ここはまさにこうでなければならない必然に満ちていると感じる時間と言うのがどのくらいあるでしょうか?全く、そんなきっぱりとした、心地よい、爽やかな、いとうしい時間などというものは、そうそうありはしません。よね?でもJAZZにはそれが有るのでございます。はい。
いえ、むしろ、そのいとうしい必然があるんだと気づくというところにJAZZへの覚醒が有るのでございまして・・・・。ええ、ですから、人がJAZZ好きになるってえのは、それこそ、一瞬の事件なのでして、これ、あらゆる偶然が合致する交通事故と同じで、言葉を換えればある時、いきなり花粉症になっちまった・・・というのと変わらん事件なのでございます。
それまでは、あの、一聴して出鱈目な(基地外の様な)音の奔流としか聞こえなかったものが、え?、気が付いてみればなんだか、例えようもない美しい必然の音律の大洪水・・・っと感じられてしまう一瞬が訪れるって事を意味するのであります。
だから。これ、立派な覚醒なのであります。