3/25に「避難所の方々を移動させない理由」を書きましたが、疑問が消えないので


続編を書きたくなりました。


いまだに20万人以上の被災者の方々が避難所で苦しんでおられる現状。


何故国は、市町村は、強制的に公営でも民間でもいいから今ある施設に移動させて


手厚くみんなで守ろうとしないのでしょうか?


今、避難所にいる方々の状況を例えれば


「普通に住んでいたら自宅にいきなり大型トラックが突っ込んできて、家も家族も大切な


家財道具も、何もかんも吹き飛ばされて何とか生き残ることが出来た人達」じゃないんでしょうか?


駆け付けた消防隊員に取り敢えずタンカで現場から少し離れた場所に移動してもらったけど、


自分では動けないほど怪我をしている、もしくは高齢者、もしくは子供、もしくは身体が不自由


などその弱者に対して、「病院に行かれますか?」って救急車の消防団員が聞きますか?


「強制ではなくあくまでも希望される方には・・・」なんて説明しますか?


今の避難所の状態は、突っ込んできた大型トラックのせいで壊れた家のそばでタンカに乗せられた


まま、また車が突っ込んでくるかもしれない危険な場所で支援物資を送って医者を呼んできて、


援助しているようなもんです。



そんな時は当たり前に


「本人の意思に反しても病院に搬送するでしょ。」



極論なので反感をかわれるかもしれませんが、本気でそう思います。




では移動出来ない理由を考えてみます。


町を離れると仕事を失ってしまう。→働ける元気な人は残って下さい。


子供の学校はどうする?→少子化で合併やクラス数は減少してます。受け入れられない理由は

無いと思います。


家族が離れ離れになる→勿論辛いことですが一時的な避難と考えれば。。


がれきの片づけなど復興の手伝いをしたい→元気な人は頑張って下さい。



行方不明の家族を探したい→    このお気持ちが一番大きな理由なのではないでしょうか?



お気持ちはわかります。先日祖母が亡くなり葬儀で多くの花をたむけられて旅立った姿を見て、


本当に祖母は幸せ者だなと思い、それにひきかえ被災され家族が見当たらない、そして火葬が


まだ出来ていない方々の心情を思うと涙が出ます。


ただ、説明して理解してもらうしかありません。



「今皆さんが安全な場所に一時的に避難してもらったら、救援物資の搬送や食事、


お風呂、トイレなどのお世話をする人手を全て行方不明の方々を見つける為に


全力をつぎ込めるんです。」と。



民間人には出来ない特別な活動能力を有している10万人規模の自衛隊と米国を筆頭とする


各国の救助隊の皆さんの実力を、最大限効果的に生かすにはそれが最善策だと思えます。


食事やトイレなどのお世話は一般の民間人が充分お手伝い出来ることです。



そして重要なのは避難所にいる方々の移動に対する不安を取り除いてあげることだと思います。



移動しても本当に生活が出来るのか?


国が、受け入れる自治体が、ボランティアが責任を持って守らなくてはなりません。



それを固く固く約束してあげないダメです。



そして「日本は一つ」と言うのならば全ての被災者の方々が、本当の安住の地に住めるように


なるまで、最後の最後まで支え続けることを誓うことです。


心のケアも大事です。間違っても差別なんてことが発生することは許されません。


そして介護したり世話をする人材も、国が援助して避難所の方々を一時的に雇用して


ヘルパーさんとして活躍してもらいましょう。




ダメなんですかねぇ。。


政治のことなんかを書くことなんて無いと思っていましたが


地方選が始まったことで触発されたのかついついボヤキたくなりました。


谷垣さんが菅首相の内閣入り要請を断って少し物議をかもしたようですが、


デフレスパイラル、失業率アップ、就職氷河期、円高、財政超赤字、


守られないマニフェスト、普天間基地移設、ねじれ国会、その他諸々


数えればきりが無く、山積みになった問題を抱えた状況で日本にとどめを


刺すかのような、今回の東日本大震災。


日本が立ち上がるのは非常に厳しく難しいことだと思います。


やはり政治家の皆さんが頑張って日本が進むべき道を明確に示していただかないと


困ります。


でも、間接民主制の日本では直接、国の指導者を指名して選ぶことは出来ません。


大阪在住である私の回りは橋下知事率いる「大阪維新の会」の風が吹き荒れて


います。


起訴されてもしかすると犯罪者になる可能性だってある人相の悪い、はっきり言って


悪党顔の小沢さんが多くの方に支持される理由と共通する点は、圧倒的なリーダー


シップを持った人に国民は引っ張って欲しいって思ってるところです。


少々物言いが乱暴でも、人相が悪くても、もっと言えば悪党でも何でもいいんです。


とにかく強い強い強烈なリーダーを求めているんだと思います。


劇場型政治と言われて今も人気があり影響力も大きな小泉元総理の時代を、


国民は懐かしく思えるのでしょう。(是非は別にして)


それに比較される地味な菅さんは少々気の毒のような気もしますが。。


本題ですが、



政界再編しないと国民は選挙で選ぶ政党がありません。



一部の左側の人や宗教の方を除くと1票を投じる政党がありません。


だから谷垣さんの自民党はこの大震災をきっかけに民主党と大連立を組むべきです。


そして渡辺さんも増添さんも亀井さんも平沼さんも田中さんも(福島さんと鈴木さんは?)


みんな一緒になって大大連立を組めばいいのにって本気で思います。


大連立を組んだ勢いでそれぞれの党を解党して、新たにとりあえず暫定的な


「今こそ団結して日本の危機を救うぞ党」を作ればいいんです。


結構内閣の顔ぶれを想像すると「プッ」と吹き出してしまう顔ぶれが浮かびます。


そしてこのたび勃発した東日本大震災の復興と原発問題を全力で英知と経験と


外交力と日本が持ちうるもの全てを結集して難局を乗り越えます。


かやくご飯とチャーハンをフライパンで炒めたようなゴチャゴチャ政党ですから、事態が


落ち着いてくると必ずもめ始めるでしょう。望むところです。


そこでやっと「政界再編」です。二大政党なのか、はたまたいくつの政党に分かれるか


解りませんが、それぞれの思想とマニフェストを掲げて総選挙です。


衆議院と参議院と同時にやらないとねじれるからダメです。


そして主権者である国民が選ぶんです。その時選ぶ政党がないようならそれこそ


日本は終わりでしょうけどね。


だから、自民党が「解散、解散」ってうるさく言っても菅さんは聞く耳持たないようでしたし、


今解散なんかしたって選びようがないんだから意味がないんです。間違っても自民党に


入れる気にはなりません。


菅さんの評価が低いですけど、「あっそう、みぞうゆうって読まないの?」さんとか


「私はあなたとは違うんです!」さんが総理だった時よりマシな気がするんですけど。。




ともかく、この大震災が「災い転じて福となす」となる可能性があるように思えます。


是非とも、「大大大連立」を組んで新党を結成して力を合わせて日本の危機を救って欲しいと


思います。


そしてその後、堂々と旗を掲げて衆参同時選挙をやって、本当の意味の間接民主制の選挙を


実施して欲しいと、切に思います。


そうしたいと思っている国会議員の方々も多いんじゃないですか?


日本の将来、子供たちの将来に夢と希望を与えるような、そんな期待を込めて


大切な1票を投じることが出来る政党が現れればいいなぁって


本気で思います。



とにかく国会議員を全員シャッフルして、共通する政策と志を


持った人達による政党を造り直さないと


選挙やったって     選べない!



ってことです。













押し競饅頭社会を今日こそ分かり易くご説明したいと思います。

それは一言で申し上げますと、「過疎地を捨てる」

ってことです。


申し訳ないですが多くの方々に「故郷を捨ててもらう」

ってことです。


「生まれ育った先祖代々の土地を

離れるわけにゃーいけねぇ!

馬鹿言うんじゃねー!」


ってお叱りを受けるでしょうが、日本がこれから生き延びる手段の一つとしては

絶対に必要な決断になると思います。


人口がどんどん減少して、65歳以上の高齢者が人口の半分近くになって

労働力が今のまま減少一途なら間違いなく日本崩壊ですよね。

だからみんな寄り添って助け合って生きるんです。


日本全体の人口は減少するでしょうが、それぞれの地方都市の人口を増やすのです。

今後10年から20年の時間をかけて徐々にですが、都道府県の主要都市に過疎化が

進む町から人を移動させます。

そうすると少子高齢化による人口の減少や労働力不足が軽減されると思うのです。


アメリカが戦争を繰り返して莫大な軍事費を費やしても、世界一の経済大国を保てるのは

人口の増加が要因であると聞いたことがあります。

年間100万人近い人口の増加がある為に消費が生まれ続け経済が保たれるのです。


移民をどんどん受け入れる多国籍国家ではない日本が、米国のマネは決して出来ません。

島国根性丸出しの閉鎖的な鎖国政策継続中の日本には、おそらく無理です。


だったら日本国内で都市を選択してこれから20年先にむけてのマスタープランをしっかり計画して

、みんなで寄り添って助け合って生きる方法を模索するべきだと思います。


私は子供の頃、九州から大阪に出てきた両親の間に生まれました。

決して裕福と言える家庭ではなく小さな頃は共同住宅に住んでいました。

「アパート」とか「文化住宅」と言われる住まいです。


何が文化的なのか良く解りませんが、小さい頃の記憶に残っているその時代は、

20組ぐらいの家族が確実に寄り添って助け合って生きていました。


醤油が、味噌が、お米がきれればお隣に借りに行きました。

みんな生活厳しいのに快く貸してくれました。

親に怒られて外に放り出されて泣いていると、必ず向こう隣りのおばあちゃんが慰めてくれて

家の中に入れてくれました。


狭いし暗いし汗臭いかもしれないけど、みんな楽しく笑顔で生きていたように思います。

まるで押し競饅頭をしているかのように。

その頃に戻るんです。


インフラが整備され、交通の便が良く、環境も良かったら最高だけど医療施設が充実していて

安心してみんなが助け合って寄り添って生きていける都市を、都道府県で投票して選んで、

そこに集まって住むんです。


離れて住むと物を運ぶのに高いコストが必要になります。電気、水道、ガスを供給するにも

広範囲に効率悪く維持しなければならない為に、これまた高コストになります。


去年登った富士山の9、5合目のカップ麺は1,000円でした。レトルトカレーも1,000円で

家族4人が腹ペコで全員がカップ麺とカレーを食べたら8,000円もかかりました。


この理屈です。運ぶのが大変だから、大量に運べないから値段も高くなるんです。


だったら富士山には住めないですよね。レジャーや趣味で登ることはあっても住める

もんじゃありません。


これからの過疎地で住むってことが、確実にこれと同じことになると思うのです。

ならないとすれば国が支えないといけません。国が支えるってことは税金です。

税金しかありません。税金を払うのは我々働く日本人です。


税金によって過疎地のおじいちゃん、おばあちゃんを支える為に汗水流して働くことが嫌なのでは

なくて、近くにいてくれればみんなで助けあえるし税金も効果的に使えるでしょってことなんです。


1,000円あればカップ麺じゃなくて、回転寿司で7皿とうどんを食べてもおつりがあります。


過疎地を捨てれば役場も郵便局もいならいし、ライフラインや道路も維持する必要がなくなります。

街灯や信号の電気代もいらないし、当然公務員もいらないし議員さんもいらなくなります。


そして孤独死もなくなります。


過疎地にいればおじいちゃんおばあちゃんの活躍の場はありません。

でも子供たちがたくさんいる町では、生きがいになる仕事だって出来るはずです。


大震災で復興する町は限定するべきです。全てを元に戻すなんてことをしてはいけません。


漁業の町は必要最低限の堅牢な建築物しか造ってはダメです。


安易に元に戻そうなんてしたら、不幸に不幸を重ねることになります。


思い切って故郷を捨てて、新たに寄り添って助け合える町に移り住んで力を発揮するべきです。


そして子供達に、孫達に新しい場所が故郷になるように頑張ればいいんです。


私には故郷と呼べる場所はありませんが、大阪が故郷と思っています。

両親は健在ですし今は故郷の九州に戻っていますが、私の故郷は九州ではなく大阪です。


だから辛く悲しく寂しいことでしょうが、子孫の為に故郷を捨ててもらいたいのです。


そして何度も繰り返しますが、


押し競饅頭のようにみんなで生きるのです。






今日こそ分かり易くと思いましたが、難しかったです。


すみません。



何となくご理解いただけましたでしょうか?


もう少し頭を整理して、分かり易くご説明できるようになってから

再度機会があれば書きたいと思います。



みんなで寄り添って助けあう社会=押し競饅頭社会です。








私も不動産に携わるお仕事を
少しばかりやらせてもらってますので、これからの

不動産の動向を予測する時に、日本の将来を考えることがあります。


世界一の長寿国日本は、平成16年をピークに人口が減少する国となり、

世界でも類を見ない少子高齢化社会へと進んでいきます


大震災が発生したから思いついたわけではないのですが、日本がこれから

どんな社会になれば国民皆が助け合い、励ましあって生きていけるのかを

考え抜いてたどり着いた答えは・・・


「押し競饅頭社会」です。

                    おしくらまんじゅう→http://bit.ly/h8pqmh


以前から考えていたことで、とてつもなく長くなりそうですから、出来るだけ短く

概略だけにしたいと思います。


分かり易く説明しますと、子供の頃、寒い日に皆が運動場に集まって

「おしくらまんじゅう」をして体を温め合いましたよね。


皆が集まって、皆で動いて、皆で楽しく笑いながら温め合うんです。


これからの日本は、そんな社会を目指す必要があると思います。


少子高齢化により地方の過疎化は深刻になっています。どんどん進行します。

隣近所が町へ引っ越していったりお亡くなりになったりして、誰もいなくなった

田舎でおじいちゃん、おばあちゃんがポツンと住んでいます。


これからは村の平均年齢が70歳以上なんてのは当たり前になります。

先祖代々住み続けた場所だから離れたくないし、都会に出て行った子供達に

面倒もかけたくない。


地方の農村、山間部の村、交通の便の悪い猟師町などは特にそんな

おじいちゃん、おばあちゃんだらけになります。


当然にライフラインを維持する、食料を運ぶ、生活用品を運ぶ、郵便物を届ける、

安否確認をする、ヘルパーさんが世話をする、お医者さんが巡回する・・・etc


残念ながら非常にコストがかかります。維持することが大変なことになります。


そして何より心配なのは    死んでも誰も気づかない    


可能性が高くなります。



そんな社会に既になり始めています。



だから「押し競饅頭社会」なのです。



皆が集まって動いて温め合うんです。寒さを凌ぐんです。


そして何より     楽しく笑いながら   です。




分かり易く説明しますと、書き出しながらこれで終わると何がなんだか


分かりませんよね。



今日は大阪市西区→箕面市→東住吉区と現場を回って少々疲れました。


明日、続きを書きたいと思います。





最後に猫ピンチの写真をご覧ください。




メイアイヘルプユー?







メイアイヘルプユー?






メイアイヘルプユー?



この後、私は何とか助けることが出来ないかと携帯をポケットにしまって脚立を

立てて、と思いましたが何せ2階の窓ですから届きません。


猫は頑張って左足で窓をこじ開けて何とか着地して窓の中に消えましたが、

最後は前足の爪が引っかかってもの凄く痛そうでした。。


自分の無力さをここでも感じました。








東日本大震災について書き出すと何から書いたらいいのかわからないくらい

頭の中をグルグルとたくさんの思いや疑問や憤りや・・・


いっぱい湧いてきます。


その一つが「疑問」です。


多くの疑問があるんですが、それは自分の情報収集能力の低さや

見識・常識の無さに起因するものが多いとは思うのですが・・・。



どうして避難所から被災者の方々を移動させないのでしょうか?



インフラが整備されてて、ライフラインが完備されて安全で、何よりも

物資が届かない心配もなく、多くの支援者が回りにいっぱいいる地域に

何故移動させないのでしょうか?


地震発生後間もなくからずっと思い考えて、ツイッターでも微力ながらつぶやきながら

「どうして出来ないんだろう?」って疑問が消えません。


正確な避難者の人数も政府は把握出来ているのか?これも疑問なのですが

何よりも何よりも


避難所で多くの被災者が亡くなられている!


現実があることを、もっともっと政府もマスコミも国民も深刻に受け止めなければならない

のじゃないんでしょうか?


今日のテレビでは約25万人の避難所生活の方々がおられると報道されていました。


「避難所の方々も厳しい状況の中我慢をして、そしてなんとしても故郷を捨てずに皆で

もう一度街を復興させたいと考えておられます。」


それは、いいんです。そのお考えは大切に大切にして今後の復興策を練り上げて

いけばいいじゃないですか。。


今現在の問題は・・・


●食料、水、ガソリン、すべての生活用品など物資が満足に届かない。

●医者が足りない。役場の人間が足りない。

●役場が被害を受けて場所がなくて行政が麻痺している。

●支える側の人間が肉体的にも精神的にも限界にきている。

●物資が届いても必要な物を必要な場所に届ける人手もガソリンもない。

●ご老人や怪我人や病人が劣悪な環境で命の危険にさらされている。


数え上げればきりが無いと思うのですが、ほとんどの問題が避難所の方々を

全国の地方自治体が受け入れることで解決すると思います。


約25万人ってとんでもない人数ですが、日本の人口の0.2%ぐらいです。

10万人規模の自衛隊の救助隊が被災地に入って活躍されているわけで、

移動手段がないわけではありません。


仙台港にフェリーが着岸出来るようになったとか、東北自動車道が通れるように

なったとか朗報はいくつも出てきてます。


取り急ぎ短期間だけでも被災地を離れる方が、被災者の方々にとっても

復興活動をされている自衛隊やボランティアなど現地の支援者の方々にとっても、

物資を運んでいるドライバーにとっても、救援物資をかき集めて現地に送ろうと

頑張っている他地域の方も、薬が少なくて苦しんでいる方を助けられなくて唇を噛みしめている

現地で頑張っているお医者さんだって、みんな、みんな、みんな、今の状況よりも、


少なくとも今の状態よりも、良くなるんじゃないでしょうか。


間違ってるんでしょうか?出来ない理由があるんでしょうか?


我が大阪、橋下知事も平松市長も多くの府営・市営住宅を被災者の方々の為に準備

して、受け入れ態勢は万全だと情報発信しています。


他の多くの自治体も民間も協力する体制は出来ていると思います。


仮設住宅の建設を始めるのは、それはそれで大事だとは思いますが、いずれ必ず

壊す建物です。正確な避難者の数も把握してるかどうか疑問なのにむやみに建設を

始めるのはどうなんでしょう?


だいたい被災地の近くで仮設住宅を建設する理由は何なのでしょうか?


被災者に物資がなかなか届かなくて困っているのに、仮設住宅を建てる

建築資材は運べるんですか?



仮設住宅を建設する業者の社員の食事は誰が用意するんですか?

その資金は税金ですか?そして


万が一に大きな余震がきたらどうするんですか?



日本全国には約750万戸の中古住宅の空き家があるそうです。



すみません、どなたかお願いです。



避難所の皆さんを移動させない理由をおしえてください。。。



高校生の頃、付き合っていた彼女のおばあちゃんが亡くなりました。


彼女は悲しみの中で、「お腹が減るのが本当につらい。」って泣いてました。


そんな彼女のことが本当に愛おしく思えた時のことを思い出しました。





東日本大震災によって多くの方々が命を失い、多くの方々が家族を、親戚を、


友人を、知人を、大切な人を失い、


家を、車を、田畑を、思い出を、何もかも全てを失い悲しみに沈み、途方に暮れ、


寒さと戦い、飢えをしのぎ、希望を失いかけている時に、




私はお腹が減ります。のども渇きます。。




そして食料を口に運び、飲み物をためらいなく飲みます。


お金を入れれば自動販売機から缶コーヒーが出てきますし


売り切れも見当たりません。




ビールも毎晩飲みます。




「後ろめたさ」   と   「不謹慎」




「義援金を送る」けど、家計が揺らぐほど出来るわけではない。


「救援物資」といいながら新品のタオルを出してきて棚に直して、


洗濯している使用済みタオルをダンボール箱にせっせと詰める。


「あの古くなったコートがまだあったよね。ほら、タンスの奥に・・・」




いいじゃないですか。



「万が一の時の必要最小限だから。」って言い訳しながら買いだめする。



命懸けで私たちの為に原発に立ち向かっている人達を称賛しながら、


我が身を案じて近寄るのを拒むドライバー。




「被災していない俺達は飲みに行って金を使って、景気を回復させて


経済を活性化させて貢献しようぜ!」って言ってる人はおそらく


震災前も変わらず飲みに行ってたし、使っている金額は今も変わらない。




いいじゃないですか。




震災の翌日、ばあちゃんが亡くなりました。97歳大往生です。


多くの親族に見守られて、棺に沢山の花をたむけられて火葬された


ばあちゃんは本当に幸せ者だと思いました。



最後のお別れの時は多くの親族が涙を流し、嗚咽する声が聞こえましたが、


屍が焼きあがるまでの時間は、ミニ宴会です。笑い声が絶えませんでした。



いいじゃないですか。




焼きあがったばあちゃんの骨を見て泣く親族は一人もいません。


「これがのど仏です。少し壊れてますが仏様が座っているように見え・・・」


掛かりの方の説明に「へ~~」「ふ~~ん」と、興味深そうに聞き入るみんな。



「もっと入りますよ~。そちらのおはしを持ってる方、頭がい骨の方も


入れてあげて下さいね~。まだいけますよ~。」


てんこ盛りの骨壺。



いいじゃないですか。




思い切り悲しんだから、もういいんです。泣かなくてもいいんです。




長い間施設に入っててボケてからも実際のところ随分親族に迷惑も


掛けてきたんです。



本音は「悲しいけど、ようやく肩の荷が降りた。」って思っている身内はいるはずです。




でも、そう思ってもいいんです。




面倒見てきた叔父さんや叔母さんは本当に本当に大変だったんです。



だから、「やれやれ」って思ってもいいんです。




僕が学生時代の頃、両親が共稼ぎだった為に毎日毎日バスに乗って


家の掃除、洗濯、そして晩御飯を作ってくれてたばあちゃんです。



ばあちゃんのおかげで健康に今も生きてられます。


血がつながっていないのに一生懸命世話をしてくれました。




でも、


お腹が減ってもいいんです。


酒を飲んでもいいんです。


買いだめしてもいいんじゃないですか。


命を危険にさらさなくてもいいじゃないですか。


新品は残しておいてもいいじゃないですか。




誰も責めたらあきません。


誰も責めんときましょ。




そして自分を責めるのもやめましょ。



今出来ることやりましょ。


やれる範囲でいいじゃないですか。


後ろめたさは     いらんでしょ。




忘れることが一番アカンことと違いますか?



苦しんでいる私たちの多くの仲間がいることを忘れたらアカンと思います。


忘れることだけはアカンと思います。




おばあちゃんのことは死ぬまで忘れません。



だから今、苦しんでいる人達が完全に復興するまで


何年かかっても、ニュースに流れなくなっても絶対に絶対に


忘れないようにしよう。


そして出来ることを出来るだけいつまでも続けていこう。



と、心に誓いました。



15,000円を先払いして自費の入れ歯を作ってもらい、抜歯の覚悟を決めて1/26を向かえました。

その前日は親しい人に付き合ってもらって、大げさに「最後の晩餐」と銘うって自分の歯達7本との

別れを惜しみましたが、その時も酒の力を借りて痛さを誤魔化しても柔らかいものしか食べられない

状態でしたから、抜くことについては本望でした。(w_-;


そして過去のブログへようやくたどり着くのです。



http://ameblo.jp/amamori1/entry-10780359753.html   1/26  「とうとう・・・」


http://ameblo.jp/amamori1/entry-10785550114.html    1/31 「歯医者ネタ」


と、ループしました。



嘘ついてゴメンナサイ。次回をひと区切りにしたいと思います。 m(_ _;)m


ちょっと忙しくて。。。



つづく



http://bit.ly/fuLnfS

「型だけ取っておきましょう。」と言われて何故かすでに出来上がっていた義歯(入れ歯)の

写真です。 (初めて写真を載せるのでなかなか上手に出来ません。。( ̄_ ̄ i))




メイアイヘルプユー?-新品の義歯(入れ歯)     お恥ずかすい。。(ノ_-。) でも新品です。



この時点で私の上の歯の状況と言えば、本来なら16本ある永久歯ですが親不知歯は

2本ともとっくに抜いておりますし、くわえて左4番と6番、7番、右の4番が歯周病の為に

存在してませんでした。(左右の表現に誤りがあるかも知れず逆かも知れません。)


残りは10本でした。


D先生医者が歯科技工士に指示を出して完成させていた入れ歯は、左端に針金が見えると

思いますが、この位置に今も現存する比較的揺れが少ない右上7番の1本だけを残して他の

9本は一気に抜いてしまうコンセプトで作られていました。


一瞬呆然として何だか良く解らなかったんですが、我に返って疑問が湧いてきましたので

質問をしました。


おとうさん。「先生、1本残して全部抜かなあきませんか?」

医者「そうなんです、かなり全体が揺れていますので、この状態で何とか1本で入れ歯を

もたすしか方法がないんです。」



おとうさん。「う~ん、左の上(3番5番のブリッジの事)を残して3本でもたすのは無理ですか?

まだちょっと揺れがマシな気がするんですけど。」



医者「う~ん、左の歯も相当揺れてますし支えることが出来る状態ではないんです。もし

残して針金をかけるようにしたとしても、そこに力が加わりますからおそらく2~3か月で

抜けてしまいます。」



おとうさん。「・・・・・・・・・。ただ・・・やっぱり2~3か月でも左右で支持するような入れ歯じゃないと

いきなりこの形は慣れるのが大変と思うので、ギリギリ(3番5番ブリッジが)抜けるまでの

3本で支持する入れ歯を作ってもらって、抜けてからこれを使うって出来ませんか?」



医者「え~~っと出来ないことは無いんですが・・・、実はこの義歯を保険がきくので作りました

から、今おっしゃるような入れ歯をもう一つ作るのは保険がきかないので自費になるんです。」



おとうさん。「はぁ? ・・・保険がきかないでその入れ歯を作るといくらぐらい掛かるんですか?」



医者「え~っとですね~~。。。ゴニョゴニョゴニョブツブツ・・・1万5千円ぐらいで何とかやらせて

もらえると思いますが・・・。ただやはり長く持ちませんしもったいないですから・・ゴニョ。」



おとうさん。「いや、別に1万5千円ぐらいやったら自費だろうがそれを作ってもらいたいです。」



医者「はい、分かりました。それでは次回までに準備しておきますのでスミマセンがもう一度

型を取らせていただけますでしょうか。」



おとうさん。「・・・。はぁ。」



そんなやり取りがあり次週に、7本抜歯して出来た入れ歯を装着することになりましたが、

保険が適用になるとかならないとか、1本残すとか、他に方法が無いなどなど一度も私は

医者 ← こいつから説明を受けたことは無く、それほど貧相に見えてお金を持ってないと

思われたんでしょうか?(-""-;)



その後これまたむかつく事にその日のお会計で、「次回までに入れ歯を作っておきますので

今日はその費用の1万5千円を先にいただきます。」と受付のおねえさん女に言われて、

心の中ではいかりや長介さんが出てきて


いかりや長介 「先に? ダメだこりゃー!」   って  感じでした。





次回で少々長文になっても、この歯医者ネタに取り敢えず区切りをつけたいと思いますので、

3~4日後になるなあって考えながら つづく




http://bit.ly/eEdWzC   

今晩は40年来の友人から同業の人を紹介してもらう為に


居酒屋でお会いすることになりました。


昨日から何かと慌ただしい二日間で、少し疲れ気味ですが


「ウコンの力」でも飲んで向かいたいと思います。




今日は会社で残念ですが別れがありました。


そして新たな始まりもありました。



綴りたい思いはたくさんあるんですが、



明日以降ボチボチ続けます。


宜しければ、お付き合い下さい。




麺類らーめん。を奥歯だけで食べなさいと馬鹿なことを言われたこともありましたし、食事の度に頭痛ムシャクシャ

悩まされる日々でしたから、さすがに「歯を抜いてもらおうか。。」と思い始めてました。


次に歯医者に行った時にD先生が言いました。そして私とのやりとり。


医者「いつどうなるか解らない状態ですから、念のために入れ歯の型だけ取って

おきましょうね。


おとうさん。「そうですか、もう用意しておかないとダメですかねぇ。」


医者「いえ、まだどうしても抜かなければならない状態ではありませんので、大丈夫なんですけど

一応用意しておかないと、何かあった時に急には作れませんので型を先に取っておきましょう。」


おとうさん。「そうですね。じゃぁお願いしておきます。」


医者「あっでもまだ今の歯は使っていただけるようですから、すぐに ゴニョゴニョゴニョ。。」


この会話が昨年の12月1日です。


年末年始を迎えることもありましたし、痛みも徐々に大きくなっていましたから準備をしておくことは

心の準備を含めて必要かなって感じていました。


そしてお正月鏡餅を迎えて久し振りに帰った実家で、連日ご馳走を振舞ってもらったんですが

正直痛みでまともに噛むことが出来ずに、酒焼酎を飲んで酔いでまぎらわすような状態でしたから

せっかく手料理お節料理を作ってくれた母に申し訳ない気持ちでした。(w_-;


そして年が明けて予約を入れていた1月19日に歯医者に行って「歯を抜いてもらおうと思うんですが・・・。」とD先生医者に伝えましたところ、「そうですか、分かりました。実はもう出来ていまして・・」

と、入れ歯をどこか後ろの方の棚から出してきました。


「ん?前回型だけ取っておきましょうね、って言ったのに出来てるの?」と思いました。さらに

入れ歯の形状を見せられながら受けた説明にどうも納得がいきませんでした。。。



次回はついに写真をお見せしようと思いながら つづく


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E6%AD%AF