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『ロスジェネのすべて 格差、貧困、「戦争論」』出版!!

2月20日、あけび書房より『ロスジェネのすべて 格差、貧困、「戦争論」』が出版されました。

私が熱烈に対談したかった倉橋耕平さん、貴戸理恵さん、木下光生さん、松本哉さんという4人のロスジェネと語り合った、あまりにも濃密な一冊です。自分で言うのもなんですが、メチャクチャ面白い本となりました。

 

以下に目次とまえがきを。

目次を読んで頂くだけでもこの本が伝えたいことがおわかり頂けると思います。

ということで、手にとって頂けましたらとっても嬉しいです!!

 

 

まえがき

 

序章 ロスジェネをめぐるこの十数年

 宝塚市の求人に1800人 

 ロスジェネは何を失ったのか

 私もロスジェネの一人

 出産のタイムリミットも

 政治から見捨てられるなんて

 あと10年早ければ

 ロスジェネと右傾化

 

第1章   ロスジェネと『戦争論』、そして歴史修正主義

はじめに

 私の「黒歴史」。なぜ、右翼に入ったのか

 とにかく死にたかった

 「生きづらい奴は革命家になるしかない!」

 何もないから「国家」

 『戦争論』からの20年以上

 『歴史修正主義とサブカルチャー』があぶりだしたもの

対談 倉橋耕平×雨宮処凛

 「新しい歴史教科書をつくる会」「日本会議ができるまで」

 求めているのは戦前回帰?

  『戦争論』をどう読んだか

 「自己啓発」としての特攻隊

 『戦争論』批判がなかった理由

 冷戦崩壊までさかのぼっておさらいします

 男性特権の喪失

 親がネトウヨ問題

 なぜ与党ではなく野党がバッシングされるのか問題

 「見たいものしか見たくない」に抗う方法

 

第2章   ロスジェネ女性、私たちの身に起きたこと

はじめに

 過去形のロスジェネ

対談 貴戸理恵×雨宮処凛

 ロスジェネの苦悩

 不登校と格差論をめぐって

 ポスドクの貧困問題

 生きづらさと当事者研究

 ロスジェネが奪われたものと「負けたら死ぬ」感

 共働き子育てという無理ゲー

 出産しようと思える条件とは

 「なぜ産まないのか」への回答

 孤立する母親

 不寛容な社会とマジョリティの生きづらさ

 社会の分断と同調圧力

 オーストラリアでの子育て

 ロスジェネのこれから

 

第3章   「自己責任」と江戸時代

はじめに

 日本的「自己責任の呪縛」

 江戸時代の自己責任論とは

 洞窟救出劇に見たタイ社会の寛容さ

対談 木下光生×雨宮処凛

 18世紀後半から出てきた被差別民への「自己責任論」

 新自由主義だけでは説明できない

 ヨーロッパの救貧の歴史

 江戸時代の「施し」と「制裁」

 「村に迷惑をかけた」という言い分

 国への迷惑、納税者への迷惑

 画期的だった(新)生活保護法

 江戸時代も今も変わらない「貧困イメージ」

 数百年続く自己責任論を超えるために

 

第4章   貧乏だけど世界中に友達がいるロスジェネ

はじめに

 「貧乏を楽しむ」達人、登場!!

 アジアの人々との連帯も

対談 松本哉×雨宮処凛

 中国人にQRコード決済の刺青を彫られる

 「法政の貧乏くささを守る会」

 大卒後に「貧乏人第反乱集団」を結成

 高円寺で「素人の乱」を始める

 伝説の「俺の自転車を返せデモ」と「3人デモ」

 高円寺に1万5000人が集まった「原発やめろデモ」

 3・11以降、アジアの人達との連帯を

 韓国に入国できずに強制送還される

 アジア反戦大作戦

 「NO LIMIT 東京自治区」で一週間アジア人たちと大宴会

 韓国、インドネシアでも「NO LIMIT」開催

 もう開き直るしかない

 

 

 

 

まえがき

 

 今から10年以上前、私たちは「ロスジェネ」と名付けられた。

 現在の30代なかばから40代なかばを指す。

 失われた世代。就職氷河期の影響をもろに食らった世代。貧乏くじ世代。非正規第一世代。呼び方はいろいろあるがどれも嬉しくないものばかりだ。

 ちなみに75年生まれの私は2020年1月、45歳になった。四捨五入したら50歳。同じ四捨五入をしたら50歳という枠には「サザエさん」の「磯野波平」(54歳)がいる。

 波平は正社員として勤めて世田谷に家まで建てて子も孫もいるというのに、私は独り身。当然子もなく孫もいない。

 そうして周りを見渡せば、いまだ正社員の職がなく、結婚もせず子どももいないという同世代が山ほどいる。一軒家を建てるどころか六畳一間の安アパート住まいという者もいれば、ネットカフェ暮らしの者もいる。低賃金ゆえ実家から出られず親と同居するものの、「このままでは数年以内に介護離職かも」と怯える者もいる。

 19年、こんな私たちの世代が「人生再設計第一世代」と名付けられた。

 はっきり言って、40代なかばになってまで自分たちに「就職氷河期」という言葉がついて回るなんて、誰も予想してなかった。20年以上も苦境が続くなんて、思ってもみなかった。バブル崩壊後の景気悪化は一時的なもので、すぐに自分たちは企業社会に吸収されていくものだと思っていた。そして自分も親世代のように、就職して結婚して子どもを産んで、という人生を歩んでいくものだと思っていた。

 だけど、中年になった今、そのすべてを手に入れていない。私も、周りの人々の多くも。

 

そんなロスジェネだが、「失われた20年」の中、厳しさを増す雇用環境の中を生きてきた私たちは、一億総中流が崩れた社会を走るトップランナーとも言える。

 ロスジェネと「今」について、存分に語った。

 

ロスジェネのすべて 格差、貧困、「戦争論」 あけび書房 1600円 2020年2月20日発売

 

 

新刊発売『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』

9月16日(地方は書店に並ぶのが少し遅れるかもしれません)、新刊を出版します。

相模原事件や「生産性」をめぐるあれこれ、「日本は少子高齢化で社会保障の財源がないんだから、ある程度”命の選別”をするのは仕方ない」といった言説が蔓延する状況についてなどなど、6人の方々と対談しました。

 

『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』 大月書店 1600円+税 2019年9月16日発売

 

命の選別は「しかたない」のか?

「生産性」「自己責任」「迷惑」「一人で死ね」・・・

不寛容な言葉に溢れたこの国で、男は19人の障害者を殺した。

「障害者は不幸しか作らない」という線引きによって。

沈みゆく社会で、それでも「殺すな」と叫ぶ、命をめぐる対話集。

 

雨宮処凛 編著 

神戸金史 熊谷晋一郎 岩永直子 杉田俊介 森川すいめい 向谷地生良

 

目次

 

序章 私自身の「内なる植松」との対話

 

第1章 植松被告は私に「いつまで息子を生かしておくのですか」と尋ねた

神戸金史(RKB毎日放送記者)×雨宮処凛 

 

第2章 「生産性」よりも「必要性」を胸を張って語ろう

熊谷晋一郎(東京大学先端科学技術センター准教授、小児科医)×雨宮処凛

 

第3章 命を語るときこそ、ファクト重視で冷静な議論を

岩永直子(Buzz Feed Japan記者)×雨宮処凛

 

第4章 ロスジェネ世代に強いられた「生存のための闘争」の物語

杉田俊介(批評家、元障害者ヘルパー)×雨宮処凛

 

第5章 みんなが我慢するのをやめて、ただ対話すればいい

森川すいめい(精神科医)×雨宮処凛

 

第6章 植松被告がもしも「べてるの家」につながっていたら

向谷地生良(浦河べてるの家ソーシャルワーカー)×雨宮処凛

 

あとがき

 

この本でどんなことを伝えたいのかなどについて、マガジン9の連載「命の選別は『仕方ない』のか? 〜『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』」でも書かせて頂きました。

 

 

また対談のダイジェスト、以下で公開しています。

 

1 神戸金史さんとの対談

 

2 熊谷晋一郎さんとの対談

 

3 岩永直子さんとの対談

 

4 杉田俊介さんとの対談

 

 

ぜひ、読んでほしいです。

 

『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』

 

ふなごやすひこさん7月19日スピーチ全文

7月19日、新橋SL広場で開催された「れいわ祭り2」においての、ふなごやすひこさんのスピーチ全文です。

ぜひ、ふなごさんの思いに触れてみてください。

そしてよければ、ふなごさんの言葉を拡散してください。

 

よろしくお願いします。

以下です。

 

ふなごやすひこです。

僕は今回の出馬に、文字通り、命をかけています。

僕がなぜ立候補しようと思ったのか。それは、僕と同じ苦しみを障害者の仲間にさせたくないからです。

国会の皆さんは、現場に通用しない穴ぼこだらけの法律があることを知りません。そのひとつが、建築基準法です。

建築基準法には、国民の生命・健康・財産のためと謳われています。

それを作った議員さんたち。

僕が国会に入ったら、僕を無視せず、僕の介助をお願いします。

それが、立法者の役目でしょう。そうではないですか? 聞きに来てくださってる親友の皆さん。

現場感覚の本当の意味の法律の必要性を理解してもらいたい。

障害者が今まで我慢させられてきた、あてがわれてきた法律からはおさらばです。

もっと障害者が自由になれるために。

国会議員の皆さんも親友の皆さんも、いずれ年を取り障害者になります。

僕たちが関わり作る制度が本物になるように。皆さん力をお貸しください。

 

車椅子の皆さんは、ユニバーサルデザインだと言って、デザイン性を重視した点字ブロックにタイヤを取られ、横倒しになりそうになったことはありませんか?

僕はあります。

車椅子はエレベーターにと言われ、大型の車椅子が入れなかったことはありませんか?

僕はあります。

障害者用のトイレに入って、戸が閉められないことはありませんか?

僕はあります。

仲間とレストランに入って、一緒にテーブルにつけたことありますか?

僕は、ありません。

ちょっと考えただけでも穴ぼこだらけです。

こんな簡単なことがわからないのです。誰がこんな片手落ちのものにOKを出すんでしょうか?

国の基準とやらではないのでしょうか? この建築基準法が、時には悲劇を生んでいることを知ってください。

僕がデザインを重視した点字ブロックにタイヤを取られ横倒しになれば、呼吸器が外れ、死んでしまいます。

 

ALSになってから、僕はいわれのない虐待に苦しんでもきました。

ある地方都市の施設に入居していた時のことです。食事が口からとれないため、僕は胃ろうという穴をお腹に開け、経腸栄養剤を処方されていました。保険請求できるものです。しかし、突然「法律が変わった」と言われ、月に5万円ほどの自己負担で栄養剤を購入させられました。結果的に身体に合わず、15ヶ月間もの間、下痢が続き、栄養失調になり、全身がむくみました。強いめまいも起こしました。本来、保険で処方できるものを自費で購入させられ、しかも身体に合わないものを15ヶ月間もの間、処方され続けたのです。

 

週に三回あった入浴も、2回に減らされました。入居者全員が2回に減らされたとその施設の職員から聞かされていたのですが、減らされたのは僕だけでした。手間がかるというのがその理由でした。

 

また、看護課長から口を聞いてもらえぬ日々が続いたこともありました。いく日も、決まって20日間。何が原因かわからないまま挨拶もしてもらえない日々は辛いものでした。

僕は大学で講義するために外出することがあったのですが、施設の帰宅時間は15時と決められており、それ以降は施設に帰ることを認められず、ホテルに泊まらなくてはいけないこともありました。そのため、講義自体を断ったこともありました。

それだけでなく、施設からは病気が進行し、意思疎通ができなくなったら退去するように言われました。

 

こんな施設に入居していられないと思い、一人暮らしを決断しました。

そのため、障害者自立支援法の障害福祉サービスの申請を行いました。障害者が一人暮らしをするにあたってヘルパーを派遣してもらうためのものです。

しかし、市役所からは「すぐには出しませんよ。三ヶ月くらいかかります」と言われました。

皆さん、おかしいと思いませんか?

一般的に、人工呼吸器をつけた人が三ヶ月間、自費でヘルパーをお願いすることができると思うでしょうか?

そもそも、自立支援とは、障害者が自立した生活を送れるための制度です。施設を出て、一人暮らしを始めた時点で適用されなければ生活していけません。

この制度を巡って、障害福祉サービスの利用時間を確保するために裁判を起こしているケースも多々あります。でも、裁判を起こさないと獲得できないなんてことはあってはいけないことだと思います。

結局僕は、180万円を自費で払いました。

 

障害者自立支援法とは、障害者の日常生活および社会的に自立を目指す法律のはずです。

もし、僕が当選したら、今利用している障害福祉サービスは受けられなくなってしまいます。なぜなら、自立支援法と言いながら、職場にヘルパーがついていくことは禁じられているからです。

障害者は働くなということでしょうか?

この部分は、絶対に変えなくてはなりません。

障害者が仕事を持つことこそ、自立支援だと思います。それなのに、歩けない人のお手伝いがなぜ法律で禁じられているのか。全身麻痺でも働ける障害者はいます。能力があっても国の法律で制限されてよいのでしょうか。小手先だけの制度を見直したいです。

 

僕は今、介護関連会社アースの経営陣に参加しています。そこで驚いたのは、介護、福祉の制度がちょこちょこ変わること、そしてケアマネージャーの書類仕事の多さです。本来、利用者の声を聞き、必要なサポートをする人たちがペーパーに追われている。この実態に、制度改革の必要性を強く感じます。

今、ヘルパーの人材不足は、どこも逼迫しています。弊社も言うまでもありません。介護職は、3Kと言われます。きつい、汚い、危険。そして基本給が安い。

そんな声が上がったことから、国は処遇改善交付金をばら撒きました。

しかし、そんなことで介護職の介護離れに歯止めをかけることはできません。今年から導入された働き方改革も同じです。正社員の有給取得を義務づけ、一方でダブルワーク推奨。どこで休みが取れるのですか。有休を使って介護職に他の仕事をさせ、その穴を派遣会社が埋める。最近は、看護職の紹介会社が派遣職員を推奨する傾向になってきていることを皆さんは知っていますか。このシステムは、誰かが得をするように仕向けられているように感じます。

企業は、有休取得を義務づけられたことで、常勤職員の雇用をやめるのではないですか。もちろん、ヘルパーも同じです。

これでは、いつまで経ってもきつさは解消されないんです。このきつさを解消しなければ、障害者や高齢者はいつまで経っても虐待から解放されません。

これまでの経験を生かして、介護職の待遇を改善していきます。

 

そして僕は当選したら、小学校、中学校、高校、大学での、生産性を重んじない、命の大切さの教育導入を約束したい。

 

僕は5年前にも、松戸の市議選に立候補しました。

その時のスローガンを今回も掲げたいと思います。

「強みは、障害者だから気づけることがある」

僕が議員になったら、全難病患者・障害者を幸せにするために働きます。

全難病患者・障害者が幸せな社会は、みんなが生きやすい社会です。

人の価値が生産性ではかられない社会を目指します。

みなさん、力をお貸しください。

 

新刊『雨宮処凛の活動家健康法』

六月末、新刊を出しました!!

その名も『雨宮処凛の活動家健康法 「生きづらさ」についてしぶとく考えてみた』(言視舎 1600円)。

聞き手・構成は今野哲男さん。

 

なぜ「生きづらく」なるのか?

若者はなぜキャラクターを重層化させるのか?

この社会に蔓延する「生きづらさ」に対し 独自の立ち位置で発言・行動を続ける稀代のアクティビストに

「なぜ?」を山ほど抱えるオッサン編集者が素朴なギモンを投げかけ

ゆるくて強い「戦略」を聞き出した

 

目次

第一章   なぜ「生きづらく」なるのか

第二章   雨宮処凛とはどんな人間か

第三章   雨宮処凛の実践

第四章   オウムと北朝鮮

第五章   雨宮流人生相談

 

以下、まえがきの一部を紹介させて頂きます。

 

まえがき

 

「生きづらいなら革命家になるしかない」

 作家の故・見沢知廉は、二〇代前半だった私にそう言った。

 それから十年もしないうちに、彼はマンションから飛び降りて還らぬ人となった。

「革命家になるしかない」と言われて二〇年以上経った今、私は革命家ではないけれど、「活動家」として生きている。主に貧困や格差、生きづらさをテーマとして、作家・活動家として生きている。

「どうしてそのような活動をしているんですか?」

 そんなことをよく聞かれる。そのたびに、答えに窮する。「正義感が強いんですね」「優しいんですね」なんて言われることもある。そんな時、やっと口から言葉がついて出る。「違うんです。正義感でも優しさでもなんでもなくて、私は百%、自分のためにやってるんです」と。

 子どもの頃、飢えに苦しむ貧しい人々の姿をテレビで見て、眠れなくなった。

 一八歳で上京した東京では、新宿駅に溢れるホームレスに言葉を失った。

 平成は「戦争がない時代だった」と言われる。しかし、世界を見渡せば多くの命が戦争で奪われた。9・11テロを受けてアフガンが空爆され、イラク戦争が始まり、それによってイスラム国が台頭し泥沼の状況となり、そして今も、多くの国で内戦が続いている。犠牲になるのは、いつも子どもや貧しい人など、弱い立場にいる人々だ。

 世界はいつも悲劇に満ちていて、そんな悲劇に何もできない自分に絶望を感じていた。自分が何をしようとも何をどう思おうとも、一ミリも世界を変えられないという無力さにも、勝手に絶望していた。それだけではない。学校で、社会に出てから、「人を蹴落とすこと」「競争に勝ち抜くこと」ばかり求められ、出会う人全員が敵かライバルにしか思えないこの社会で生きることにもほとほと疲れていた。だけど、いつからかいろんなことに対して「見て見ぬふり」をすることがうまくなって、「自己責任じゃない?」と自分と切り離してしまえば「楽になる」ことも覚えた。でも、楽になるのはほんの一瞬。

 そんな時に出会ったのが、ホームレスなど生活に困窮している人々を支援している人たちだ。

 彼らは当たり前に「困っている人」を助け、生活再建を手伝っていた。リーマンショックが起きて派遣切りの嵐が吹き荒れれば自分たちの年末年始の休みを返上して「年越し派遣村」を開催した。全国各地で毎週のように炊き出しをする人がいて、生活相談、健康相談に乗る弁護士や医師などの「プロ」がいた。それを支える大勢のボランティアの人たちがいた。

 冬の夜、所持金もなくお腹をすかせて途方に暮れている人が、その日にうちにあたたかい個室のシェルターに入ってほっと一息つく。そんな姿を見て、嬉し涙を流したことは一度や二度ではない。

 格差社会は、多くの人を傷つける。格差の「下」にいる人を傷つけるだけではない。「見て見ぬふり」をしなればならない人も傷ついている。「自己責任」と切り捨てる人も傷ついている。そして「お前だっていつこうなるかわからないんだからな」というメッセージを多くの人が受けとり、恐怖が植え付けられる。

 だけど、「困っている人」を当たり前に助ける人たちを見て、私は心から救われた。それまで、どうせ人間なんてものは自分のことしか考えていないのだと思っていた。だけど世の中には、困っている人に手を差し伸べる人たちがいるのだ。しかも、意外とたくさん。世の中って、捨てたもんじゃないのかもしれない。そう思った時、生きづらさが少し、緩和された。だから自分も、そんな活動に参加してみた。そうしたらまた楽になった。「こんなひどい社会に対して何もできない・しない自分」から、「少しはこの社会をマシにしようと動く自分」に変われたことで、息がしやすくなったのだ。

 だから、「誰かのため」じゃない。自分のため。そして自分が困った時に、誰かに助けてほしいという思いもある。少なくとも、私が誰かに手を差し伸べれば、この世界は「誰もが誰もを見捨てる世界」ではなくなる。

 一方で、自分自身、どこか活動に「依存している」という思いもある。しかし、それは不条理な世界で病まないようにするためのひとつの適応のような気もする。私にとって活動とは、生きるために必要な依存であり、それが二次被害的に誰かの役に立てば、それでOKというものなのだ。

 しかも「活動」は心だけでなく、身体にもいい。やたらとデモに行くので運動不足にならないし、ここ数年、年末年始は越年の炊き出しに通っているので「正月太り」とは無縁。なんと「活動」はタダで美容や健康にも効果ありなのだ。

(続きは本書で)

 

ということで、ぜひご一読頂けると嬉しいです。

 

『雨宮処凛の活動家健康法 「生きづらさ」についてしぶとく考えてみた』

 

ふなごやすひこさん紹介文

本日2019年7月3日、「れいわ新選組」公認候補予定者として記者会見されたふなごやすひこさん。

さまざまななりゆきから、本日山本太郎議員が読み上げたふなごさんの紹介文を私がまとめさせて頂いたので、こちらにアップしたいと思います。

ふなごさんの著書『しあわせの王様 全身麻痺を生きる舩後靖彦の挑戦』を参考に書きました。

本日の会見の途中、読み上げながら太郎さんが感極まって言葉につまる瞬間もありました。

「ALSってなに?」という方にこそ、ぜひ読んで頂きたいです。

 

 

舩後靖彦さん

ALSという病気の当事者です。

57年岐阜県生まれ。9歳より千葉で育ち、現在も千葉県松戸市在住。

大学卒業後はプロミュージシャンを目指すものの、商社マンに。ダイヤモンドと高級時計を売る会社の企業戦士としてバブル時代を駆け抜け、バブル崩壊後も年に6億円台の売り上げを8年連続で叩き出すほどの営業成績を収めていました。

しかし、99年、41歳の夏、体の異変を感じるようになります。11歳の娘さんとの腕相撲に負け、歯磨きをしようとした手から歯ブラシが落ち、通勤のカバンが重くてたまらなくなり、マッサージに行っても鍼灸治療院に行っても良くならず、ペットボトルの蓋も開けられない。12月には舌がもつれ、ろれつが回らなくなりました。

身体の異変を感じ始めて10ヶ月、ようやく受けた検査の結果、00年春にALSと診断されます。

筋萎縮性側索硬化症 (きんいしゅくせいそくさくこうかしょう) 略してALS。

医師は舩後さんに言いました。

「体中の筋肉が、徐々に弱っていく神経の病気です。原因がわからず、有効な治療法もまだ確立していません。いわゆる『難病』です。四肢麻痺、つまり手足が麻痺し、やがて動けなくなります。舌も動かなくなり、しゃべることも、食べることもできなくなります。症状の進み方はさまざまですが、いずれ全身麻痺になることは、免れません。自力での呼吸もできなくなります。個人差はありますが、平均3年から4年で絶命します。死因は、呼吸筋の麻痺による呼吸不全です。しかし、呼吸器を装着して延命する道があります。選択は、患者さんの自由です」

ALSとは、難病に指定されている神経の病気です。日本では10万人に五人がこの病気を有し、そのうち二人が発病しているそうです。現在、日本には約9600人の患者がいるそうです。肉体は麻痺していきますが、精神活動に大きな影響はありません。頭ははっきりしているのに、身体が動かなくなっていくのが特徴です。18年に亡くなったスティーブン・ホーキング博士も21歳でALSと診断されました。

舩後さんの呼吸筋も衰え、01年、44歳の時に気管切開をします。この時、舩後さんは声を失いました。02年には噛むことも飲み込むこともできなくなり、口からの食事ができなくなりました。チューブで流動食を胃に流し込む「胃ろう」を医師に勧められましたが、舩後さんは頑なに拒み、断食僧のような日々を送りました。

舩後さんはこの頃のことを短歌にしています。

 

この病 舌が麻痺して飯食えず 放っておけば 餓死もありえて

チューブから栄養摂取サイボーグ 我は人なり手術を拒む

 

結局、餓死寸前のところで舩後さんは胃ろうの手術をしました。

そしてこの頃、船後さんは気管切開はしたものの、再び慢性的な酸欠状態に陥っていました。酸欠で死ぬのか、人工呼吸器をつけるかの判断が迫っていました。「呼吸器はつけない」。そう決めていたものの、船後さんの決心はこの頃、揺らぎ始めます。

きっかけは、医師に頼まれて始めたピアサポートでした。

ピアサポートとは、同じ症状や悩みを持つ仲間同士の助け合いのことです。船後さんは医師に、新しくALSの告知を受けた人に、アドバイスをしてほしいと頼まれたのです。

この頃、舩後さんは障害者のために開発されたコンピュータ「伝の心」(でんのしん)を使って文章が書けるようになっていました。指や額の皺などの動きを拾い上げるセンサーを使って文章を打ち、電子メールをやりとりしたり、それを自動音声にして読み上げることもできるようになっていたのです。

舩後さんは、告知を受けたばかりの患者に「伝の心」を使って話をし、同じ病気や麻痺に苦しむ人々と電子メールを交わすようになりました。

ピアサポートという生きがいを得た舩後さんは、呼吸器を装着して生きる道を選択します。02年8月のことでした。

この頃の葛藤を詠んだ短歌です。

 

寝たきりの我にいとしき妻と子を 守る術なし 逝くことが愛

死を望む 我に生きよと告ぐる声 廊下に響く 呼吸器の音

指一つ動かぬ我に生きる意味 ありと覚悟を決めし日の空

 

呼吸器をつける前の舩後さんは、「死ぬんだ。家族のために、生き恥をさらさないために、絶対に死ぬんだ」とばかり考えていたそうです。しかし、心の奥底には「生きたい」という気持ちが渦巻いていました。娘の花嫁姿が見たい。妻とともに年老いたい。親より早く死にたくない。押さえ込んでいたその思いは、ピアサポートという生きがいを得、社会の中での居場所を見つけた時、「生存の欲求」として、火山のように爆発したそうです。

入院中だけでも、船後さんは40名もの患者さんと直接会い、コンピュータを通じて話をしました。

自殺を考え、練炭の使い方をマスターしようとして中毒起こしてしまった患者には、「僕に甘えるのが、貴方のつとめ! 遠慮はいりません」とメールし、以後二年間、その男性は舩後さんに弱音を吐き続けたそうです。夜中の2時でも3時でも即座にメールの返事が返ってくることに、その男性は「わたしを救うために、命をかけてくれている」と思ったそうです。

舩後さんの活動はそれだけにとどまりません。

02年にはメルボルンで開催された「ALS/MND国際会議」に参加。翌03年にも、ミラノで開催された「ALS/MND国際会議」に参加。ALSを発症し、人工呼吸器をつけていても飛行機に乗り、海外で国際会議に参加できることを世界に知らしめました。また、コンピュータで講演をし、ミュージシャンとして音楽活動も楽しんでいます。のちほど、全身麻痺でも弾けるギター演奏の映像をご覧頂きます。

現在、舩後さんは自宅介護を受けながら、介護関連の会社である株式会社アースの取締役副社長をしています。この会社の介護施設「サボテン」では、末期ガンや難病患者、重度障害者を受け入れています。介護施設の利用者である舩後さんの視点を入れることでより良い介護ができると、女性社長から抜擢されての就任でした。

それだけではありません。14年には千葉県松戸市の市議選に立候補。落選となりましたが、舩後さんの挑戦は、注目を集めました。今は、歯で噛むことでパソコンを操り、年10回以上、看護学部・福祉学部のある大学を中心に講義をするほか、3年半にわたり福祉業界新聞でコラムを担当しています。

舩後さんは著書『しあわせの王様』で、このように述べています。

「わたしはピアサポーターとして『生き様を示す』ことにより、『人間、どんな姿になろうとも、人生はエンジョイできる!』と言うことを、伝えたいのです。ALS患者の方のみならず、多くの方々に」

 そしてこのようにも言っています。

「わたしは『ALSになった』という、たったひとつのアンラッキーと引き換えに、無限の数のラッキーを、手に入れてしまった。これをしあわせと言わずとして、なにをしあわせと言うのだろう?」

 

以上です。

 

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