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『相模原事件・裁判傍聴記 「役に立ちたい」と「障害者ヘイト」のあいだ』出版。

『相模原事件・裁判傍聴記 「役に立ちたい」と「障害者ヘイト」のあいだ』

 

 

 

雨宮処凛 太田出版 2020年7月18日出版 1540円+税

 

「社会の役に立ちたいと思いました」

法廷で、その男は事件の理由をそう口にした。

2016年7月、19人の障害者を殺した植松聖。

全16回の公判の果てに2020年3月、死刑が確定----。

彼の目から見えていたこの「世界」とは?

 

 

目次

 

まえがき

 

1月8日 第1回公判

思ったよりも妄想がひどい?

検察による冒頭陳述/弁護士による冒頭陳述/翌朝、横浜拘置所にて指を噛みちぎる

 

1月10日 第2回公判

夜勤職員の調書

 

1月15日 第3回公判

遺族の供述調書読み上げ

美帆さんの母の手記

 

1月16日 第4回公判

遺族の供述調書読み上げ・続き

 

1月17日 第5回公判

証人尋問に元カノ登場

 

1月20日 第6回公判

植松被告、30歳の誕生日 「戦争をなくすため、障害者を殺す」

高校時代の彼女の供述調書/友人たちの供述調書/教育実習では高評価/衆院議長公邸前で土下座

 

1月21日 第7回公判

後輩女性の供述調書読み上げ

 

1月24日 第8回公判

初めての被告人質問で語った「幸せになるための七つの秩序」

新日本秩序/午後の法廷でも暴走/イルミナティカード/トランプ大統領を絶賛/「ベストを尽くしました」

 

1月27日 第9回公判

やまゆり園で虐待はあったのか?

「2、3年やればわかるよ」

 

1月30日 植松被告と面会

「雨宮さんに聞きたいんですけど、処女じゃないですよね?」

 

2月5日 第10回公判

遺族、被害者家族からの被告人質問

甲Eさん弟から植松被告への質問/尾野剛志さんから植松被告への質問/法廷が「やれたかも委員会」に/裁判員からの質問

 

2月6日 第11回公判

これまでのストーリーが覆る。「障害者はいらない」という作文

親との関係/「心失者」の定義/「障害者はいらない」/「テロ」とは言われたくない

 

2月7日 第12回公判

精神鑑定をした大沢医師が出廷

 

2月10日 第13回公判

精神鑑定をした工藤医師が出廷

 

2月12日 第14回公判

「大事な一人息子に私は死刑をお願いしました」

 

2月17日 第15回公判

美帆さんの母親の意見陳述

美帆さんの母親、意見陳述/検察から、死刑求刑

 

2月19日 第16回公判

結審の日

最後の言葉/裁判員のうち2人が辞任/3月15日 神奈川新聞に「障害者はいらない」という作文についての記事掲載

 

3月16日 判決言い渡し

「被告人を、死刑に処する」

判決文、要旨/判決後の記者会見 尾野剛志さん/やまゆり園・入倉かおる園長の会見/SOSだった?/31日、植松被告の死刑が確定

 

対談 

渡辺一史×雨宮処凛

裁判では触れられなかった「植松動画」と入所者の「その後」

 

あとがき

 

 

 

 

 

『ロスジェネのすべて 格差、貧困、「戦争論」』出版!!

2月20日、あけび書房より『ロスジェネのすべて 格差、貧困、「戦争論」』が出版されました。

私が熱烈に対談したかった倉橋耕平さん、貴戸理恵さん、木下光生さん、松本哉さんという4人のロスジェネと語り合った、あまりにも濃密な一冊です。自分で言うのもなんですが、メチャクチャ面白い本となりました。

 

以下に目次とまえがきを。

目次を読んで頂くだけでもこの本が伝えたいことがおわかり頂けると思います。

ということで、手にとって頂けましたらとっても嬉しいです!!

 

 

まえがき

 

序章 ロスジェネをめぐるこの十数年

 宝塚市の求人に1800人 

 ロスジェネは何を失ったのか

 私もロスジェネの一人

 出産のタイムリミットも

 政治から見捨てられるなんて

 あと10年早ければ

 ロスジェネと右傾化

 

第1章   ロスジェネと『戦争論』、そして歴史修正主義

はじめに

 私の「黒歴史」。なぜ、右翼に入ったのか

 とにかく死にたかった

 「生きづらい奴は革命家になるしかない!」

 何もないから「国家」

 『戦争論』からの20年以上

 『歴史修正主義とサブカルチャー』があぶりだしたもの

対談 倉橋耕平×雨宮処凛

 「新しい歴史教科書をつくる会」「日本会議ができるまで」

 求めているのは戦前回帰?

  『戦争論』をどう読んだか

 「自己啓発」としての特攻隊

 『戦争論』批判がなかった理由

 冷戦崩壊までさかのぼっておさらいします

 男性特権の喪失

 親がネトウヨ問題

 なぜ与党ではなく野党がバッシングされるのか問題

 「見たいものしか見たくない」に抗う方法

 

第2章   ロスジェネ女性、私たちの身に起きたこと

はじめに

 過去形のロスジェネ

対談 貴戸理恵×雨宮処凛

 ロスジェネの苦悩

 不登校と格差論をめぐって

 ポスドクの貧困問題

 生きづらさと当事者研究

 ロスジェネが奪われたものと「負けたら死ぬ」感

 共働き子育てという無理ゲー

 出産しようと思える条件とは

 「なぜ産まないのか」への回答

 孤立する母親

 不寛容な社会とマジョリティの生きづらさ

 社会の分断と同調圧力

 オーストラリアでの子育て

 ロスジェネのこれから

 

第3章   「自己責任」と江戸時代

はじめに

 日本的「自己責任の呪縛」

 江戸時代の自己責任論とは

 洞窟救出劇に見たタイ社会の寛容さ

対談 木下光生×雨宮処凛

 18世紀後半から出てきた被差別民への「自己責任論」

 新自由主義だけでは説明できない

 ヨーロッパの救貧の歴史

 江戸時代の「施し」と「制裁」

 「村に迷惑をかけた」という言い分

 国への迷惑、納税者への迷惑

 画期的だった(新)生活保護法

 江戸時代も今も変わらない「貧困イメージ」

 数百年続く自己責任論を超えるために

 

第4章   貧乏だけど世界中に友達がいるロスジェネ

はじめに

 「貧乏を楽しむ」達人、登場!!

 アジアの人々との連帯も

対談 松本哉×雨宮処凛

 中国人にQRコード決済の刺青を彫られる

 「法政の貧乏くささを守る会」

 大卒後に「貧乏人第反乱集団」を結成

 高円寺で「素人の乱」を始める

 伝説の「俺の自転車を返せデモ」と「3人デモ」

 高円寺に1万5000人が集まった「原発やめろデモ」

 3・11以降、アジアの人達との連帯を

 韓国に入国できずに強制送還される

 アジア反戦大作戦

 「NO LIMIT 東京自治区」で一週間アジア人たちと大宴会

 韓国、インドネシアでも「NO LIMIT」開催

 もう開き直るしかない

 

 

 

 

まえがき

 

 今から10年以上前、私たちは「ロスジェネ」と名付けられた。

 現在の30代なかばから40代なかばを指す。

 失われた世代。就職氷河期の影響をもろに食らった世代。貧乏くじ世代。非正規第一世代。呼び方はいろいろあるがどれも嬉しくないものばかりだ。

 ちなみに75年生まれの私は2020年1月、45歳になった。四捨五入したら50歳。同じ四捨五入をしたら50歳という枠には「サザエさん」の「磯野波平」(54歳)がいる。

 波平は正社員として勤めて世田谷に家まで建てて子も孫もいるというのに、私は独り身。当然子もなく孫もいない。

 そうして周りを見渡せば、いまだ正社員の職がなく、結婚もせず子どももいないという同世代が山ほどいる。一軒家を建てるどころか六畳一間の安アパート住まいという者もいれば、ネットカフェ暮らしの者もいる。低賃金ゆえ実家から出られず親と同居するものの、「このままでは数年以内に介護離職かも」と怯える者もいる。

 19年、こんな私たちの世代が「人生再設計第一世代」と名付けられた。

 はっきり言って、40代なかばになってまで自分たちに「就職氷河期」という言葉がついて回るなんて、誰も予想してなかった。20年以上も苦境が続くなんて、思ってもみなかった。バブル崩壊後の景気悪化は一時的なもので、すぐに自分たちは企業社会に吸収されていくものだと思っていた。そして自分も親世代のように、就職して結婚して子どもを産んで、という人生を歩んでいくものだと思っていた。

 だけど、中年になった今、そのすべてを手に入れていない。私も、周りの人々の多くも。

 

そんなロスジェネだが、「失われた20年」の中、厳しさを増す雇用環境の中を生きてきた私たちは、一億総中流が崩れた社会を走るトップランナーとも言える。

 ロスジェネと「今」について、存分に語った。

 

ロスジェネのすべて 格差、貧困、「戦争論」 あけび書房 1600円 2020年2月20日発売

 

 

新刊発売『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』

9月16日(地方は書店に並ぶのが少し遅れるかもしれません)、新刊を出版します。

相模原事件や「生産性」をめぐるあれこれ、「日本は少子高齢化で社会保障の財源がないんだから、ある程度”命の選別”をするのは仕方ない」といった言説が蔓延する状況についてなどなど、6人の方々と対談しました。

 

『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』 大月書店 1600円+税 2019年9月16日発売

 

命の選別は「しかたない」のか?

「生産性」「自己責任」「迷惑」「一人で死ね」・・・

不寛容な言葉に溢れたこの国で、男は19人の障害者を殺した。

「障害者は不幸しか作らない」という線引きによって。

沈みゆく社会で、それでも「殺すな」と叫ぶ、命をめぐる対話集。

 

雨宮処凛 編著 

神戸金史 熊谷晋一郎 岩永直子 杉田俊介 森川すいめい 向谷地生良

 

目次

 

序章 私自身の「内なる植松」との対話

 

第1章 植松被告は私に「いつまで息子を生かしておくのですか」と尋ねた

神戸金史(RKB毎日放送記者)×雨宮処凛 

 

第2章 「生産性」よりも「必要性」を胸を張って語ろう

熊谷晋一郎(東京大学先端科学技術センター准教授、小児科医)×雨宮処凛

 

第3章 命を語るときこそ、ファクト重視で冷静な議論を

岩永直子(Buzz Feed Japan記者)×雨宮処凛

 

第4章 ロスジェネ世代に強いられた「生存のための闘争」の物語

杉田俊介(批評家、元障害者ヘルパー)×雨宮処凛

 

第5章 みんなが我慢するのをやめて、ただ対話すればいい

森川すいめい(精神科医)×雨宮処凛

 

第6章 植松被告がもしも「べてるの家」につながっていたら

向谷地生良(浦河べてるの家ソーシャルワーカー)×雨宮処凛

 

あとがき

 

この本でどんなことを伝えたいのかなどについて、マガジン9の連載「命の選別は『仕方ない』のか? 〜『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』」でも書かせて頂きました。

 

 

また対談のダイジェスト、以下で公開しています。

 

1 神戸金史さんとの対談

 

2 熊谷晋一郎さんとの対談

 

3 岩永直子さんとの対談

 

4 杉田俊介さんとの対談

 

 

ぜひ、読んでほしいです。

 

『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』

 

ふなごやすひこさん7月19日スピーチ全文

7月19日、新橋SL広場で開催された「れいわ祭り2」においての、ふなごやすひこさんのスピーチ全文です。

ぜひ、ふなごさんの思いに触れてみてください。

そしてよければ、ふなごさんの言葉を拡散してください。

 

よろしくお願いします。

以下です。

 

ふなごやすひこです。

僕は今回の出馬に、文字通り、命をかけています。

僕がなぜ立候補しようと思ったのか。それは、僕と同じ苦しみを障害者の仲間にさせたくないからです。

国会の皆さんは、現場に通用しない穴ぼこだらけの法律があることを知りません。そのひとつが、建築基準法です。

建築基準法には、国民の生命・健康・財産のためと謳われています。

それを作った議員さんたち。

僕が国会に入ったら、僕を無視せず、僕の介助をお願いします。

それが、立法者の役目でしょう。そうではないですか? 聞きに来てくださってる親友の皆さん。

現場感覚の本当の意味の法律の必要性を理解してもらいたい。

障害者が今まで我慢させられてきた、あてがわれてきた法律からはおさらばです。

もっと障害者が自由になれるために。

国会議員の皆さんも親友の皆さんも、いずれ年を取り障害者になります。

僕たちが関わり作る制度が本物になるように。皆さん力をお貸しください。

 

車椅子の皆さんは、ユニバーサルデザインだと言って、デザイン性を重視した点字ブロックにタイヤを取られ、横倒しになりそうになったことはありませんか?

僕はあります。

車椅子はエレベーターにと言われ、大型の車椅子が入れなかったことはありませんか?

僕はあります。

障害者用のトイレに入って、戸が閉められないことはありませんか?

僕はあります。

仲間とレストランに入って、一緒にテーブルにつけたことありますか?

僕は、ありません。

ちょっと考えただけでも穴ぼこだらけです。

こんな簡単なことがわからないのです。誰がこんな片手落ちのものにOKを出すんでしょうか?

国の基準とやらではないのでしょうか? この建築基準法が、時には悲劇を生んでいることを知ってください。

僕がデザインを重視した点字ブロックにタイヤを取られ横倒しになれば、呼吸器が外れ、死んでしまいます。

 

ALSになってから、僕はいわれのない虐待に苦しんでもきました。

ある地方都市の施設に入居していた時のことです。食事が口からとれないため、僕は胃ろうという穴をお腹に開け、経腸栄養剤を処方されていました。保険請求できるものです。しかし、突然「法律が変わった」と言われ、月に5万円ほどの自己負担で栄養剤を購入させられました。結果的に身体に合わず、15ヶ月間もの間、下痢が続き、栄養失調になり、全身がむくみました。強いめまいも起こしました。本来、保険で処方できるものを自費で購入させられ、しかも身体に合わないものを15ヶ月間もの間、処方され続けたのです。

 

週に三回あった入浴も、2回に減らされました。入居者全員が2回に減らされたとその施設の職員から聞かされていたのですが、減らされたのは僕だけでした。手間がかるというのがその理由でした。

 

また、看護課長から口を聞いてもらえぬ日々が続いたこともありました。いく日も、決まって20日間。何が原因かわからないまま挨拶もしてもらえない日々は辛いものでした。

僕は大学で講義するために外出することがあったのですが、施設の帰宅時間は15時と決められており、それ以降は施設に帰ることを認められず、ホテルに泊まらなくてはいけないこともありました。そのため、講義自体を断ったこともありました。

それだけでなく、施設からは病気が進行し、意思疎通ができなくなったら退去するように言われました。

 

こんな施設に入居していられないと思い、一人暮らしを決断しました。

そのため、障害者自立支援法の障害福祉サービスの申請を行いました。障害者が一人暮らしをするにあたってヘルパーを派遣してもらうためのものです。

しかし、市役所からは「すぐには出しませんよ。三ヶ月くらいかかります」と言われました。

皆さん、おかしいと思いませんか?

一般的に、人工呼吸器をつけた人が三ヶ月間、自費でヘルパーをお願いすることができると思うでしょうか?

そもそも、自立支援とは、障害者が自立した生活を送れるための制度です。施設を出て、一人暮らしを始めた時点で適用されなければ生活していけません。

この制度を巡って、障害福祉サービスの利用時間を確保するために裁判を起こしているケースも多々あります。でも、裁判を起こさないと獲得できないなんてことはあってはいけないことだと思います。

結局僕は、180万円を自費で払いました。

 

障害者自立支援法とは、障害者の日常生活および社会的に自立を目指す法律のはずです。

もし、僕が当選したら、今利用している障害福祉サービスは受けられなくなってしまいます。なぜなら、自立支援法と言いながら、職場にヘルパーがついていくことは禁じられているからです。

障害者は働くなということでしょうか?

この部分は、絶対に変えなくてはなりません。

障害者が仕事を持つことこそ、自立支援だと思います。それなのに、歩けない人のお手伝いがなぜ法律で禁じられているのか。全身麻痺でも働ける障害者はいます。能力があっても国の法律で制限されてよいのでしょうか。小手先だけの制度を見直したいです。

 

僕は今、介護関連会社アースの経営陣に参加しています。そこで驚いたのは、介護、福祉の制度がちょこちょこ変わること、そしてケアマネージャーの書類仕事の多さです。本来、利用者の声を聞き、必要なサポートをする人たちがペーパーに追われている。この実態に、制度改革の必要性を強く感じます。

今、ヘルパーの人材不足は、どこも逼迫しています。弊社も言うまでもありません。介護職は、3Kと言われます。きつい、汚い、危険。そして基本給が安い。

そんな声が上がったことから、国は処遇改善交付金をばら撒きました。

しかし、そんなことで介護職の介護離れに歯止めをかけることはできません。今年から導入された働き方改革も同じです。正社員の有給取得を義務づけ、一方でダブルワーク推奨。どこで休みが取れるのですか。有休を使って介護職に他の仕事をさせ、その穴を派遣会社が埋める。最近は、看護職の紹介会社が派遣職員を推奨する傾向になってきていることを皆さんは知っていますか。このシステムは、誰かが得をするように仕向けられているように感じます。

企業は、有休取得を義務づけられたことで、常勤職員の雇用をやめるのではないですか。もちろん、ヘルパーも同じです。

これでは、いつまで経ってもきつさは解消されないんです。このきつさを解消しなければ、障害者や高齢者はいつまで経っても虐待から解放されません。

これまでの経験を生かして、介護職の待遇を改善していきます。

 

そして僕は当選したら、小学校、中学校、高校、大学での、生産性を重んじない、命の大切さの教育導入を約束したい。

 

僕は5年前にも、松戸の市議選に立候補しました。

その時のスローガンを今回も掲げたいと思います。

「強みは、障害者だから気づけることがある」

僕が議員になったら、全難病患者・障害者を幸せにするために働きます。

全難病患者・障害者が幸せな社会は、みんなが生きやすい社会です。

人の価値が生産性ではかられない社会を目指します。

みなさん、力をお貸しください。

 

新刊『雨宮処凛の活動家健康法』

六月末、新刊を出しました!!

その名も『雨宮処凛の活動家健康法 「生きづらさ」についてしぶとく考えてみた』(言視舎 1600円)。

聞き手・構成は今野哲男さん。

 

なぜ「生きづらく」なるのか?

若者はなぜキャラクターを重層化させるのか?

この社会に蔓延する「生きづらさ」に対し 独自の立ち位置で発言・行動を続ける稀代のアクティビストに

「なぜ?」を山ほど抱えるオッサン編集者が素朴なギモンを投げかけ

ゆるくて強い「戦略」を聞き出した

 

目次

第一章   なぜ「生きづらく」なるのか

第二章   雨宮処凛とはどんな人間か

第三章   雨宮処凛の実践

第四章   オウムと北朝鮮

第五章   雨宮流人生相談

 

以下、まえがきの一部を紹介させて頂きます。

 

まえがき

 

「生きづらいなら革命家になるしかない」

 作家の故・見沢知廉は、二〇代前半だった私にそう言った。

 それから十年もしないうちに、彼はマンションから飛び降りて還らぬ人となった。

「革命家になるしかない」と言われて二〇年以上経った今、私は革命家ではないけれど、「活動家」として生きている。主に貧困や格差、生きづらさをテーマとして、作家・活動家として生きている。

「どうしてそのような活動をしているんですか?」

 そんなことをよく聞かれる。そのたびに、答えに窮する。「正義感が強いんですね」「優しいんですね」なんて言われることもある。そんな時、やっと口から言葉がついて出る。「違うんです。正義感でも優しさでもなんでもなくて、私は百%、自分のためにやってるんです」と。

 子どもの頃、飢えに苦しむ貧しい人々の姿をテレビで見て、眠れなくなった。

 一八歳で上京した東京では、新宿駅に溢れるホームレスに言葉を失った。

 平成は「戦争がない時代だった」と言われる。しかし、世界を見渡せば多くの命が戦争で奪われた。9・11テロを受けてアフガンが空爆され、イラク戦争が始まり、それによってイスラム国が台頭し泥沼の状況となり、そして今も、多くの国で内戦が続いている。犠牲になるのは、いつも子どもや貧しい人など、弱い立場にいる人々だ。

 世界はいつも悲劇に満ちていて、そんな悲劇に何もできない自分に絶望を感じていた。自分が何をしようとも何をどう思おうとも、一ミリも世界を変えられないという無力さにも、勝手に絶望していた。それだけではない。学校で、社会に出てから、「人を蹴落とすこと」「競争に勝ち抜くこと」ばかり求められ、出会う人全員が敵かライバルにしか思えないこの社会で生きることにもほとほと疲れていた。だけど、いつからかいろんなことに対して「見て見ぬふり」をすることがうまくなって、「自己責任じゃない?」と自分と切り離してしまえば「楽になる」ことも覚えた。でも、楽になるのはほんの一瞬。

 そんな時に出会ったのが、ホームレスなど生活に困窮している人々を支援している人たちだ。

 彼らは当たり前に「困っている人」を助け、生活再建を手伝っていた。リーマンショックが起きて派遣切りの嵐が吹き荒れれば自分たちの年末年始の休みを返上して「年越し派遣村」を開催した。全国各地で毎週のように炊き出しをする人がいて、生活相談、健康相談に乗る弁護士や医師などの「プロ」がいた。それを支える大勢のボランティアの人たちがいた。

 冬の夜、所持金もなくお腹をすかせて途方に暮れている人が、その日にうちにあたたかい個室のシェルターに入ってほっと一息つく。そんな姿を見て、嬉し涙を流したことは一度や二度ではない。

 格差社会は、多くの人を傷つける。格差の「下」にいる人を傷つけるだけではない。「見て見ぬふり」をしなればならない人も傷ついている。「自己責任」と切り捨てる人も傷ついている。そして「お前だっていつこうなるかわからないんだからな」というメッセージを多くの人が受けとり、恐怖が植え付けられる。

 だけど、「困っている人」を当たり前に助ける人たちを見て、私は心から救われた。それまで、どうせ人間なんてものは自分のことしか考えていないのだと思っていた。だけど世の中には、困っている人に手を差し伸べる人たちがいるのだ。しかも、意外とたくさん。世の中って、捨てたもんじゃないのかもしれない。そう思った時、生きづらさが少し、緩和された。だから自分も、そんな活動に参加してみた。そうしたらまた楽になった。「こんなひどい社会に対して何もできない・しない自分」から、「少しはこの社会をマシにしようと動く自分」に変われたことで、息がしやすくなったのだ。

 だから、「誰かのため」じゃない。自分のため。そして自分が困った時に、誰かに助けてほしいという思いもある。少なくとも、私が誰かに手を差し伸べれば、この世界は「誰もが誰もを見捨てる世界」ではなくなる。

 一方で、自分自身、どこか活動に「依存している」という思いもある。しかし、それは不条理な世界で病まないようにするためのひとつの適応のような気もする。私にとって活動とは、生きるために必要な依存であり、それが二次被害的に誰かの役に立てば、それでOKというものなのだ。

 しかも「活動」は心だけでなく、身体にもいい。やたらとデモに行くので運動不足にならないし、ここ数年、年末年始は越年の炊き出しに通っているので「正月太り」とは無縁。なんと「活動」はタダで美容や健康にも効果ありなのだ。

(続きは本書で)

 

ということで、ぜひご一読頂けると嬉しいです。

 

『雨宮処凛の活動家健康法 「生きづらさ」についてしぶとく考えてみた』

 

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