奄美諸島駐留日本陸軍(含む沖縄脱出兵)の復員について(4) | 鹿児島県奄美諸島の沖縄戦

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 九回目に復員が確認できるのは、一二月一〇日である。「金十丸」に乗船して奄美大島古仁屋から鹿児島に復員している。この時の復員部隊は大きく二つのグループに分けられる。一つは奄美諸島に駐屯していた部隊、もう一つは沖縄本島に駐屯していたはずの部隊である。

 前者は独混二二連隊(一六四名)、独混二一連隊(四七名)、独混六四旅(四名)、第三二軍陸勤務隊(二名)、第三二軍野戦兵器廠(三名)、第三二軍電波警戒隊(一名)、特設警備工兵(五名)、電信第三六連(二名)である。(『週報綴』五四七~五四八頁)

 後者は独混四四旅二歩(七〇名)、第三二軍司令部(一名)第五〇四特警工(一名)、要塞建築勤ム六中隊(八名)、独立重砲百大隊(一四名)、沖縄連隊区司令部(一名)、第五六飛行場大隊(四名)、十九航空司令部(四名)、飛行第六七戦隊(一〇名)、飛行場第三野隊(四名)、飛行第二〇戦隊(一名)、第五〇飛行場大隊(一名)である。(『週報綴』五四七~五四八頁)

 前者の独混六四旅は各連隊とは別になっているので、旅団司令部だろう。第三二軍陸勤務隊は陸上勤務第七一中隊のこと、第三二軍電波警戒隊とは第三二軍航空情報隊第二警戒隊のこと、特設警備工兵は第五〇一特設警備工兵隊のことだろうか。

 後者の独混四四旅二歩は独立混成第四四旅団第二歩兵隊、第五〇四特警工は第五〇四特警工兵隊、要塞建築勤ム六中隊は要塞建築勤務第六中隊、独立重砲百大隊は独立重砲兵第百大隊、十九航空司令部は第十九航空地区司令部のことである。飛行場第三野隊がよくわからないが、前後の部隊名から推定して飛行第三戦隊のことと思われる。

 後者の部隊のうち、独立混成第四四旅団(以下、独混四四旅団と略す。)第二歩兵隊は沖縄本島北部と伊江島、第三二軍司令部と沖縄連隊区司令部は沖縄本島南部、第五〇飛行場大隊が伊江島に配備されていた。それ以外の隊は沖縄本島中部・北部に配備され、米軍の北上に伴い国頭山中に追いやられた。つまり本来は奄美諸島にいるはずのない部隊である。

 また飛行第六七戦隊・飛行第三戦隊も沖縄戦に巻き込まれていた。飛行第六七戦隊は一九四四年七月から九月にかけて、徳之島及び沖縄本島に展開していた。その関係で一一月頃に南方進出のため鹿児島を出発した百五十名が、那覇に到着したが前進不能のため沖縄に残留した。(註1)

 飛行第三戦隊も一九四四年六月から一〇月にかけて、沖縄本島に展開していた。渡辺萬准尉以下六七名が沖縄本島に残留し、本島中部・北部で地上戦を戦った。(註2)残る飛行第二〇戦隊は明確な記述はないが、一九四四年六月から八月にかけて、沖縄本島に展開している。(註3)おそらく他の戦隊と同様に、残留員が地上戦に巻き込まれたのだろう。

 では後者の隊員がなぜ奄美諸島から復員したのだろうか。これは彼らが戦場を離脱し、沖縄から奄美諸島へ脱出したからである。奄美諸島与論島には沖縄からの脱出兵が相当数たどり着いていた。彼らは一部を除いて沖永良部島に集められ、陣地構築作業に従事した。その人数は七月中旬頃には約百三十名と言われる。(註4)後者の人数を合計すると一一七人となり、非常に近い数字となる。後者の隊員は沖永良部島等から移された沖縄脱出兵だったのである。

 ただし前者に分類した中でも、第三二軍陸勤務隊、第三二軍野戦兵器廠、第三二軍電波警戒隊、特設警備工兵、電信第三六連は後者の可能性もある。同じ名称の部隊が奄美諸島にも沖縄本島にも展開していたからである。これらも含めれば百三十人となる。先述の人数に非常に近い数字となる。

 沖縄脱出兵一一七人の中心をなすのは、独混四四旅団第二歩兵隊で約六割を占める。次に多いのが独立重砲兵第百大隊の一四名、飛行第六七戦隊の一〇名である。独混四四旅団第二歩兵隊の多さは突出している。同隊は沖縄本島北部に配備された部隊では最大の部隊なので多いのは不思議ではないが、それにしても突出して多い印象を受ける。

 さらに沖縄脱出兵の中には、沖縄本島への刳船による逆上陸を目指す「沖縄奪還刳船挺身隊」に編成された者もいた。一二月一〇日に復員した中に、新名忠中尉と岩波常男少尉の両名が含まれていた。彼らは「沖縄ヨリ脱出シテ大島ニ至リ「沖縄奪回隊」ナル部隊ヲ編成」していた。(『週報綴』五四五頁)新名中尉は第十九航空地区司令部所属(註5)、岩波少尉は第五六飛行場大隊所属(註6)として、その名前が他の資料にも見える。

 第十九航空地区司令部は略歴に、一九四五年七月一六日に与論島移駐、七月二二日に沖永良部島移駐との記述がある。(註7)同隊が部隊としてまとまって奄美諸島に移駐した事実はない。略歴の作成に関わった元隊員(脱出した本人)が沖縄本島脱出を命令による移駐として、自分の行動を正当化した可能性がある。もしくは脱出時に指揮官から補給・増援の要請等の命令を受けていた可能性がある。略歴作成に新名中尉が関わった可能性もあるだろう。

 

(註1)防衛研究所戦史研究センター所蔵『陸軍航空部隊略歴(その二)』 一七〇七、一七〇九頁

(註2)防衛研究所戦史研究センター所蔵『陸軍航空部隊略歴(その一)』 一四二七~一四二九頁

(註3)前掲註2 一五二一頁

(註4)篠崎達男『奄美での戦中の日々 奄美守備隊戦記』(奄美戦記刊行会 一九八四) 二七二頁

(註5)防衛研究所戦史研究センター所蔵『日々命令綴 第十九航空地区司令部』 八五頁

(註6)防衛研究所戦史研究センター所蔵『第五十六飛行場大隊陣中日誌 昭和一九・五・一四~一九・五・二一』 六八三頁

(註7)前掲註2 一三三一頁