奄美諸島駐留日本陸軍(含む沖縄脱出兵)の復員について(5) | 鹿児島県奄美諸島の沖縄戦

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 一二月一二日、西部復員監から大臣あてに、独混六四旅団が一二月三日で復員を完結したとの電報が打電された。旅団は残務整理及び軍需品等の引き渡しのため、健軍兵団特設司令部を編成し、これらの任務に従事自他。(註1)独混二一連隊・独混二二連隊共に一二月一日に復員完了(註2)し、重砲六連隊が一二月九日に博多湾上陸復員完結(註3)との資料があるが、これらとも齟齬がない。

 またこの日は奄美大島陸軍病院が一〇日に古仁屋を出航し、一二日に鹿児島に上陸、一三日に復員完結したとの資料がある。(註4)病院は入院患者を収容しているので、復員が奄美諸島の部隊の中でも終盤になったのかもしれない。

 一二月一二日の電文では独混六四旅団の指揮下の部隊の復員完結は明確ではないが、「在奄美群島兵力ハ司令官以下約三四〇ニシテ米軍ノ復員許可セザル将校約七〇ヲ含ミアリ」(註5)とあるので、この頃までには大部分が復員していたと思われる。

 約三四〇名は奄美諸島での残務整理等で残ったのだろう。「米軍ノ復員許可セザル将校約七〇」はよく分からない。米軍は奄美諸島でも守備隊の守備体制の調査や捕虜の取り扱い状況の調査等を行っているので、それらに関係するかもしれない。

 このように『週報綴』によると、一一月七日から一二月一〇日の間に、九回に分けて奄美諸島からの復員が確認できる。ただしその他の資料と復員日に齟齬があるので、『週報綴』に載っていない復員があった可能性は残る。

特に独混六四旅団は一二月一〇日までの復員数が旅団全体で三一〇〇名となる。一二月一二日に奄美に残っていた三四〇名を除いても、二六六〇名がいつ復員したか不明である。現地召集解除者を除くと、その人数はもう少し減るだろうが、それらの復員時期の特定は今後の課題である。

 また本稿では当初は予期していなかったが、沖縄脱出兵の人数を始めて公的資料で把握することができた。『週報綴』から推定される人数は、一般的に言われていた沖縄脱出兵の人数とほぼ一致した。沖縄脱出兵の多くが沖縄本島北部・中部の部隊の将兵であり、中でも独混四四旅団第二歩兵隊の比率が多いことが判明した。

 沖縄脱出兵は沖縄戦でも、実態が不明な部分であった。そこが今回判明したことは、沖縄戦中の奄美諸島の実態解明の一歩となったと考えている。

 

 

(註1)防衛研究所戦史研究センター所蔵『一復来電綴 昭和二〇・一一・二四~二一・一二・九』 二九九頁

(註2)防衛研究所戦史研究センター所蔵『南方・支那・台湾・朝鮮(南鮮)方面陸軍部隊(航空・船舶部隊を除く)略歴 第四回追録』 三九四・二五三、二五五頁

(註3)防衛研究所戦史研究センター所蔵『南方・支那・台湾・朝鮮(南鮮)方面陸軍部隊(航空・船舶部隊を除く)略歴 第二回追録』 一八七一頁

(註4)前掲註2 二五一頁

(註5)前掲註1 二九九頁