先日こちらでご紹介した、
 
徳之島のAさんからご紹介いただいてた、
 
「徳之島のノロの血筋の超スゲェ人」
 
今日、とある失くしものを探してたら、
 
ボロボロの紙袋から出てきた(笑)
 
そういえばこれ、10年前に知らない人がいきなり訪ねてきて
 
「アマミキョさんですか!?
どうぞ!差し上げます!」
 
って置いていったわ。
 
その中身ってこれだったのね!!!
(中身も見ずにしまってた。くださった方すみません)
 

 
 
というわけで読ませていただきました。
 
内容は、極めてまっとうな、「天から召命されたシャーマン」のお話でした。
 
この方のご精進の道には、本当にすごすぎて言葉がでません。
 
 
 
 
 
 
 
ここから先は、あくまで私個人の野暮な補完。
 
薩摩だけじゃなく、
 
琉球王朝だって奄美を侵略した側ですからね?
 
(喜界島は本土からの支援を受けて20年琉球軍に抵抗した記録がちゃんと残ってます)
 
結果的にすごく不思議なんですが、
 
昨日私が書いたノロへの憶測ノロ祭祀についてメモが、
 
この御本にはそのまま載ってた(笑)
 
 
 
だから琉球が偉くて薩摩が悪いという、奄美の一部の人によくある理屈は、私には不毛に見える。
 
琉球も薩摩も同じく奄美から奪った側だからです。
 
 
 
でもそれは、琉球と薩摩だけが悪いのではない。
 
結局のところ、その時の奄美が弱かったんです。
 
南西諸島の遺跡で見る限り、琉球王朝成立時より百年前には、喜界島の方に明らかに琉球より大きな勢力がいたことが証明されています。
 
(つまり琉球王朝成立以前には奄美側の方が栄えていたことが歴史的に証明されている)
 
なのに、なぜそれを語るノロやユタが現れなかったのか?
 
答えは一つであり、「より現在目に見える華やかな王朝という物語に依った方が権威が分かりやすい」ということですね。
 
さらにいえば「消えた過去の歴史を語るより、今ある権威に依拠した方が人々からの信頼を得やすい」とも言えますでしょう。
 
私はそこに、人の記憶と依拠する歴史観の限界を見ます。
 
 
 
 
 
そこから見える事実は、
 
勢力図が変わったというシビアな歴史の事実です。
 
だから、大きな目でみれば、誰が侵略したとか、誰が歴史を奪われたとか、そんなことは奄美もやっていたことかもしれません。
 
結果的に奄美が侵略されたのは、歴史が失われたのは、
 
奄美が弱かったからです。
 
では奄美はこれから何で戦うのか?
 
奄美における民族の寄る辺とは何か?
 
それこそ、私は「和合の道」としての「姉妹(ウナリ)神信仰」だと思うんですね。
 
 
 
 
 
姉妹神信仰は、男の世界を決して否定しません。
 
だから、軍隊も否定しません。
 
姉妹神は男(兄弟)を守るのが仕事です。
 
だから、女は男のため、家族のため、国のため、祈るのが仕事です。
 
男は腕力で女を守り、女は霊力で男を守る。
 
これが端的な男(兄弟)と女(姉妹)の関係です。
 
この思想のどこに、軍隊(国を守る男達)を排除する考えがあるのでしょうか?
 
その上で、女の祈りは男の上に立ち、
 
神と一体となることで、神の言葉・・・進むべき方向性を男に伝えます。
 
女の世界は調和と和合であり、
 
争いをなるべく小さきところでおさめようとするものです。
 
だから、古代は各集落に男達が体を鍛える相撲場があり、
 
男達はいざという時の有事に備えていて、
 
しかし、集落同士の争いの時には、女性神官ノロが先頭に立ち、
 
ノロ同士の呪術合戦で勝負を決していた部分もあったのではないかと思います。
 
(伝承に残るノロ同士の呪術合戦は、集落の代表としての側面が大きかったのではないかと思われる)
 
 
 
姉妹神信仰とは、女が男を立て、男は女の霊性の優位を敬うという、独特の精神文化でした。
 
物理的に家(集落)を守るのは男でしたし、祭りや行事は男達の華やぐ場で、それを裏方で支える女性達がいましたが、
 
祈りによって霊的に家(集落)を守るのは女の仕事であり、家庭内や集落内での神事の時、男たちはひれ伏して、神の寄り代となった女を迎えました。
 
男が女を守るのが当然であるように、
 
女が男を守ることは当然のことでした。
 
この腕力(ちから)と霊力(いのり)のバランス、目に見えるものと見えぬものの相互の価値の尊重、社会生活と精神性と霊性(信仰)の調和こそが、
 
姉妹(ウナリ)神信仰であり、南西諸島の誇るべき精神文化でありました。
 
私は今一度、この古代より南西諸島に連綿と受け継がれてきた精神文化を、
 
奄美大島から日本にそして世界に掲げる必要があるのではないかと、信じております。
 
 
 
 
 
 
というわけで、今年も大奄美主義でいきます(笑)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
こんな本もありました。
つくづく10年前うちにもってきてくださった方はどこからこんなマニアックな御本を仕入れたんだ?
まだ読んでないけど、あとで読みます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
よく考えたら、姉妹神信仰は、主となる神の教えがないので、やはり外枠にはなっても中心軸にはなりえないんですけどね。
その意味で、信仰の主軸となっていたのはやはりノロであり、ノロが拝んでた神々なんでしょうね。
つくづく秘教的文化だった奄美・琉球の信仰体制が悔やまれる。
私のところにきてた和歌もどきというか神歌は、
「大国主」を「四国」だと言ってたので、
相当古い霊なんだなというのは分かる。
(私がその霊示を受けた当時、大国主が四国発祥だとは知らんかった)
「奄美の巫女が長年敬い祀っていた四国の大国主」の再臨存在が、「エル・カンターレ(大川隆法)」だと言いたいらしい。
(神歌の霊が言いたいことなので、事実かどうかはわからん。たぶん同一人物というよりは、信仰に値する偉い人が再び現れたという意味で使ってるんだろうと推察)
それって一体どんだけ昔なんだろう????
てゆーことは、四国に大国主がおられた時代は、奄美も四国の大国主と無縁ではないということですよね?
こういう霊示他に受けてるノロ系とかユタ系の方いませんか~!!!!
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