注・本内容は以下記事の補論にあたります。
補論①はこちら。
というわけで阿波国太龍寺縁起となります。
太龍寺はこちら。
太龍寺 (空海が管長をしていたお寺。通称「西の高野」)
空海の著作『三教指帰(さんごうしいき)』でもここで若き時分に修行を重ねていた様子が書かれているそう。
太龍寺縁起自体は、10~14世紀に書かれたものと推定されているので、正確には開基からの口伝も混ざってると理解するとよいかと思われます。
以下は野崎が意訳した内容となります。
徳島の信者さんからいただいた太龍寺縁起の翻訳文を、さらに野崎が現代語に意訳いたしました。
間違ってるところも多々あると思いますので、決して鵜呑みになさらず、出来ますれば原文もしくは翻訳文を直接丁寧に読まれることをお勧めいたします。
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阿波国太龍寺縁起
仏を祀りし寺多いといえど(この地の歴史は)、
ある時は世界の始まりのその時に現れた徳の力振るう。
またある時は仁王即位以後、代々の大君の御代において当地はご宿所となりて助けとなり、
そのおかげによって勅命をいただき、朝廷の命によりこの霊地を賜る。
またある時は信仰者の貴賤の区別なく受け入れた初めての地であり、その結果大きく盛り立てられた。
またある時ははるかに古い高祖の作法を用いて仏を祀った菩薩像を安置した。その菩薩は生前大変な修行をして大成された。
修行者(菩薩)は一念発起して多くの人々の志を集め、徳を積ませ悪業を減らさせて信仰に向かせた。
今あげたそれぞれの歴史の地こそ阿波国那賀郡舎心山太龍寺である。
天神七代のうち六世にあたるオモタル、カシコネが降りたホツマ国とはここのこと。
七代目のイザナギ・イザナミが降りたる神の宮に、国生み八島あり。まず淡路州を生む、これを淡道穂狭別という。
つぎに伊与産む二名州あり、一身四面あり。
一に愛止比売(愛媛)と言い、これを与州と言い、ニに飯依比古と言い、これ讃岐国であり、三に大宜都比売と言いこれ阿波国なり、四に(建)依別と言い、これ土佐州なり。
元々は伊与二名国であるが、人の名のように二つの名を称すと言われる。
四国の名のうちこの大宜都比売は天神であったため、相応にイザナギ・イザナミの宮に入りお会いできていた。
天地開闢により神々しき二神のおかげにより金雲から大雨が降り濁流となり泥が固まり世界が建てられた。
(神々しき世界を建てられた時の壮大な表現が続く。省略)
尊き神が名を表し、天にその名が広がった。
天から降りて地上に王となる。その方こそオシホミミ。
世界のすべての王族がこの天上からの王であるオシホミミの誕生を祝った。
非常にありがたい天照大神の孫神であり、自ら世界の東王の名を冠し、天上の大いなる四方の王の末裔となる。
この日本国は世界開闢の大本であり、世界すべての種である。まさに世界はこの日本から五穀の種が広がり実った。
保食神(食べ物の神)となり存在する地であるから。
尊いことに天照大神の直系の王族は今も尽きていない。まさに目の前に天照大神がおられるように。重く敬うべきだろう。
この国土は長く神への信仰によって人々の心は慈悲に満ち正直柔和だった。けれども世が下るにつれて下劣な人々もある。
だから神や先祖や親への孝心を奉じさせ、用いさせ、心を高めさせるべき。
世界開闢の当時は空を自在に飛び体は光り、男女は同じ体をしていて美しかった。すべての地は豊かだった。
だが奪い合い食すことで人々は光を失い神への道を失った。
仕方ないとしてもこの神の宮のある国(阿波国)においては尊き天照大神の道を学び国の基となっている。だからここでは祈りを捧げ世界を鎮めている。
この地は長く恩恵を受けてきた。ご慈悲が尊く言葉にできないほどだ。
時代が下りここにおいて太龍寺として本尊とする。
神の前にて日月星を拝むはこの世の利益のためではなく、心の柔和正徳を学び祀るべき。それによって聞く人々の心をとどめ(己の心身を布施し)、一切衆生を救うことができる。
果報、福智、愛の三徳故にこの地の名は舎心(人々の心をとどめる・もしくは我が身を布施するの意味)とされた。
かつては本堂は無く、本尊は虚空蔵の舎心石の安坐を示す場所のみだった。
空海は神代まで学び金剛遍照、繰り返し(五十回?)山に登り、繰り返し(百日)修行し護摩行すること三十五日で満願成就する。
神の道を理解し護摩を納める。同じように神楽を五回、護摩三十五日で大徳を成就し修行を終える。(修行の過程が続く。省略)
その日帝釈天の姿を見、不動尊のお顔を作りたもう。空海両手もったいなく大神宮を作る。両賓童子を作る。五身あり、衣体を作り奉る。空海の両足、鷲敷一殿大己貴尊を作す。
この不動明王を同胞に見せ奉る。このお力によって無病息災は疑いようもない。
また金剛の登山日より本堂閣を新たに空海の峰と聞き伝える所と造らしめる。
かつて神武天皇、九州宮崎宮より大和国に入られた時、五月十六日この舎心山に行幸あり。
舎心の山の明星、御影向石(神仏を顕す石)に通じ、明星に礼拝したもう。供として連れた公卿数人、また兵隊達、蹲踞す。低頭し明星を祈る。
神武五十四年、明星出現あり。光り輝きながら地に降りる。五寸の虚空蔵となって、舎心峰の磐座を示す。
その円い光の連なりは三十五に及び、その輝きは天地に及び、その光が集まる場所に閼伽水(功徳水)が湧き出た。和修吉龍王が守護し常住する。
(舎心山から)西南方に当たる地を鎮め三十二町、三十二の霊地あり。
神代のイザナギ・イザナミ、尊き尊を産み、祝いのうえに三柱の男神を産む。
三柱の生まれたうえに蛇あり。蛭子は障害を持ち、船に乗せて大海原へ放し捨てる。
和修吉竜王、蛭子を拾いて養育す。自らの領地を授け、売買を主とし人々を豊かにした。
人々に愛敬された神の名をエビスと奉る。今は鷲敷神社にあり、その時船に乗った上で長く鎮座する地とした。
また鎮まりし神社の南殿には三柱の神があり、尊き天照大神宮の鹿島一御殿、春日大明神、ならびに天照大神宮の第一の稚子神(野崎注・ワカヒメとも解釈できる。ワカヒメは稚日女尊)。
中殿西宮には愛敬戎三郎神を祀る。
坎殿(北殿?水殿?)には三柱の神あり。白山の弁財天、三輪の大己貴尊、閼伽水の守護として祀る。
(これまでのまとめの説明文につき省略)
これひとえに尊き天照大神宮の御正勅によってなされる。
(よって太龍寺においては)一度の参拝によって仏縁により認められ、豊となり子孫は栄える。寿命は延び無病息災の徳をいただく。
天長二年歳次乙巳、六月二日より空海は深い瞑想に入る。七日に修行を終える。さらに五日巳の時、帝釈天が青白童子を引きつれ、御姿を現す。
金剛遍照は語る。
とうとくも天照大神宮の勅命を賜り、神の御姿をいただいて当山の再興が成就できた。
神の願いを供に喜ばせていただき、この山の開闢以来の場所に祀らせていただくことができた。
はるかなる昔より今にいたり新しい願いあり。
再興成就が円満にできて不動明王は三界のために舎心山明星石を守る者なり。
我は尊き天照大神の信仰を擁護する者なり。
尊き天照太神宮に毎日祈れば神が御姿を現し、恩寵を賜るに至る。
されば大弁財天女十五童子、戎愛敬神、たちまち守護をいただく。
草木すべて種を絶やさず万民にくださり衣食を支えてくださる。
この山は和修吉竜王と婆竭羅龍が守護しておられる山であるから。
(野崎注・和修吉竜王とはシャンバラの守護龍。婆竭羅龍は八大龍王の一尊で善女竜王の親)
この霊地において龍神に直接言葉をいただき誓うのは、これから先未来尽きるまで燈明を掲げ祈ること。
すべての衆生を悪なる道に落とさぬよう固く誓約する。
このように信仰の言葉をありがたくも天照大神宮の額字をいただきたいと願う。
ありがたくも天照大神宮は勅宣を返してくださり、龍神の御姿となってこの霊地を守護してくださる。
我は守護をいただく場所の者なりと、太龍寺と号し奉る。
帝釈天の御姿を献上せよとの勅をいただいて、四天王の中の毘沙門天の御姿を帝釈天に献上した時に、広目天が筆と硯をとらせた。
帝釈天舎心山居三字を空海に賜った。
あまりにもありがたいことで、感動の中で三字を奉書したのが太龍寺額である。
今から当山において本求聞持を奉らねば滅亡すると知るべきだろう。
帝釈天が天にお帰りになられたあと、大きな恩恵に報いるべく祀らせた。
北方五十町離れた町からも毎夜参詣し祈っている。
天地の平和のため、すべての衆生の求める所、平和無病延命であり、仏法を学ぶ人との境である、常なる安心安全と生活の繁栄である。
天長二(八二五)年歳次乙巳六月十三日
金剛遍照 啓白
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以下説明。
・太龍寺敷地は代々の大君(天皇)の宿所となっていた
(それなりの由来があるということ)
・世界の始まりは日本にあるとしている
(ホツマツタエ通り)
・天神六代オモタル・カシコネを古事記のような「宇宙にある神」ではなく地上にある為政者として書いている
(ホツマツタエ通り)
(古事記史観ならイザナギ・イザナミの前に国は存在しません)
・思い切りホツマツタエにしかない描写をしている
(「磯輪上に居坐す秀真国」)
・四国にイザナギ・イザナミの宮があったと書いている
(新事実)
(文脈から見てオモタル・カシコネやイザナギ・イザナミの宮も太龍寺敷地内ではないかと推察)
・「人の名のように二つの名を称す」
(これはホツマツタエにしかない。イヨツヒコとアワツヒコ)
(古事記的に解釈すると四つの名前なので矛盾する)
(たとえば「阿波国=大宜都比売」で二名なら四国以外の別の場所でも同じなのでとりたてて書くことではない)
・四国の名のうち阿波国の大宜都比売のみ天神であったためイザナギ・イザナミの宮に入りお会いできていた
(新事実)
・オシホミミが特別な存在として描かれている
(新事実)
・日本が世界における保食神(ウケモチ=食べ物の神)であると書いている
(阿波国の神は保食神・大宜都比売であるので、関連性を示唆している)
・神武天皇が行幸し祈りを捧げたとある
(新事実)
・イザナギ・イザナミに五人の御子がいたと描写されている
(ホツマツタエにしかその事実はない)
(最初の子である捨て子風習の対象となったヒルコ=ワカヒメと、流産した次子ヒヨルコを意図的に混同されている)
・イザナギ・イザナミの捨て子ヒルコを和修吉龍王が拾い育てる
(古事記では捨てられたあとの描写はない)
(この描写はホツマツタエにしかない)
(イザナギ・イザナミが捨て子風習によって我が子ヒルコを育てさせた家臣はカナサキ。のちに住吉大神とされる神)
(エビス(事代主信仰)と意図的に混同されている)
(これもホツマツタエによる阿波国の歴史を見れば一端が理解できる。阿波国は4代目事代主ツミハから支配下におかれている)
・エビスを祀る鷲敷神社(野崎注・鷲敷町は太龍寺の麓町)の南殿に本物のヒルコである稚子神(ワカヒメ)を祀っている
(分かってやってるとしか思えないチョイス)
・エビスを祀る鷲敷神社北殿に白山弁財天を祀っている。白山弁財天とはキクリヒメであり、ホツマツタエではイサナギの姉
(アマテルの伯母であり、生まれたばかりのアマテルに大日靈の名を聞き取った女神)
(ヒルコ=ワカヒメにとっても伯母)
このように、「阿波国太龍寺縁起」はホツマツタエをベースにしているとしか考えられない内容でした。
本論で述べた
「高野山で祀られてる天照大神は男神(古史古伝の中で天照大神を男神と定義してるのはホツマツタエのみ)」
と言い、高野山総鎮守・丹生都比売のご祭神が阿波の月読一族とワカヒメであることと言い、
明らかに空海上人や、太龍寺の歴代管長達がホツマツタエ神道史観であったことの傍証となり得ています。
ホツマツタエでは高野の地に出たハタレの霊達を鎮めたのが、当時阿波領主であったイブキドヌシ。
その功績により朝廷より『高野守(タカノモリ』の称号を受けました。
イブキドヌシはツキヨミの息子です。
ちなみに丹生都比売は朱丹=水銀の神ですが、太龍寺のすぐ目の前には日本最古の水銀鉱山遺跡・若杉山遺跡があります。
水銀が加持祈祷(神仏への祈願)には欠かせない『霊薬(霊石)』であることは密教のプロの方ならご存じですね。
つまり水銀の神丹生都比売=ヒルコ姫(和歌姫)は、空海にとって非常に重要な女神だったわけです。
ホツマツタエを知る人間から見ると、丹生都比売(ヒルコ姫)と狩場明神(イブキドヌシ)が祀られてるって、とても胸が熱くなる思いですよね。記紀からは消されてる存在であるだけにね。
以上、野崎による「阿波国太龍寺縁起」解説でした。
つかやんさんが書いてくださった丹生都比売=和歌姫とその解説はこちら!!!つかやんさん、ありがとうございましたー!
霊力を持つ歌の神であるヒルコ(和歌姫)が、何故霊薬水銀の神になったのか、この経緯も気になりますよね。
いつか紐解けるといいなぁ。
ヒルコの弟ツキヨミが後に霊水(若水)の神になっていることといい、記紀によって消されてる部分は多いですね。






