女性の袴の歴史〜袴は元々下着でした。下着シリーズ① | 今様小袖(いまようこそで)〜対丈着物遊び〜

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江戸時代初期までは普通だった対丈(マキシ丈)着物。
着物は元々はマキシの巻きワンピ。
これなら楽で簡単に着られる、と気付いちゃった管理人がお届けする
着物遊び、着物スローライフの日々のおはなし。

今日は女性の袴の歴史ですおねがい

 

すっかり卒業式の着物として定着した袴姿。

実は袴は元々貴族女性の下着でしたびっくり

 

 

 

日本は古墳時代から長い間ツーピースで、

 

男性は衣褌(きぬばかま)

 

女性は衣裳(きぬも)、と言う姿でした。

 

衣は上着、今で言うトップスで、

 

褌はズボン、裳はスカートです^ ^

 

 

 

中国の影響で衣服の様式が変わった

 

奈良時代でも変わらずツーピースでした。

 

 

高松塚古墳の壁画などで知られている

 

奈良時代の宮廷の女性の服装なんて、

 

ジャケットにロングスカートですよね😆

 

 

で、あのロングスカート『裳(も)』の下に、

 

女性は袴(ズボン)をはいていました。

 

今ならペチパンツと言った所でしょうか。

 

 

 

平安時代になって上衣の丈がどんどん伸び

 

いわゆる唐衣裳姿(十二単)となって

 

上着の裾を引きずる様になると、

 

ロングスカートの裳は、

 

スカートとしては着用出来なくなり

 

平たく後ろにトレーンを引く形になります。

無理に裳をつけなくても良いんじゃ?うーん

 

て思いますけれども、

 

奈良時代の衣服令と言う法律で

 

裳が正装アイテムと定められていたので、

 

何とか身につけようとした模様🤣

 

 

 

で、ぐる〜っと下半身を覆っていた裳が

 

下半身を覆ってくれなくなり、

 

下着だった袴が見える様になります。

 

 

見える様になった以上仕方がない、

 

とばかりに下着だった短い袴は、

 

長〜く足を覆って裾を引きずる形になり

 

実用かつ装飾的な

 

十二単の重要アイテムとなりました。

 

 

 

なのですが、どう見ても

 

この装束、めんどくさいですよね❓

 

 

 

で、省略が始まります😆

 

 

室町時代になると、

 

平安時代ならほぼ下着姿❗️と言って良い

 

小袖に袴だけの姿が、

 

貴族の女性の間でも日常着になります。

 

 

 

そしてとうとう室町時代末期には、

 

女性の装束は貴族女性も一般女性も


み〜んな小袖に帯だけの形になり

 

袴は着られなくなってしまったのです。

 

 

 

人間、

楽な方が好き

って事ですよね〜🤣

 

 

 

とは言っても、貴族や武家の女性は

 

小袖を豪華に重ねて、

 

いわゆる打掛姿をしていましたし、


宮中での礼装として


十二単は残り続けましたがおねがい

 

(↑打掛姿。当時の形とは少し違いますが、こんな感じ)

 

 

 

そんなこんなでこれ以降宮中での礼装を除き

 

女性の装束から袴が消えてしまいました。

 

 


それから数百年。明治になって、


一般の女性の装束に袴が現れます。

 

女性が学校に通う様になったからです。

 

 

 

学校が椅子に机と言う、

 

西洋風の環境だったからおねがい

 

 

 

つまりですね、

 

椅子に座ると着物の裾が開いちゃうから

 

それをカバーしたくて袴が採用されたと🤣

 

確かに着物の裾が見えなくなりますね。

 

 

なのですが、

 

女が袴をはくなんて❗️

 

なんて当時は言われたそうです。

 

 

女性の装束から袴が消えて

 

数百年経っていますからね〜💦


そもそも袴は貴族女性の装束アイテムで


一般女性には袴をはく習慣自体が


ありませんでしたし。


 

それに、当時の人にとっては

 

袴は男性の正装アイテム。

 

最初は男性の袴を着用した事もあって、

 

大変バッシングされたそうです💦

 

 

その後、紆余曲折がありつつも明治の半ばに

 

制服として『女袴』が続々と採用され、

 

女学生の代名詞の様になりましたが、

 

洋装化が進んで着用されなくなり、

 

現在に至りますおねがい

 

 

 

 

ところで、この制服として採用された女袴、

 

ズボン形ではなく、スカート形でした。

 

何か思い出しませんか?

 

そう、スカート形と言えば、裳です。

 

昔の、女性の正装アイテム。

 

 

 

実は平安時代に、

 

奈良時代の裳の様なスカート形の

 

湯巻(ゆまき)・裳袴(もばかま)と言う

 

アイテムが登場しています。

 

湯巻は元々は宮中でお風呂のお手伝いの時

 

腰に巻いた言わば短いエプロン。


裳袴は湯巻とほぼ同じ形で、


一般の人が小袖の上に巻いた腰布です。

 

どちらもだんだん丈が長くなって


区別が付かなくなり、

 

最終的に奈良時代の裳と平安時代の袴を

 

足して2で割った様な形になりました。

⬆️日本の女性風俗史より


そのため簡易な、裳の代用として一般化して

 

一時は準礼装の扱いにまでなったのですが、

 

小袖に帯だけの姿が定着する

 

室町時代の半ばには姿を消してしまいました。

 

裳も袴も要らなくなっちゃいましたからね💦

 

 

 

この湯巻(裳袴)と明治の女袴、どちらも

 

簡易なトップスにスカート形のボトムスと、

 

ほぼおんなじ着姿ですし、

 

成り立ちも良く似ていますおねがい

 

 

私的には、明治の女袴は

 

湯巻・裳袴のリバイバル

 

なのですよね〜。

 

 

湯巻は元々は濡れ防止の為のエプロンで、

 

明治の女袴は裾が開くのをカバーする為。

 

どちらも実用的な理由ですね。

 

 

 

洋装化で姿を消してしまった女袴ですが、

 

今また卒業式限定な感じではありながら

 

再び注目されて来ていますおねがい

 

 

女性のハカマ(つまりボトムス)、

 

消えては現れを繰り返す、

 

なかなかの生命力じゃないですか❓😆

 

 

 

 

ものすご〜くざっくり言いますと。

 

女性の袴は身分の高い女性の下着から始まり

 

正装アイテムに近い形になって、

 

衣服の簡略化に伴って姿を消し、

 

生活様式の変化(女学校)で再登場して、

 

又もや生活様式の変化(洋服化)で

 

姿を消した訳ですが、

 

現在ファッションアイテムとして新たに

 

進化し始めている様に思います。

 

 

あのスカート形のアイテムは

 

着物を着る幅をとっても広げてくれる。

 

そんな気がしませんか?ラブ

 

 

 

女性の袴、これからどんな発展を遂げるのか

 

とっても楽しみなアイテムですラブ

 

 

 

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