トミカやプラレールが大好きで、一緒に遊びたいのだと思っていました。
だからわたしたちの手に持たせるのだと。
【前回の記事】第8話「1才後半、目と目は合っているけれど」
【最初の記事】第1話「生後0日目~退院までの様子」
「たまにはひとりで遊んでほしいよ」パパはいつもそう言いました。
この遊びには暗黙のルールがあって、ヒルマの思う通りに動かさないとひどく叱られるのです。
同じルートをくり返し走らせるだけの遊びは、大人には苦痛な作業でした。
でもひとりで遊ぶより、こうして人と関わって遊んだ方がいいに決まっていると信じていました。
なので、がく然としたのです。
それが人を巻き込んだこだわり行動で、生きた人形を相手にした「ひとり遊び」だと知った時は。
わたし、あんなに頑張ったのに・・・。
【つづきを読む】第10話「2才、気がつくと孤立していた」
最近読んだこちらの記事が、まさにヒルマそのものでコーフンしました(笑)
『近くにある手は自分の手のひとつとして好きに使ってしまう』など、あのためらいのなさはそういう理由だったのね・・・と。
家で遊ぶときはこんな風にべったりと支配されていたので、そのしんどさからパパが思いついたのがYouTubeで車や電車の動画を見せる作戦でした。
動画を見ている数分だけは、ヒルマから解放されました。
発達障がいの子どもは同じ遊びをくりかえしたり、おもちゃを一列に並べることにこだわったりする─と本で目にしたのですが、
それがヒルマに当てはまるとは思いませんでした。
たしかに車や電車のおもちゃは大好きですが、お絵かきをしたり、ねんどをこねたりと、他にも楽しく遊ぶ様子を見ていたからです。
まあ、最終的に、お絵かきでは線路を描かされ、そのうえを紙に書いた電車が走り、ねんどでは貨物列車を作らされるわけですが(笑)
ちなみに蛍光灯や箱ティシュなど、四角いものはもれなく電車になるという習性は、5才の今も継続中。
キッズカーペットも最初はヒルマがひとりで遊んでくれることを期待して購入しました。
その希望は叶わなかったわけですが(笑)、言葉と遊びを増やす練習に活躍することになるのです。