3.高校生VS小学生
海は空に目配せをして、
「言っちゃったの?」
と小声で文句を言った。
「まだ言ってない。」
空が答えると、
「じゃあ何でこうなってるのよ!」
「おまえがタイミング悪くライン送ってくるからだろ。」
「えっ?見せたの?」
「見せたんじゃなくて、見られたんだ。」
「サイテー!」
「どっちが!?」
「ライン見せるなんてプライバシーの侵害だからねっ!」
「ああいう状況でライン送ってきたらバレるに決まってんだろ。前にも同じことやってて、ほんとおまえって学習しないよな。アホなのか!?」
「ひっどーい!それが妹に対して言う言葉?だいたいさぁ、あんなにお願いしてあったんだから、何とかごまかしてくれたっていいじゃん。」
「兄ちゃん相手にそんなことできるはずないだろ。」
「空ってほんと使えないんだから!」
「はあ?おまえが全部悪いんだろ。オレを巻き込むな!」
「空になんか教えなきゃよかった。今度から絶対に信用しないから!」
「信用なんてしてくれなくて結構なんで、自分でやったことは自分で解決しろ。」
「解決できないから相談してるんじゃん。」
「じゃあちゃんと責任とってケツ叩かれて反省しろ!」
「なんでそうやって偉そうにするのよ。空のくせに!」
「はあ?海のくせにばっかじゃねーの!」
目の前に悠一がいることなんてお構いなしに、2人の言い争いはどんどんエスカレートしていった。悠一は目をつぶって腕を組んで2人のやりとりを黙って聞いていたが、今にも取っ組み合いそうになる寸前に呆れ果てて手をバンバンと叩いた。
「そろそろいいか?」
ハッとしてばつが悪そうにうつむく海のほっぺたを両手でグイッと引き上げて、
「自分から報告するか?」
と睨みつけた。
「ちょっとだけ意地悪しちゃったの。」
さっきまで空と口論していた威勢のいい海はどこへいったやら、シュンとしてか細い声で答えた。
「何したんだ?」
「だってあっちが海のこと目の敵にしてくるから・・・」
「目の敵って、おまえ相手は小学1年生だろ?」
「だってすごく生意気なんだもん。」
「それで海は何をしたんだ?」
「ちょっとだけ・・・。」
「ちょっとだけ何した?」
悠一の声が穏やかだったので、海は正直に話しても大丈夫そうな気がして、
「ちょっとだけ足ひっかけて転ばせようとしたり、肘でボーンって当たったり、Tシャツ引っ張ったり、背中叩いたり・・・。」
「おまえなあ・・・。」
「だって海の方が顔にボール当てられて鼻血出て、ひざもケガして、よっぽど重症でしょ?かわいそうだと思わない?」
「まあケガしたのは海の方だっていうのは確かだけどな。でも10才も年下の子に対してやる行為じゃないよな?それは分かるよな?」
海はほっぺを膨らませて何も答えようとしないので、
「そうだよな、空?」
悠一は隣に立っている空に尋ねた。
“ここでオレに同意を求めるな”
と心の中で思いながら、
「ああ。」
と答えた。
「彼はサッカーうまいのか?」
コーチの間でも評判になるくらい、元気の身体能力や技術力は群を抜いて優れていた。
「メチャクチャうまい。」
「たくましそうな顔してたもんな。海にちょっかい出されてもピンピンしてたんだろうな。」
もし海がケガをしていなかったら、この2人の戦いは永遠と続いていたのかもしれない。
「1日目と2日目は何も問題なかったけど、今日は海がいたから戦闘モードになってたのかもしれない。同級生じゃ相手にならなくて、いつも元気の独壇場になってるみたいだから。」
「まあそれは分かる気がするな。相手が海だからムキになってたんだろうな。お互いに黙ってやられるタイプじゃなさそうだし。」
「相手にするのに丁度いいレベルだったんだと思う。」
海は横にいる空をキッと睨みつけた。
「お父さん、きっちりしていて厳しそうな人だったから、うちに来る前に嫌というほどおしおきされたんだろう。ということは、もちろん海も。」
と言って海の顔をのぞき込んだが、海はイヤイヤと首を横に振った。
「空、どう思う?海も必要だよな、おしおきが。」
“何で答えにくいことをわざわざオレに聞くんだよ!”
「海、ケガした分で免除してあげてもいい気もするけど・・・。」
空はどっちつかずの態度で遠慮がちに答えた。
「ずいぶんと優しいな。でもケガとおしおきは違うだろ。ケガは痛い思いをして後悔はするかもしれないが、今の海を見ていると反省はまったくしてないようだ。海の言い分を加味したとして、お互いにやり合っていたのなら両成敗が鉄則だろうな。年齢や立場を考えたら、同レベルでやり合うなんてあり得ない話だが。相手はケツ真っ赤になるまで叩かれて、海は何のおとがめもなくクッキー食べれたら不公平だよな。悪いことしたのにごほうびもらうっていうのは、どう考えてもおかしいだろ?」
悠一が海に問いかけると、
「だって・・・」
「ん?だって何だ?」
「もうちゃんと反省したから。」
「オレにはそうは見えないけどな。」
「・・・・・」
「だいたいさっきから「だってだって」って。そうやって言い訳する時点でアウトだからな。」
海はうつむいて小さい声で
「ごめんなさい。」
と謝った。
「その取ってつけたような「ごめんなさい」は、まったく無意味だって分からないのか?ほら、もう観念してこっちに来い。」
悠一はひざをポンポンと叩いた。海はこれ以上長引かせない方がいいと諦め、のろのろと悠一のひざに横たわった。
「オレ、もういい?」
空が聞いてきたので、
「ああ。今回空は悪いことしてないもんな。でも海が何か問題起こしたら、必ずオレの耳に入れてくれ。告げ口するみたいで嫌だって思うだろうが、おまえ海の監視役だからな。」
「分かった。」
「じゃあ海がおしおきされるのをそこで見てろ。」
「は?」「え?」
空と海の口が同時に開いた。
同じ家に住んでいる以上、どちらかがおしおきされている光景を目にすることは今まで数えきれないほどあったし、順番待ちしている状態でビクビクしながら目の中に飛び込んでくることはあったけれど、「監視役だからおしおきを見届けろ」という指示の元で立ち会うのは初めてだった。見られる方はもちろん恥ずかしくてたまらないだろうが、それを見せられる方もいい気分はしないだろう。これが今回の空に対する「ちゃんと見張ってろ!」という意味のおしおきなのかもしれない。
”海がやったことを考えれば、おしおきされるのは当然だ“
と思う一方で、
“かわいそうに、これからたっぷりと泣かされるのか”
という哀れみと、
“自分にとばっちりがこなくてよかった”
という安堵の気持ちが入り混じり、複雑な心境で兄と妹の姿を見守った。
がっちりと体を押さえられ、パンツをガバッと下ろされて、白くてぽっちゃりしたお尻が丸出しになった。それを見ても日常的な光景であって何とも思わなかったが、バチンバチンと音が重なり、徐々に赤味を増していくお尻を見ていると、ソワソワと落ち着かない気分になった。まるで自分までお尻を叩かれているような感覚に陥った。双子って以心伝心、心が通じ合うことはよくあるようだが、痛みまでも伝わってしまうのか・・・。双子でなくても目の前でバシバシやられていたら、そう感じてしまうのも無理はない気もするが。
それに加えてだんだんと、
“まったく海は困ったヤツだ”
という悠一の気持ちも感じとり、叱られる側のお尻の痛さと叱る側の心情の両方を体験した。
“もしかして兄ちゃん、オレにこういう気持ちを分からせたかったのか?”
とも思ったが、きっとただ見せしめ的なものであって、そこまで深い意味はないような気もした。
いつか結婚して子供ができて父親になったら、こういう思いで我が子におしおきする日がくるのかなと少しだけ頭の片隅で考えてみたが、
“いやいや、オレは絶対におしおきする人間にはならないぞ”
とすぐにその将来像を打ち消した。
お尻をたっぷりと叩かれ「ごめんなさい」と叫びまくった海は、ひざから下ろされるとグスンと半べそをかきながら、
「クッキー食べていい?」
と甘えた声で悠一に聞いた。空はそんな海を見て、
“こいつ全然懲りてないな”
と思うと同時に海のたくましさを感じた。悠一も呆れた顔で、
「おまえなあ、普通はもう少し時間が経ってからにするだろ。」
苦笑いしながらクッキーの缶を開け、2人においしい紅茶を用意してくれた。
翌日の夕方、海は悠一に連れられて元気の家を訪れた。「行きたくない」と駄々をこねたが、「けじめをつけろ」と怒られてしぶしぶついて行った。まだお父さんは帰宅しておらず、お母さんと元気が玄関に現われた。
「本当に申し訳ありませんでした。」
お母さんが頭を下げると、それを制止するように悠一が、
「昨夜よくよく話を聞いてみたら、うちの方が先に手を出していたようで、大変申し訳ありませんでした。」
と謝罪した。
すると突然元気の口から、とんでもない質問が飛び出した。
「海コーチもお尻叩かれたの?」
「海コーチはお姉さんだから、元気みたいにお尻なんて叩かれないのよ。」
お母さんは海に気を遣って、元気の疑問を否定した。
「だって昨日の帰り、お父さんが言ってたよ。あの子の家でもおしおきあるんだなぁって。」
真っ青になってうつむいている海に向かって悠一は、
「ほら、高校生のお姉さん、元気くんの質問に答えてあげれば?」
「・・・・・」
「じゃあ代わりにオレが答えちゃうぞ。」
「お兄ちゃん、やめて。」
海の気持ちなんてお構いなしに、
「ごめんね、元気くん。海コーチも元気くんに意地悪たくさんしてたのに昨日はそれに気づかなくて、元気くんだけがお父さんに叱られることになっちゃって。本当のことが分かったから、昨日の夜たっぷりと海コーチのお尻叩いて反省させておいたからね。」
「よっし!」
元気は小さくガッツポーズをした。それを見てお母さんは、
「すみません。」
と気まずそうに頭を下げた。
「昨日お父さんに聞きました。お宅では「だって」とか「でも」とか言い訳は許されないって。きっと元気くん、なんで自分ばっかりという理不尽さを感じ、ものすごく悔しかったと思います。本当にすみませんでした。こんなに年が離れているのに、まったく情けない限りです。」
「いえいえ、こちらこそご迷惑おかけしました。」
「海も元気くんにちゃんと謝れ。」
海はお尻を叩かれたことを暴露された恥ずかしさから立ち直れず、すっかり意気消沈してもじもじしながら
「ごめんなさい。」
と謝った。
「海コーチまあまあ強かった。」
元気がポツンとつぶやいた。
「生意気なこと言ってごめんなさいね。」
お母さんが慌てて謝った。
「元気くん、これからが楽しみですね。」
「主人も私も大変手を焼いてるんですよ。ひとりっ子でこういう性格なので協調性が足りなくて、学校でも友達や先生方に迷惑ばかりかけてしまって。海さんが羨ましいです。しっかりしてて優しくて。」
ほめられて少しだけ気分を持ち直したところに悠一が、
「いやいや、この子は本当に大変で・・・。」
“これ以上余計なことは言わないで!”
という海の願いも虚しく、
「中学のころは本当に手がかかって、何度学校に呼び出されたことか・・・。高校生になって少しは心を入れ替えてくれるかと期待はしているんですがね。」
「でもかなり厳しくされてると主人に聞きましたが。」
「何度も言い聞かせてはいるんですが、この子はおしおきされることに慣れきってしまって全然効果がないんです。高校生にもなってお尻を叩かれていることをもっと恥じるべきなんですが、そういった自覚がまったくなくて。いっそのこと元気くんと一緒におしおきを受けたら、自分がいかに情けないか身に染みるんでしょうね。」
海は話を聞きながら、顔から火が出る思いをした。
“小学生と一緒におしおきされるなんて、絶対にあり得ない。ましてやこんな子にお尻叩かれてるところを見られたら・・・”
「どっちが先に降参するか競争する。」
元気の勝気で無邪気な発言に悠一は、
「そうだな。じゃあ今度また同じようなことがあったら、そのときは2人いっぺんにおしおきするからな。分かったか、海?」
ここは素直にした方が身のためだと察し、海はうつむいたまま小さくコクンとうなずいた。
帰り道、
“あぁよかった。あの流れで「今からおしおきしましょう!」なんて言われたら絶対にやばかった。もう二度と一緒にサッカーなんてやらないし、あの子と関わることもないだろうから大丈夫なはず”
それからしばらくの間、悠一は何かにつけ
「元気と一緒におしおきするぞ!」
が口癖のようになっていて、海にとっては抑止効果抜群の出来事となった。
つづく