2.謝罪
3日間実施されたサッカー教室もようやく終了時間となり、全体で集合して総監督のあいさつ後に解散となった。他のカテゴリーで指導していたコーチたちが海のところに寄って来て、
「海ちゃん、ケガしちゃったんだって?大丈夫?」
と心配そうに声をかけてくれた。
「近くに病院あるから、連れて行ってあげようか?」
と言われたが丁寧に断った。だってそこは恒先生の病院。今恒先生に会ったら、海の心のモヤモヤが全部バレてしまう気がしたので、絶対に行くことはできない。
「家まで車で送ってあげるよ。」
という優しい言葉も、
「空と一緒に帰るから大丈夫です。」
とお断りしたのは、悠一にもケガをした経緯を知られたくなかったから。悠一は仕事に行っているので家には誰もいないはずだが、そこは細心の注意を払っておくに越したことはない。
最後に『バイト代』と表書きされた封筒をもらってグランドを後にした。中には2000円入っていた。空は3日間で4000円。海は1日、しかも半分以上休憩していてその金額というのはどういった計算なのか。もちろん空にはブチブチ文句を言われたので、約束してあった帰りのソフトクリームは海がおごってあげた。
1・2年生は見学に来ている保護者も多く、また終わるころに迎えに来て、ほとんどの子が親子で一緒に帰って行った。そんな中、1人で自転車に乗って帰る元気を見て、
“きっと放任主義の家で、子供が外で何やってるかなんて知らないんだろうな。親に怒られないからってやりたい放題、まわりのことを考えずに身勝手な行動をとるんだよ。うちみたいに怖い大人がいたら、絶対にあんな風に育たないはずだもん”
海は偏見だらけの非難めいた想像を膨らませ、ここでもやっぱり自分のことは棚に上げて、元気の親や家庭環境までをも責め立てた。
足を痛そうに引きずりながら歩く様子を見て、
「大丈夫か?」
空は心配そうに声をかけバッグを持ってくれた。
「お兄ちゃんには言わないでね。」
「ふーん、おまえ何かやましいことがあるんだろ?」
「え?何で?」
「だって兄ちゃんにバレたらまずいってことだろ?」
「違うよ。心配させるといけないから。」
「うそつけ。」
「うちの大事な妹にケガさせて!って元気の家に怒鳴り込まれたら困るし。」
「小学生相手にさすがにそれはしないだろ。本当のこと言えよ。」
「え・・・空って何でそういうのお見通しなの?」
「おまえが分かりやすいんだよ。」
海は少し考えてから、空には本当のことを話しておいた方が万が一のとき味方になってくれると信じて、「実はね・・・」と真実を打ち明けた。
話を聞いた空の反応は冷たかった。
「おまえアホか。」
「何でよっ!」
「あんなガキ相手に何マジになってんだ?しかも結局やられてるんだから情けないよな。」
「じゃあ空ならどうした?」
「オレならそんな風に小学1年生にバカにされない。」
「え?私、バカにされてたの?」
「そうだろ。高校生の威厳がゼロだからマウントとられたんだろ。」
「女だからかな?」
「いや、女とか男とかじゃなくて、あいつには人を見る目があるんだろうな。」
「どういうこと?」
「ちょろいヤツだって見抜かれたんだろ。」
「ひどーい!」
「だいたい小学生相手にコソコソと小細工しなきゃ太刀打ちできないなんて。」
「もうそれ以上言わないで。自分でも分かってるから。」
「反省してるのか?」
「何で空までお兄ちゃんみたいなこと言うの・・・。」
「オレまで巻き添え食らうのまっぴらだから。オレは海にちゃんと説教したって兄ちゃんに言えるように。」
「空なら共感してくれると思って本当のこと話したのに。あーあ言わなきゃよかった。」
それから海はひと言も口を利かずに、空の10歩ぐらいうしろをノロノロと歩いて家に向かった。
悠一が仕事から帰宅し夕食の準備をしていると、玄関のチャイムが鳴った。海は自分の部屋にいたが悠一に呼ばれて玄関に行くと、そこには元気と父親らしき人物が立っていた。
「海、今日ケガしたんだって?」
悠一は海の頭のてっぺんから足の先まで目線を動かし、首をかしげて
「どこを?」
と尋ねた。海は悠一にバレないように、ひざが隠れる丈のスカートに着替えていた。
「ひざ。ちょっとだけだから大丈夫。」
海はスカートの裾を少しめくって、絆創膏が貼ってあるひざを見せた。
お父さんが頭を下げて、
「本当にすみませんでした。コーチから事情を聞き、息子からも話を聞きました。痛い思いをさせてしまって、本当に申し訳ありませんでした。」
元気も謝るように促され、
「ごめんなさい。」
と言って頭を下げた。グランドでコーチに言わされたぶっきらぼうな言い方とは違って、反省している感じが伝わってきた。
「そんな大したことなかったので大丈夫です。」
海が恐縮して答えると、
「息子にはきつく言い聞かせましたので、充分に反省していると思います。」
と言って元気のお尻をバシーンと叩いた。今の1発でお尻を押さえてしゃがみ込んでしまうぐらいだから、元気は家で相当お尻を叩かれたに違いない。海が目を丸くしていると、
「今どきお尻を叩かれる子なんてほとんどいないと思いますが、我が家では悪さをしたときの罰は必ずお尻叩きなんです。」
きっと悠一はお父さんの話を聞いて、ニコニコしながらうなずいていただろう。海は目線を下げ、悠一の表情を確かめることはできなかった。もし悠一と目が合えば、
「うちもそうなんですよ。」
と暴露されてしまいそうで、海のプライドを守るためそれは絶対に回避しなければならなかった。我が家も同じ教育方針であることを元気に知られてしまったら、ますますバカにされ今回以上の仕打ちを受けることになりかねない。もう二度と一緒にサッカーをする機会なんてないのだろうが・・・。
“今ここで元気が本当のことを言い出したらどうしよう・・・”
海は不安でたまらなかった。
もしかしたら、お父さんにおしおきされているとき、
「僕ばっかりが悪いんじゃない!海コーチだっていろいろやってきた。」
そう泣きながら訴えていたかもしれない。こうやって親子で謝罪に来ている以上、海を責めるようなことは言い出さないだろうが、もし元気の訴えを信じたのであれば、海が平気な顔をしていることを腹立たしく思っているはずだ。
「うちの子に何てことをしてくれたんだ!」
と怒鳴り込んでくるような父親だったら、今ごろ海と元気の立場は逆転し、悠一が平謝りしている隣で海は顔面蒼白の大ピンチ・・・考えただけで身の毛がよだつ。
怒られてシュンとしている元気を見て、
“これは絶対に復讐のチャンスを伺っているんだ”
海にはそう思えて仕方なかったので、いざそうなったときの対応策を必死で考えたがいいアイデアは浮かんでこなかった。
“何かあるな”
悠一は海のオロオロと落ち着かない態度を決して見逃さなかった。親子がもう一度頭を下げて玄関から出て行くと、海はフッと小さなため息をもらし、それが悠一の疑念を確信に変えた。
「わざわざありがとございました。」
悠一は玄関の外に出て2人を見送った。
「さて」と気合いを入れて悠一は玄関のドアを閉めた。海はひと足先にリビングに戻り、何事もなかったことに安堵した。そして気持ちは早くもお詫びに頂いたクッキーに向いていた。悠一がリビングに入るなり、
「お兄ちゃん、これ食べていい?」
「ケガしたところを見てからな。」
ソファに座って、ひざの絆創膏をそっと剥がした。
「結構派手に転んだみたいだな。相当痛かったんじゃないか?」
「うん。鼻血も出ちゃったし。」
「顔面から地面に突っ込んだのか?」
「ううん。ボールが顔に当たって鼻血が出て、バランス崩してひざ着いちゃったの。」
「大変だったんだな。」
「うん。すごく痛かった。女子の顔にボール当てるなんてサイテーだよね。」
「元気くんはわざとやったわけじゃないんだろ?」
「あれは絶対にわざとだよ。仕返しできて嬉しそうだったもん。」
「仕返し?」
「仕返しってあれだよ、サッカーの試合で私コーチだから頑張ってて。」
「そうかそうか。いろいろ大変だったな。」
同情してくれている悠一にこれ以上詮索されないように、
「食べていい?」
ともう一度聞くと、
「隠しごとしてないなら、食べていいぞ。」
海は一瞬たじろいだが、
「隠しごとなんてしてないよ。」
動揺を悟られないように、堂々とした態度で答えた。
「本当か?」
「お兄ちゃん何でそんなこと言うの?私、被害者だよ。あのくそガキにひどい目に遭わされてかわいそうだと思わないの?」
「本当のこと言ったら、そのクッキー全部食べていいぞ。」
思わず「うん」とつられそうになったが、それではあまりにも代償が大きすぎる。もし悠一が真実を知れば、元気の何倍もお尻を痛くされるのは明らかだった。
「何で海のことを信じてくれないの?」
上目遣いで悲しげに言ってみた。
「信じていいのか?」
「うん。」
きっぱりと即答する海を見て、さっきのソワソワした態度は自分の思い過ごしだったのかと考えを改めた。
「一応空に確認してからな。」
そう言うと悠一は海をその場に残して階段を上って行った。
空とは帰り道で気まずい雰囲気になって、家に着くとお互いすぐに部屋に入ってしまったので顔を合わせていなかった。
“空はお兄ちゃんに言いつけたりしないから大丈夫!”
なんやかんや言っても、空は自分の味方をしてくれると信じていた。
“でも万が一・・・”
という思いもあったので、急いで携帯を手に取って、悠一が空の部屋にたどり着く前に素早くラインを送った。
『お兄ちゃんには絶対に内緒ね!』
普段はなかなか『既読』という文字が表示されないが、運よくすぐに見てくれたようで海はホッと胸をなでおろした。
悠一はノックもせずに空の部屋に入ると、空が手に持っていた携帯をパッと取り上げた。
「何すんだよ!」
必死に取り返そうとする空をスッとかわして、画面を確認してみると予想的中、海からのメッセージが目に映った。
「何を内緒にするんだ?」
答えようとしない空に向かって、
「今きちんと報告すればおまえは許される可能性が高いが、何も答えなかったりうそついたりしたら同罪になるんだぞ。」
それでも黙り込んでいる空に、
「10数えるうちに言わなかったらアウトな。」
「何でだよ、オレ無関係だから。」
悠一は空の抗議には耳を傾けず数え始めた。
「1、2、3、4・・・」
海の巻き添えを食らうのはまっぴらだと普段から感じていたし、今回のことは海も反省するべきだという思いがあったので、悠一が「9」と発したあとで
「分かった。言うからストップ!」
ギリギリのところで悠一を遮った。
「下に来い。」
部屋を出て行こうとする悠一に、
「兄ちゃん、ここで言う。」
当の本人を目の前にしてという状況は、できることなら避けたかったのだが、
「海に事実確認しながらだ。」
あっさり却下されてしまった。空はフーッとため息をついて、
「オレ何も悪くないよな。」
自問自答しながら部屋を出た。
海は突っ立ったまま2階から聞こえる話し声に耳を傾けていたが、悠一が階段を下りて来る気配を感じるとサッと目線をテレビの方に移した。そのあと空が重い足取りで姿を現わすと、胸の鼓動が一段と高まった。悠一はイスに座ると、
「証人を連れて来たぞ。」
と言って、まるで裁判でもするかのように目の前に空と海を立たせた。海が空に目配せをして、
「言っちゃったの?」
と小声で文句を言うのが聞こえているのかいないのか、悠一は何も言わずに2人の様子を伺った。
つづく