3.波乱続き
星は一般病棟の空いているベッドに連れて行ってもらうと、高熱のせいかすぐに眠りに落ちた。5時間も爆睡し、目覚めるとだいぶ体が楽になっていた。注射のお陰で熱が下がったのだろう。実習に戻れそうな気がしたが、勝手なことをしたらきっとまた怒られると思い、しばらくおとなしくしていた。
星がいる部屋は6人部屋で、本当にこの人たち病気なの?というぐらい元気な男性陣が集まっていた。星が目覚めるのを待っていましたとばかりに、
「お兄ちゃん。」
と声をかけられ、pm3:00のプチ宴会に誘われた。
どうやら医師の回診も看護師の見回りもない時間帯らしい。それぞれ手持ちのお菓子やらおつまみやらパックのジュースやらを配り合って、もちろんお酒抜きではあるが、みんなでパーッと盛り上がろうという試み。退屈な病院生活にうるおいを与えるためには必要不可欠な癒しの時間であり、医師や看護師の目を盗んで執り行うスリルも味わうことができた。
星も新参者ながら、しかも配るものなど何も持っていなかったが、
「お兄ちゃん。」「お兄ちゃん。」
と言って、みんな嬉しそうに星を仲間入りさせてくれた。星もすっかり元気になり、お昼ごはんを食べていなかったので、お腹もグーグー鳴っていて、この楽しそうな会に参加させてもらうことにした。
話題の中心は、もちろん星だった。みんな入院生活が長いのか、刺激的な何かを常に求めている状態だった。そこに星のような従順そうな中学生男子が飛び込んでくれば、狙いの的にされてしまうのは当然のことだろう。名前、年、学校名、担任の先生の名前や年齢、家族構成、習い事や部活、彼女の有無、好きな女の子のタイプまで、まるで尋問を受けているように根掘り葉掘り聞き出された。
星を質問攻めにし、ひと通り情報を得て満足したようで、同室の5人の男性たちは次の話題に突入した。年齢は40代~80代とバラバラではあるが、入院中の共通の楽しみといえばナース情報。外来、病棟、手術室など病院中の看護師の名前が次々と上がり、様々な情報が飛び交った。
優しい、かわいい、採血が上手に始まり、○○さんは□□先生が好きだけど見込みがないだとか、△△さんは最近彼氏と別れて元気がないといった色恋沙汰の話、さらにはナース間の派閥や権力争いなど、どこから仕入れたのか疑問を抱くような裏話を肴にして、プチ宴会は大いに盛り上がった。
星は話の内容がさっぱり分からなかったが、唯一、内科の坂本さんは知っていたので、別に特別な感情を持っている訳ではないが耳を傾けて話を聞いた。27才、独身、病院の寮に住んでいて、数年前にこの病院に入院していた患者さんとつき合って、休みの日にはドライブデートを楽しんでいるらしい。
「あんなきれいなナースが彼女なんて、幸せ者だよな~。」
5人は会ったことのない彼氏をうらやましく思った。
「そんな前例があるから、入院生活にも一縷の望みがあるんだ。」
一致団結した意見のようで、星も臨時参加という身分ではあるが、同志としてうなずいた。
「星くんは実習で来てるから、坂本さんに採血されたり、何か処置されたりはしてないんだよね?」
「あっ、えっと・・・。」
星が戸惑っている様子を見て、5人の視線が熱く星に集まった。
「えっと・・・お尻をタオルで冷やしてもらったのと、お尻に絆創膏を貼ってもらいました。」
“何でこんな恥ずかしいことを暴露しちゃったんだろう・・・。”
星は後悔したが、この楽しいムードを壊したくないという思いから、自虐的な発言をしてしまった。
「タオルで冷やすって、もしかして蓮ケ谷先生にお尻叩かれちゃったのかい?」
一番年配のおじさんが聞いてきた。
「はい。」
「彼は厳しいからな。曲がったことは絶対に許してくれないから、気をつけないとひどい目に遭うぞ。」
星もまだ出会って間もないが、悠一の厳しさは一本筋が通っているような感じがした。
「蓮ケ谷先生は、彼女にもおしおきしてるって噂だけど。」
「あんなにきれいな女医さんなのに、お尻叩かれちゃうのかぁ。」
「おしおきされるような悪いこと、絶対にしなそうなのにな。」
「まあイチャイチャの一環だろ?」
「そうか、おしおきは仲良しの証拠でもあるのか。」
星はただ話を聞いているだけだったが、どうやら悠一の彼女はここの耳鼻科の先生らしい。
“蓮ケ谷先生なんて強引だし、怒ると怖いし、こんな人とつき合う彼女は苦労するんだろうな。”
星の悠一に対する印象は、強引かつ怖い人のようだ。
「星くんは、いったい何をやらかしたんだ?」
今度は一番若い人が興味深そうに聞いてきたので、
『どうして今このベッドに寝ているのか?』
について、星は昨日の一件から順を追って話し始めた。
昨日お尻を叩かれたところまで話すと、
「いいことをしたのに、気の毒だったな。」
と同情する意見。
「蓮ケ谷先生の勘違いでおしおきされたのか?はっきり理由を言わなきゃダメだろ?」
と星を非難する声。
「お尻、痛かっただろ?あの先生、手加減しないからな。」
まるでおしおき経験ありのような意味深な発言。
「絆創膏は注射?」
「はい、さっき。」
「坂本さんは看護師だから、患者のお尻を見ることなんて慣れてるだろうけど、オレたちはやっぱり恥ずかしいよな?」
星を含め、全員が同意した。
「星くんはお尻を叩かれるのも、お尻に注射されるのも、今回が初体験だったの?」
「注射は初めてでした。」
「じゃあ、お尻は叩かれたことがあるんだ?」
「あっ、はい。結構たくさん。」
星の頭の中には、眞木野や芳崎、慶や恒、そして月美の顔が浮かび上がった。
「今どきお尻を叩いてくれる人が身近にいるなんて、星くんはいい環境にいるんだね。」
年長者らしい感想に、星は「いや・・・。」と首を傾げた。月美は別として、それぞれの強烈なお尻の痛みを思い出すと、そうされることが決していい環境とは思えなかったから。
そのあとはお尻ネタからさらに発展し、中学生男子にとってはかなり過激な内容に、星は真っ赤になって布団を頭からスッポリとかぶってしまった。それでも耳だけはしっかりと働かせ、きっと何年か後には役に立つであろう情報をキャッチした。
そこへタイミング悪く、坂本さんが星の様子を見に病室に入って来てしまった。みんなが大笑いしている中、星だけが布団に潜り込んでいる状況を見てすべてを察知したのか、
「ダメですよ。みんなで星くんのこと、からかってたんですか?健全な中学生をいじめないでくださいね。」
優しく注意され、みんなはニコニコして
「すみません。」
と謝った。
「星くん、お熱どう?」
坂本さんに布団をはがされ、おでこに手を当てられて、
「だいぶ良さそうね。もう一度測ってみて。」
と言って、体温計を脇に挟まれた。
ピピピッ。
38.1℃
“もう全然大丈夫!”
と思っていたけれど、まだ熱は下がっていなかった。
そこに悠一が現れて、坂本さんから星の体温を聞くと、ポケットから何かを取り出した。坂本さんはベッドのまわりのカーテンを閉めて、
「星くん、まだお熱が高いから、座薬入れておこうね。」
何でもないことのように普通に言われて、
「えっ?」
星はその言葉を聞いて固まってしまった。
“座薬って、お尻の穴に入れるヤツ・・・。”
「えっ、ヤダ!大丈夫、もう治ったから。」
首を一生懸命振って必死に拒否したが、
「調子に乗って、宴会なんてやってるからだ。」
わざとまわりの人たちに聞こえるように、悠一はピシャリと言い放った。
悠一はベッドに座っている星の体を軽々ヒュッとひっくり返すと、よつんばいにして素早くお尻を出した。嫌がって暴れるとすかさずお尻をピシャン!と1発叩き、それでもまだ抵抗しているので、悠一が星の体をガッチリと押さえ込み、坂本さんが座薬を挿入した。何という早業。手慣れた連係プレイ。
星は自分の体に起きていることが理解できないくらいパニック状態に陥っていたが、座薬を入れたのが坂本さんだと分かると、
「もうヤダ!」
と言って、またもや頭から布団をかぶってブルブルと震え出した。
つい数分前まで、どんな処置をされたか?とか、お尻にまつわるいろんな話をしていたので、カーテンの向こう側では5人のざっくばらんなおじさんたちが、星のベッドに神経を集中し、一部始終を鑑賞しているのは間違いなかった。声は筒抜けだし、されていることも想像できてしまうのだから、薄っぺらいカーテンなんて意味があるのか疑問に思う。
体調を崩して診察を受けているのだから注射や座薬は特別なことではなく、誰もが体験し得る治療なのだろうが、星にはそれを受けとめる心の強さが備わっていなかった。年齢的なものかもしれないし、経験値の不足によるものかもしれない。まあ今回の場合は、急にこういう展開になってしまったので心の準備などできるはずもなく、星の落ち込みようも分かる気がするが・・・。
シクシクと泣いているのか、鼻をすすっているだけなのか、布団にもぐって出てこようとしない星をフッと鼻で笑って、悠一はその場を立ち去った。坂本さんは星の気を静めるように、
「もう少し休んでてね。」
と優しく声をかけ、あえてカーテンは開けずに部屋から出て行った。
まわりの人たちも星の気持ちを察して、
「大丈夫か?」
「元気出せ。」
「みんなされてることだから、気にすんな。」
と口々に励ましてくれて、
「うん。ありがとうございます。」
星はみんなの優しさに感謝して答えた。
夕方、星の母親が仕事帰りに病院に寄り、
「ご迷惑おかけしました。」
とお礼を言って、星を連れて帰って行った。
星にとって波乱続きの職場体験が何とか終了し、翌日にはすっかり体調もよくなった。
おわり