3.大人のおしおき
「ちゃんと悠一と話をするって約束したから、早く帰って聞いてやれ。」
「ああ。・・・恒、もうすぐ仕事終わるか?」
「あとはカルテの整理だけだ。」
「一緒に来てもらえないかなーと思って。」
「何で?」
「オレ今回、本当、海に悪いことしちゃって、何をどうやって解決したらいいのかさっぱり分からなくて・・・。だから恒に間に入って欲しいというか、オレが間違ったことを言い出したり、また海を傷つけるようなことがあったら止めて欲しいというか・・・。要するに仲裁してもらいたい。」
「悠一、何を弱気なこと言ってんだ?いつものおまえで大丈夫だよ。海ちゃん本当の気持ちを伝えるって言ってたから、おまえはそれを聞いて受け止めてあげればいいだけのことだ。」
「ああ、それは分かってる。でも恒、夜は暇だろ?一緒に帰ろうぜ。」
「おまえは親に怒られるのが怖くて、友達を巻き添えにしようとする小学生か・・・。まったく、しょうがないヤツだな。」
呆れた顔をして悠一に目を向け、フッと鼻で笑うと、
「着替えて来る。」
恒は開いていたカルテを片付けて、自宅に戻って行った。
“悠一、昔からそうなんだよな。普段は立派なこと言ってるくせに、自分の立場が弱いときって、情けないくらい自信をなくして泣きついてくるんだよな。オレもそんなアイツに甘いんだが・・・。まあ、悠一には反省してもらわないといけないし、海ちゃんのことも気になるから、ちょっとお節介やかせてもらうか。”
「ただいま。」
悠一がリビングに入り、続いて恒も、
「こんばんは。」
と言って入って来た。恒は海の所に行くと耳元でささやいた。
「悠一におしおきしに来た。」
「えっ?本当に?」
恒はニコッと微笑むと、ポンポンと海の頭を叩いた。
「あっ、恒先生、昼間はありがとう。」
「少しは元気出た?」
「うん。もう大丈夫。」
そう言うと、海は悠一の前に立ち、
「お兄ちゃん。」
少し緊張した面持ちで話し始めた。
「今日、お昼に恒先生が来てくれて、チャーハン作ってくれたの。」
「おお、そうか。恒の料理、うまかっただろ?」
「うん。お兄ちゃん、昨日はお皿投げたり、部屋に閉じこもったりして、悪い子でごめんなさい。」
「おお。やけに素直だな。朝までの海とは大違いだ。海、今回のこと本当に悪かった。映画観に行くって約束してたのに、本当にごめんな。」
「ううん、しょうがないよ。だってお兄ちゃんお医者さんだもん。海がもっと我慢しなきゃいけなかったの。」
「実はな、ごはんごちそうになって、お酒も飲んでて、海と映画に行くことすっかり忘れてたんだ。」
「今度また違う日に連れてってくれれば、それでいいよ。」
「分かった。海は物分かりがよくて、兄ちゃん助かるよ。」
黙って2人の会話を聞いていた恒の顔がどんどん曇っていくのを、悠一も海も気づかなかった。
「海ちゃん、そんないい子ちゃんでいいのか?もっと伝えなきゃいけないことがあるだろ?はっきり言っておかないと、悠一は同じことを繰り返して、また海ちゃんが辛くなるんだよ。」
「恒先生・・・。」
「悠一も海ちゃんが素直になって喜んでるけど、海ちゃんの本心なんてまったく分かってないよな?」
「ん?恒、ずいぶん意味深なこと言ってるけど、本心って何だよ?」
「恒先生、ありがとう。でも、やっぱりいい。もう充分。」
「海ちゃん、昼間のおしおきじゃ優しすぎたか?もう一回お尻叩かないといけないみたいだね。」
「えっ、やだ。お尻叩かなくていい。」
「じゃあ、悠一に思ってることを全部吐き出してごらん。」
「でも・・・言ったらお兄ちゃんに嫌われちゃう・・・。」
「自分で言えないなら、先生から話してあげてもいいけど、どうする?」
恒の真剣な顔つきを見て、海は戸惑いながら、
「・・・ううん、自分で。」
と答えた。
どんな指摘を受けるのかと不安そうにしている悠一に、海は昼間恒に言ったことをもう一度話した。
うららみたいな子は大嫌いなこと、文化祭のときベタベタしてて嫌だったこと、携帯に電話してきて具合が悪いって呼びつけるのも嫌なこと、本当は映画にすごく行きたかったこと、うららちゃんちでごはんなんて食べて来てほしくなかったこと。
「全部海のわがままって分かってるけど、それでも嫌。お兄ちゃんはまた、「うららは患者さんだろ。」って言うだろうけど、お医者さんでいる前に海のお兄ちゃんでいて欲しい。」
海は悠一の顔を一度も見ずに、我慢していたことも言いにくいことも、思いのままを一気に吐き出した。全部言い終わると悠一に背を向けて、しくしくと泣き出した。
「こんなこと言うとお兄ちゃんが困るのよく分かってるけど、でもでも、海そう思っちゃうんだもん。わがままでやきもち焼きで甘ったれでガキでメチャクチャだけど、でも、海の心が勝手にそう思って、自分では止められなくなっちゃうんだもん。」
悠一は背中から海をギュッと抱きしめて、
「海にこんなに悲しい思いをさせて、オレ兄ちゃん失格だな・・・。」
海は悠一の反応にホッとしたのか、少しの間、時間が止まってしまったかのような錯覚に陥った。
「これからはかわいい妹を泣かせるようなことは謹んで、よく考えてから行動しろよ。」
恒は悠一の背中をパシーンとはたいた。
「さあて、じゃあ次、悠一の番だな。」
「ん?」
悠一は何のことか分からず、首をかしげた。
「海ちゃんと昼間約束したから、オレ、悠一におしおきしなきゃならないんだよな。」
ポケットから1枚の紙を取り出した。
「いろいろ考えてきてやったから、好きなの選べ。」
と言って悠一に手渡した。
①みんなの前で、正座して説教される。3時間。
②みんなの前で、ランニングマシーン。ノンストップ2時間。
③みんなの前で、全裸で絵のモデル。
④みんなの前で、お尻の検査。
⑤みんなの前で、お尻ペンペン。
“な、なんだこれ!恒、気でも狂ったか?こんなこと仕事中に考えて書いてたのかよ・・・。変態院長がやってる病院って知ったら、患者さんたち逃げてくぞ。”
「全部嫌だ。」
悠一がきっぱりと断ると、
「そりゃそうだ。おしおきだからな。じゃあ海ちゃんに選んでもらおうか。」
「えー。」
海は紙をじっと見つめて、少しはにかみながら、
「じゃあ④か⑤。」
「海、バカ、④はやめろ。嫌な予感しかしない・・・。」
「おまえ医者だろ。この前、空にもやってたじゃんか。」
「やるのとやられるのは、まるっきり別問題だ。空、おまえ何笑ってんだよ。人ごとだと思って。冗談っぽく言ってても、恒はこういうときマジだからな。絶対に妥協しねーし。」
「じゃあ今度海ちゃんを悲しませるようなことがあったら、そのときは④にしような。」
不気味な笑みを浮かべて言ったのが、妙に真実味があって恐ろしかった。
「恒、やけに嬉しそうだな。」
悠一が呆れ顔でつぶやくと、
「そりゃあ久しぶりにおまえにおしおきできるんだから、テンション上がるだろ。」
「おまえどれだけSなんだ・・・。」
「よーし、さっさと始めるか。」
恒はシャツの袖のボタンを外しクルクルと巻くと、ゆっくりとまくり上げ、筋肉隆々の腕を露出した。今さらあがいたところでどうにもならないことは、長年の付き合いだからよく分かっていた。
「さっさとやってくれ。」
「ああ。正座しろ!」
“マジかよ。そっからか・・・。”
面倒くさく感じたが、これ以上状況を悪化させないため素直に指示に従った。
「悠一、何で怒られてるのか言ってみろ。」
「海と映画を観に行く約束をしてたのに、すっかり忘れてしまって遅くまで家に戻りませんでした。」
「ちゃんと反省してるのか?」
「はい。すごく悪いことをしたと思ってます。海、本当にごめんなさい。」
海はクスクス笑ってうなずいた。何だかお笑いのコントを見ているみたいで面白い。
「海ちゃんがおまえの携帯に何回も電話をしたのに気づかなかったって、どういうことだ!おまえ、2人の未成年者の面倒を見てるんだから、しっかりと自覚を持たなきゃいけないだろ?万が一家で何かあって、緊急で連絡をとらなきゃならなかったとしたら、大変なことだぞ。」
「それも本当に申し訳ないと思ってる。ついつい飲み過ぎてしまって・・・。すみませんでした。」
“恒先生、真剣にお兄ちゃんのこと怒ってる。お兄ちゃんも神妙な顔でお説教されてる。いつも仲が良くて意気投合している2人が、こんな上下関係になるなんてすごく不思議。”
海はなぜだか背筋がゾクッとして、2人のやり取りをジッと見守った。
「よし。それからもう一つ。悠一、海ちゃんにうそついてることがあるだろ?」
「ん?えっ?」
悠一が恒に必死に目配せするが、恒はさらに続けた。
「この情報社会、どこからか海ちゃんの耳に入るかもしれないし、うららが直接言ってくるかもしれない。そうしたら、海ちゃんがもっと傷つくってことが分からないのか?隠してないで、おまえの口からきっちりと話さなきゃいけないことだろ?」
海の顔からはさっきまでの微笑みが消え、不安そうに悠一の言葉を待った。
「恒、勘弁してくれよ。そんなこと聞いたら、こいつ泣くぞ。」
「泣かすようなことをしてるのは、どこのどいつだ?自分でまいた種は責任を持って対処しろ!」
「恒、分かったよ。・・・・・海、実は・・・うららが発作で苦しいって言ってたのは、うそだったんだ。前に病院で誘われたから、その日は無理だって断ったら、当日そんな細工をしてきて・・・。すぐに帰ろうとしたら、「少しだけ」って頼み込まれてしまって。うららには、「今度診察のとき、たっぷりおしおきするからな。」って叱っておいたから。」
「私、知ってたよ。」
顔色ひとつ変えずにポツンとつぶやく海を見て、悠一も恒も
「えっ?」
と驚きの声を発した。
「昨日の夜、部屋に閉じこもっているときに、うららちゃんのツイッターに書いてあった。テーブルに並んだお料理の写真と、『仮病つかっちゃった』っていう書き込みとハートマーク。それを見るまでは、次の日の朝にはお兄ちゃんに「おはよう」って言おうと思ってたけど、うそって知ったらお兄ちゃんと顔を合わせたくなくて部屋から出るの嫌になっちゃって。でもね、それほどショックじゃなかったの。あの子はこういう卑怯な手を使ってくるんだなって分かって、お兄ちゃんはそういう子のこと好きじゃないはずって思ったら、もうどうでもよくなっちゃった。」
「ご、ごめんな、海。後ろめたさがあって、つい本当のこと言い出せなかった。」
「うん。お兄ちゃんの気持ち分かるから大丈夫。」
「うららには、今度きつーくおしおきしとくからな。」
「おしおきって・・・お尻叩くの?」
「ああ。たっぷりな。」
「おひざの上で、お尻出して?」
「そうだな。その方が悪いことしたって、ちゃんと反省できるだろうからな。」
恒は海の気持ちを察して、
「悠一、説教だけにしておけ。」
と口を挟んだが、女心(海心)をまったく理解していない悠一は、
「ちゃんと叱っておかないと、あいつ懲りずにまた同じようなことをしそうだからな。ケツいっぱい叩いて、とことん泣かせておかないとな。」
「海ちゃん?」
恒が心配そうに海の顔をのぞき込んだ。海は目に涙をいっぱい溜めて、
「うららちゃん、お兄ちゃんのおひざに乗せないで・・・。お尻出さないで・・・。お尻出しておしおきするの、海だけにして。」
海は心の中に湧き上がってくる思いを素直にぶつけ、泣きながら悠一にお願いした。こんなこと言ったら恥ずかしいとか、患者さんにやきもち焼くなんておかしいとか、わがまま言ったらお兄ちゃんに嫌われるとか、そういった建前を一切脱ぎ捨てて。
「海?」
悠一は驚いて、口を開けたままポカーンとしている。
「なあ、悠一はやっぱり乙女の気持ち全然分かってないだろ?これはたっぷりとおしおきして、思う存分泣かせてやろうな。」
海の頭をなでた後、恒はイスに座ってひざをポンポンと叩いた。
「はい、ここ。」
「はあ?恒、それはちょっと・・・。オレ、大人だし・・・。」
「拒否権はない。早くしろ!」
恒の迫力は半端ない。
「マジかよ・・・。マジだな、これは・・・。」
頭を捻りながら、ブツブツと呪文を唱えるようにつぶやきながら恒の横に立った。
それでもまだ、
「でもなー。」「やっぱりなー。」「無理だろ・・・。」
覚悟が決まらずにためらっていると、
「ズボンとパンツ下ろして、自分でケツ出せ。」
“こいつ、本当に超級のドSだな。”
仕方なくあきらめて言われた通りに履いているものを下ろすと、背後から見ていた海が、
「キャー!」
と小さな悲鳴をあげた。
“そうだよな、オレのこんな姿を見るとは思わなかっただろうな・・・。”
そして覚悟を決めると、恒のひざの上に横たわった。
“恥ずかしい・・・。オレ今どんな格好してるんだ?高校生までおやじにケツ叩かれてて、かなりの汚点だったというのに、それ以上だよな。30過ぎたいい大人が、『おひざでお尻ペンペン』だなんて、マンガの世界でない限りあり得ない光景だよな・・・。空のヤツ、ケラケラ大笑いしてるし、ったく・・・頭にくるなあ。”
「海ちゃんをいっぱい悲しませた分、厳しくおしおきするからな。平手50発!」
「ちょっ、待っ・・・。」
言い終わらないうちに、恒の平手が勢いよく、むき出しの尻に飛んできた。
「痛ってー!」
“こいつ、本気だ。”
次々と高い位置から、恒の大きな手が振り下ろされる。
ビッシィーン!ビッシィーン!ビッシィーン!・・・・・
まだ5発目だというのに、
“オレ、もうヤバイかも。まさかこの状況で泣きごとは言えないし・・・。”
歯を食いしばって、強烈な痛みに耐えた。
「悠一、弱音吐いてもいいんだぞ。昔みたいに、「もう許して~ごめんなさい。」って泣いて謝ってみろよ。ああそうか、親代わりをしている2人が見ている前じゃ、そんな情けない姿はさらせないよな。威厳も何も吹っ飛んじゃうもんな。」
“何だこいつ、本当に最低最悪の男だな・・・。口答えできない状況に追い込んでおいて、好き勝手言ってんじゃねぇーよ。ここで涙なんて一滴でも流したら、それこそ一生手玉に取られる気がする。”
それから後は、恒は数を数えるだけで何も言わない。
“こいつの叩き方ってこうなんだよな。しゃべってるときよりも無言になってからの方が、1発1発に重みが加わり、尋常じゃない痛さになるんだ。”
なんて、冷静に考える余裕がなくなるくらい痛みが蓄積し、うめき声が口からもれるほど辛くなってきた。
やっと40までカウントされると、恒の手がピタリと止まった。恒が海を手招きしている。
“何だよ、海にも叩かせるっていうのか。 もうどうにでもしてくれ。”
「海ちゃん、思いっきり10発叩いていいぞ。」
「えっ?私、いいよ・・・。」
「ほら、こんなチャンスはめったにないんだから、いつものお返ししてやれ。」
恒が海を促すと、
「でも、お兄ちゃんのお尻、もう真っ赤っかだよ。」
「海、何でもいいから、さっさと叩いて終わりにしてくれ。」
悠一は海に叩かれようが叩かれまいが、何しろこの屈辱的な体勢から早く解放されたかった。ためらいながらも海はニコッと笑って、手の平を悠一のお尻にパンッと打ちつけた。恒の鬼のような平手に比べ、まるで天使におしおきされているようで、張りつめていた全身の力がサーッと引いていくのを感じた。
いよいよラスト1発。
バッチィーンッ!
すっかり気を許していたせいもあり、さっきまでとは比べものにならない強烈な痛みに体が震えた。
“海?どこにそんな力が?”
悠一が振り向くと、空がニヤニヤと照れくさそうに立っていた。
「今回オレ出番が少なかったから、最後にこれくらいいいじゃんか。」
「おまえ痛えんだよ。覚えとけよ。」
こうして、悠一のおしおきタイムは無事に終了した。
毅然とした厳しい態度で正論を唱える恒に対して、あれだけ心の中で悪態をついていた悠一だったが、すべて終了した後は何のわだかまりもなく、いつものように楽しいお酒を酌み交わした。何とも不思議な2人の関係だが、互いになくてはならない存在だということは、本人たちも空も海も充分に感じていた。
後日診察に訪れたうららには、
「病気のことでうそをつくなんて、先生絶対に許さないからな。」
と厳しく説教し、言いつけてあったとおり、おしおきをすることになった。
悠一は今まで、おしおきをする際にお尻を出すか出さないかなんて、恥ずかしさは多少変わるけれども大した問題ではないと思っていた。しかし、海が泣いて「お兄ちゃんお願い。」とかわいく甘えてくる様子が脳裏に焼きついて、うららをひざの上には乗せたものの、制服のスカートの上からお尻を10発叩いた。
最初のうちは、
「やだぁ、先生、あんまり痛くしないでね~。」
なんて猫なで声を出していたうららだが、叩き終えるころにはボロボロに泣いていた。
悠一はその日、家に帰って海に報告をした。そんなことをいちいち話すのもどうかと思ったが、海を安心させてあげたかったのと、うららのことだから、変に装飾して話を膨らまされても面倒だったので。悠一のそういった心情の変化は、“海を悲しませたくない、それプラスもう二度と恒のおしおきを受けたくない!”と強く願う気持ちの表れであったのは確かである。
おわり