1.新キャプテン
翌日から入部体験が始まった。放課後キャプテンは職員室に行き、たかやんから練習メニューを預かることが日課となっている。
「今日は職員会議があるから遅れて行く。」
と言われ、いつも通りのメニューを渡された。
今日体験に来た1年生は7人。経験者もいれば、まったくの初心者もいて、1つのメニューをこなすのに、いつも以上に時間がかかった。海たち3年生は多くの1年生に入部してもらいたくて、和気あいあいとした雰囲気づくりを心がけ、楽しいと感じてもらえるような練習を進めた。
1時間ほどして、たかやんが現われた。体育館の入口でこっそりと練習風景を見ていたが、その顔色は明らかに曇っていった。海たちが和やかさを重視した結果、たかやんの目にはダラダラとした練習態度として映し出された。しばらくして部員たちの前に姿を見せ、いつものイスに座ると、一瞬にして体育館中の空気に変化が生じた。
キャプテンと副キャプテンが呼ばれ、海と綾はたかやんの所に走って行った。イスに座って足を組んだまま、
「何いい加減な練習してんだよ。」
低く感情のない声で言われた。
「おまえらがビシッとしないから、他のヤツらもチンタラチンタラやってんだろっ!」
怒鳴り声が響き渡り、2人は何も言えずに下を向いた。
「3年集合!」
たかやんの合図で、他の4人も集まった。
「おまえたちのやってることは、まだ上級生に助けてもらっているような他人任せの練習だ。おまえたち6人が、このチームで最上級生なんだぞ。分かってるよな?1人1人がもっと自覚を持って下を引っ張っていかないと、バラバラのチームになっちまうぞ。」
「・・・・・。」
「何か言いたいことがあれば、言ってみろ。海、どうだ?」
「3年生らしく頑張ろうとは思っているけど、具体的にどうすればいいのか、よく分からないです・・・。」
「そうだろうな。分かってないから、オレに怒られてるんだよな。3年同士よく話し合って、自分たちで答えを見つけろ。」
練習に戻り、その後6人は何度もたかやんに怒鳴られながら、その日の部活は終了した。
3年生になると、部室を使うことができる。海たち6人は部室に戻ると、ペチャクチャと話し始めた。
「今日は誰も、お尻叩かれなくてよかったね。」
「怪しい空気バンバン流れてたけどね・・・。」
「あんなの1年生に見られたら、誰も入ってこなくなっちゃうもんね。」
「たかやんも一応そう思って、今日は我慢したのかな?」
「でも、時間の問題だよね。気をつけよー。」
「練習中パーンって叩かれるくらいなら何でもないけど、おしおき部屋へ連れて行かれることを知ったら、まじで入部しないよね・・・。」
「私それ知ったとき、すごくショックだったもん。キャプテン、副キャプテンかわいそう・・・って。」
「海と綾、耐えるんだよ。私たちもできる限り2人を守ってあげるからね。」
「うん、ありがとう。」
「でも2人だけじゃなくて、3年生って全員危ないよね。」
「そうだよね。取りあえず私たちの目標は、たかやんに『おしおき部屋行き』を宣告されないこと!だね。」
「うん、頑張ろう!!」
チームをどうするか?ではなく、おしおき対策に話がはずんだ。でも結局のところ、おしおきされるということは、自分たちに非があるということだから、『おしおきされないこと=理想のチーム作り』なんだろうなと海は思った。
それから数日経ったある日、最後の30分でゲーム練習が始まった。開始して数分後、海は思いもよらぬことに、まだ入ったばかりの1年生と交代させられた。
「何で?」
反発したい気持ちを抑えて、コート外でブスッとしてゲームの流れを見ていると、たかやんに呼ばれた。
“また入れてくれるんだ。”
張り切ってたかやんの元へ走り寄ると、いきなりバシッとお尻にケリを入れられた。
「痛っ!」
手で叩かれるより全然痛い。
元バリバリのサッカー選手だったというたかやんがキックをするということは、手で叩くときよりも何倍も怒っていることを意味している。
「コートの中でも外でも声を出せない選手なんて、このチームにいらねーんだけど。」
冷たく言い放たれた。
「えっ?」
「えっ?じゃねーよ。声出せないキャプテンなんて使えねーって言ってんだよ!」
突然そんなことを言われて、海は口をギュッと結んでうつむいてしまった。
「顔上げろ。やる気がないなら、ここから出てってくれないか。目障りなんだよ。」
「やる気あります。」
「おまえ見てても、まったく伝わってこないんだよな。1人そういうのがいると、他のヤツらに悪影響与えるから、もう帰ってくれ。」
海の頭の中にはいろいろな思いが渦を巻き、言葉にしようとしてもうまく整理できずに黙り込んでいると、
「さっさと帰れ!」
海の手を強引に引っ張って、体育館の入口に連れて行こうとした。海はそんなたかやんの言動に、理不尽さを感じた。思わずカッとなって、たかやんの手を振りほどくと、タオルと水筒を持って体育館を出て行ってしまった。
部室に戻った途端、腰が砕けたようにしゃがみ込み、涙があふれ出した。
「あー、ムカつく!何で私ばっかり、怒られなきゃいけないのよ。みんなだって、声出てなかったじゃん。キャプテンだからかもしれないけど、でも、全員集めて注意すればいいことじゃん。」
始め頭の中はたかやんへの不満でいっぱいだったが、時間が経つにつれ、
“あー、何で帰って来ちゃったんだろう・・・。絶対にまずいよね。あれって、しがみついてでも謝って、許してもらわなきゃいけないパターンだよね。何でもっと冷静になれなかったんだろう・・・。今からでも戻った方がいいのかな?でも、たかやんを目の前にすると、圧倒されて何て言ったらいいのか分からなくなっちゃうし、練習の邪魔だって追い返されそうだし・・・。”
結局たかやんの所へ戻る勇気はなく、着替えを済ませ、みんなが帰って来る前に部室から抜け出した。
夜、綾をはじめ他の3年生4人も、心配して連絡をくれた。布団に入って寝ようとしたけれど、目を閉じると今日の出来事が思い起こされ、気づくと涙がポタポタこぼれ落ちた。悠一は夜の当番だったので、帰って来たのは海が泣きながら眠りについた後だった。
次の日の朝、悠一に起こされ、心配そうに顔をのぞき込まれた。
「海、目が腫れてるけど、何かあったか?」
「ううん、大丈夫。」
本当は食欲なんてなかったけれど、何とかいつものように朝ごはんを食べた。
“学校行くのやだなぁ。でもそんなこと、お兄ちゃんに言えないし、仮病使ってもすぐにバレちゃうし・・・。”
仕方なく、憂うつな気分で登校した。
今日数学の授業はないから、たかやんとは顔を合わせなくて済む。部活は行かない。今はちょっと、面と向かって謝る強い気持ちになれない。部活を休むときには職員室に行って理由を報告することになっているが、そんなことできる精神状態ではなかったので、そのままスルーして帰宅した。
「無断欠席は後で大変なことになるよ。」
綾に心配されたけど、どう考えても今日は無理だ・・・。
悠一がpm7:00ごろ帰って来た。ソファでボーっとしている海を見て、
「あれ?部活は?」
「うーん、今日はちょっと調子が悪かったから休んだ。」
「頭痛いのか?お腹か?」
心配そうに聞かれて、一瞬ためらったが、
「こころ・・・。」
と答えた。
「海、朝も変だったけど、学校で何かあったのか?」
「うーん・・・。」
「兄ちゃんに言ってみろ。」
悠一は夜ごはんの用意をしながら、海に問いかけた。
「あのね、昨日ね、部活で先生に怒られて、帰れって言われたから、本当に帰って来ちゃったの・・・。」
「えっ?それで今日、謝りに行かなかったのか?」
「うん。行けなかった・・・。」
「どうして?」
「また怒られるって思ったら、やだなぁって・・・。」
「困ったキャプテンだな。」
優しく笑って言われて、海は少しホッとした。悠一にまで怒られたら、
“もうどうにもならない・・・。”
って思ったから。
“たかやんもお兄ちゃんみたいに、笑って叱ってくれればいいのに。”
あり得ないことを想像して、首を横に振った。
「お兄ちゃん、どうしよう・・・。」
「うーん、海はどう思ってるんだ?」
「こんなズルズルしてたらよくない、って思ってる。だけど、キャプテンだからって、海ばっかりいっつも怒られて、もう耐えらんない。」
「まだ4月だぞ。始まったばかりでそんな弱気になってたら、これから先やっていけるのか?」
「無理・・・。」
“海のヤツ、だいぶ参ってるみたいだな。いつもなら「頑張る!」と言って、逆境に立ち向かって行く子なのに、かなりプレッシャーを感じてるんだろう。高也先輩はすべて承知の上で海に試練を与えているのだろうが、海、甘えん坊だから、手がかかりそうだよな・・・。オレがあまり口出しするのもよくない気がするが、かといって放っておけない感じだし。オレはアメ役で、たっぷりと甘えさせてやればいいか。学校には怖いムチ役さんがいるんだもんな。”
悠一は料理をする手を止め、ソファに座っている海の隣に腰を下ろした。
「えっ?」
海は“まさか・・・”と思いつつ、悠一の顔を見つめた。
「ほら、こっちおいで。」
悠一はひざをポンポンと叩いた。
「えっ、やだ。」
その場から逃げ出そうとすると、腕をグイッと引っ張られて、ひざの上に座らされた。
「赤ちゃんの海ちゃん、優しいお兄ちゃんが抱っこしてあげるよ。」
と言って、ギュッと抱きしめられた。
「お兄ちゃん、やだぁ。海、赤ちゃんじゃないもん。もう中3だよー。」
「だっておまえの言ってること、中3の女バスキャプテンの言葉とは到底思えないぞ。」
海のほっぺがプーッと膨らむと、
「ほら、やっぱり大きな赤ん坊だな。」
ニコニコしながら、膨らんだ両方のほっぺを突っつかれた。
おしおきの後はよく抱っこしてもらうけど、そうではないときの抱っこって、すごく恥ずかしく感じた。でも何だかとっても気分が落ち着いて、モヤモヤしていた心の中が、スーッと軽くなった気がする。悠一はその後何もしゃべらず、しばらくの間、背中をトントンしてくれた。
「お兄ちゃん、ありがとう。」
「少しは元気出たか?」
「うん。」
「あとは海が自分でちゃんと考えて、結論を出すんだぞ。相談だったらいつでも聞くし、抱っこしてーって素直に言えたら、毎日でもギューってしてやるからな。」
「うん。」
「高也先輩があまりにもひどいことを言ったり、暴力振るったりしたら、オレ乗り込んで行って、うちの大事な大事な海をいじめるな!って言ってやるからな。」
「えー、大丈夫だよ。」
「ハハハ、冗談、冗談。高也先輩は海のことちゃんと考えてくれてるから、信頼してついていけ。厳しい面も多いけど、生徒思いのいい先生だろ?」
「う、うーん・・・。」
「よし、じゃあ抱っこタイムおしまいな。おまえ、さっきオレにお尻叩かれると思っただろ?」
「えっ・・・。」
「お尻は高也先輩にいっぱい叩いてもらえ。」
「えー、やだよー。」
「でも確実におしおきされるようなことをしたんだから、覚悟しなきゃな。」
自分でももちろん分かってはいたけれど、改めて『おしおき』という言葉を聞くと、せっかく少し楽になった気持ちが、再び深いブルーに染められた。
つづく