第24回参議院選挙が終わりました。
昨夜からこの話題でいっぱいです。結果はご存知のとうり与党の圧勝といったところです。
僕は、結果に対して残念だとか、勝った負けたという印象は持っていなくて、勿論、個人的に応援してた人が落選したことにたいしては残念ですが、選挙の結果に対しては、国民の選択を確認したというか、結果を尊重したいと思っています。
なので、このブログでも選挙に対する感想を書くつもりはなかったのですが、選挙前日に、参議院の意義と題して記事を書いたこともあり、やはり、その結果を書いておく必要を感じました。
そこで、分析や総括といったことではなくで、自分が感じたことを記録しておくに留めて今回の記事にしたいと思います。
今回の争点は、アベノミクスの継続か否か?だったはずですが、いつの間にか関心は、改憲になったようです。
野党の目的だった改憲勢力の3分の2議席阻止は達成できませんでした。
そういった意味では国民は、野党を支持しなかったといえます。
現行での安倍首相の自民党総裁任期は2018年9月まで。
着実に改憲スケジュールを踏破しているようです。
僕は、改憲に反対しているわけではありません。
改憲自体を悪い事だと考えるもの問題だと思います。
どんな憲法であれ、時代性によりいつかは改憲の必要性が出てくると思います。
その時に、国民の意識の元に改憲が進められるかどうかが問題なのだと思います。
それと決して変えてはいけない国としてのアイデンティーを守られるかという視点があるかどうかです。
今の改憲のアピールは、権力者の都合に合わせた民主主義の崩壊に繋がるように思えてなりません。
そもそも民主主義国家において憲法とは、国民が統治者に権力を移譲するにあたって国民を守るために課した約束。つまり権力を縛るものなのですが、これを理解していない政治家が自民党には目につくのです。
これも2次資料からなので、一部分しか取り上げられていないのですが、どんな理由であれこういったことを口にすること自体、政治家としてアウトだと思います。
何も無いところからは生まれないのです。
こういった言葉を選んで口にするということは、何かの意図が頭の中に存在しているということの証明なのです。
明治時代に、戦前に戻りたいのですよね。
しかし、それがどれほどの人命を愚かな戦争で失ったのか、この反省の元にできた憲法だということをもう忘れてしまったのです。
9条はアメリカ人によって押し付けられたものではなく、時の総理幣原喜重郎の発案であったこと、彼は昭和天皇に招かれ、引退していた身から総理大臣の責を引き受けたこと。
そして、この憲法は、選挙で選ばれた議員により審議をして国会で制定だれたことは以前にも書きました。
そういった史実を無視し、都合の良い解釈で国民を欺く手法が気に入りません。
これは、教育の問題でもあると思います。
義務教育の頃から、自分で考える思考を育てずにプログラミングするような教育は、僕は自分が中学生だったことから疑問を持っていました。
学校とは、工場なのだと思います。
自意識を持たせず、上位の者に従順で反抗しない、権力者にとって扱いやすい人を育てるロボット工場なのだと感じます。
故に、それに反抗する生徒を不良と呼ぶのです。
工場では、これを不良品、NG品と呼ぶのです。
そこには、価値がなくゴミとなります。
学校でも点数を取ることに価値があり、間違っても自分で思考した答えにはあまり価値を見出しません。
多様な価値観をもたらす思考は、社会にとって害すると考えているのかもしれません。
戦前に教えられたことをそのまま信じ込む議員さんもいます。
神武天皇の存在の是非は、証明が難しいと思います。
これは、欠史八代 をむくめて、一時期、記紀の記述を疑問視した時代があったからです。
僕は、神武天皇を初め、創作されたという天皇でもモデルは存在していたと考えています。
しかし、彼女は、神話も含めて日本の歴史を大切にした憲法を作りたいと言っています。
神話を信じるなら、神武天皇の先祖は、イザナギの左目から生まれたことになります。
神武天皇の存在を信じている彼女は、こういった神話も信じているのでしょうか?
卑弥呼は天皇家と関係あるのでしょうか?
もし、そうなら女性の天皇を認めても良いはずです。
アマテラスは女神でもあります。
なにより、天皇家は神の子孫であり、日本は神の治める国であるといった思想から、神風だとか、天皇のため、国のために喜んで死ぬべし。のような悲劇が生まれたのを忘れたのでしょうか?
彼女は、国会でも八紘一宇を持ち出しました。
その言葉の本来持つ意味は崇高なのですが、それをスローガンに悪用し多くの命が奪われたことをどう思っているのでしょうか?
そんな彼女も今回の選挙で、国民が支持しました。
また、こんな女性候補者も。
政策やビジョンもないままに選ばれる議員。
彼らは、国会においてさしたる活躍もしないまま、単なる1票にしかならないとわからないのでしょうか?
テレビに映っていただけで、自民党だからというだけで、なぜ票を集められるのか不思議です。
「長いものには巻かれよ。」という諺がありますが、特に日本人は権力者や多数派に迎合する性格があります。
多数派に属していれば、安心だ。少数派は負組みで、敗者は虐げられる。
少数派や異端、人と変わった者は、排除するべきだ。
そんな心理があるように思います。
誰もが、未知のモノには不安や猜疑心を持ちます。
しかし、日本人は極端にこれに対し臆病な気がします。
多分、同じ顔でいることが正しいと子供の頃から教えられたからだと思います。
今年の春に、「独裁者の部屋 」という海外のドキュメンタリーが放映されていました。
「2015年「日本賞」青少年向けカテゴリー最優秀賞。スウェーデンの8人の若者が架空の独裁体制の下で8日間を過ごすことになった。多額の賞金がかかっているが、どうすれば獲得できるかは誰も知らない。彼らは独裁者からの理不尽な指示に従う。初日、待ち受けていたのは外出禁止令などの厳しい規則。さらに「全員で持ち込む品を5つだけ選べ」という指令。決めあぐねる男性たちを尻目に、女性たちは化粧品を選ぶと主張するが…。」
独裁者の命令として全員が同じ服を着せられました。
いわゆる制服です。
これに対し、若者たちは、皆が反感を持ちました。
日本人は、子供の頃から制服になれ、同じ服を着ることに慣れています。
彼らは、ファッションは自分のアイデンティーを表現する手段だと考え、それを奪われた事に反感を覚えたのでした。
日本人にこういった考えは珍しいように思います。
中学時代、スカートの長さや学ランの長さまでが規制されていましたからね。
つまり日本の学生は、子供の頃から、個人の自由を奪われ飼いならされてきたのだと思います。
そして、民主主義を勝ち取った西洋人と、民主主義を押し付けられた日本人では、民主主義への理解が違っているのだと思います。
日本国憲法が、GHQの原案で進められたのも、日本人が民主主義を理解できていなかったからです。だから松本案は却下されたのです。
戦前に戻りたい人は、そういった社会に戻りたい人です。
天皇主権の世。
しかし、今の天皇に権力はなく、権力者は天皇の名を利用して、自分の都合の良い国家を作りたいのだと思います。
しかし、改憲へのハードルは高そうです。
最後は、国民投票が待っています。
メディアを使って国民の意識への刷り込みを行われると思いますが、戦後の平和教育が試される時だと思います。
いずれは、そんな人が表れて戦争のできる国に変えられる危機が来るのは自然だと思います。
そんな時に、国民の意識は正しい選択ができるかが重要です。
歴史の過ちをくりかざす、犠牲になった貴い命、悲しみを忘れず平和に向かって進めるのかが問われます。
最後に、今回の選挙で、注目したいところがあります。
議員数では、与党の圧勝と言えそうですが、
質において重要なポイントを抑えられなかったように思います。
大きな問題を抱えている福島県と沖縄県では、現職の大臣が落選しております。
また震災で大きな影響を受けた東北でも6席中、与党は1席しか獲得できませんでした。
さらに、川内原発を持つ鹿児島県知事選も取られています。
新潟もそうかもしれません。
あと、余談ですが、三重県も落としましたね。
三重県は、岡田代表の御膝元という利点がありますが、サミットのあった伊勢があるし、神道の総本山伊勢神宮の神も与党を応援しなかったようですね。
つまり、問題を抱えている地域では、評価されていないわけです。
これは、困っている人には優しくないということです。
あと、今回の投票率は、
「第24回参院選の投票率(選挙区)は、共同通信社が全都道府県選挙管理委員会の確定投票率を11日未明に集計した結果、全国で54・70%だった。前回2013年の52・61%を2・09ポイント上回ったが、1947年の第1回以降で4番目に低い投票率となった。」
4割以上の人が棄権しており相変らず低い投票率だと思います。
多くの困っていない国民が、与党を評価し、或は棄権したことになります。
多くの困っていない人は、一部の困っている人のために優しい一票を投じる想像力は欠如しています。
自分が困らないと、切羽詰らないと意思表示ができないのが日本人なのかもしれません。
もっとも、仕事や日々の生活に追われ、人の事など見る余裕がないのが今の社会です。
そんな労働者を増やしたのも、また日本の社会です。
そろそろ新しい意識的な社会を芽生え指す時期だと思います。
なんにせよ、姑息な手を使って、意識誘導を行って国民を操作することだけは、許してはいけないと思います。
昨夜からこの話題でいっぱいです。結果はご存知のとうり与党の圧勝といったところです。
僕は、結果に対して残念だとか、勝った負けたという印象は持っていなくて、勿論、個人的に応援してた人が落選したことにたいしては残念ですが、選挙の結果に対しては、国民の選択を確認したというか、結果を尊重したいと思っています。
なので、このブログでも選挙に対する感想を書くつもりはなかったのですが、選挙前日に、参議院の意義と題して記事を書いたこともあり、やはり、その結果を書いておく必要を感じました。
そこで、分析や総括といったことではなくで、自分が感じたことを記録しておくに留めて今回の記事にしたいと思います。
今回の争点は、アベノミクスの継続か否か?だったはずですが、いつの間にか関心は、改憲になったようです。
野党の目的だった改憲勢力の3分の2議席阻止は達成できませんでした。
そういった意味では国民は、野党を支持しなかったといえます。
現行での安倍首相の自民党総裁任期は2018年9月まで。
着実に改憲スケジュールを踏破しているようです。
僕は、改憲に反対しているわけではありません。
改憲自体を悪い事だと考えるもの問題だと思います。
どんな憲法であれ、時代性によりいつかは改憲の必要性が出てくると思います。
その時に、国民の意識の元に改憲が進められるかどうかが問題なのだと思います。
それと決して変えてはいけない国としてのアイデンティーを守られるかという視点があるかどうかです。
今の改憲のアピールは、権力者の都合に合わせた民主主義の崩壊に繋がるように思えてなりません。
そもそも民主主義国家において憲法とは、国民が統治者に権力を移譲するにあたって国民を守るために課した約束。つまり権力を縛るものなのですが、これを理解していない政治家が自民党には目につくのです。
これも2次資料からなので、一部分しか取り上げられていないのですが、どんな理由であれこういったことを口にすること自体、政治家としてアウトだと思います。
何も無いところからは生まれないのです。
こういった言葉を選んで口にするということは、何かの意図が頭の中に存在しているということの証明なのです。
明治時代に、戦前に戻りたいのですよね。
しかし、それがどれほどの人命を愚かな戦争で失ったのか、この反省の元にできた憲法だということをもう忘れてしまったのです。
9条はアメリカ人によって押し付けられたものではなく、時の総理幣原喜重郎の発案であったこと、彼は昭和天皇に招かれ、引退していた身から総理大臣の責を引き受けたこと。
そして、この憲法は、選挙で選ばれた議員により審議をして国会で制定だれたことは以前にも書きました。
そういった史実を無視し、都合の良い解釈で国民を欺く手法が気に入りません。
これは、教育の問題でもあると思います。
義務教育の頃から、自分で考える思考を育てずにプログラミングするような教育は、僕は自分が中学生だったことから疑問を持っていました。
学校とは、工場なのだと思います。
自意識を持たせず、上位の者に従順で反抗しない、権力者にとって扱いやすい人を育てるロボット工場なのだと感じます。
故に、それに反抗する生徒を不良と呼ぶのです。
工場では、これを不良品、NG品と呼ぶのです。
そこには、価値がなくゴミとなります。
学校でも点数を取ることに価値があり、間違っても自分で思考した答えにはあまり価値を見出しません。
多様な価値観をもたらす思考は、社会にとって害すると考えているのかもしれません。
戦前に教えられたことをそのまま信じ込む議員さんもいます。
神武天皇の存在の是非は、証明が難しいと思います。
これは、欠史八代 をむくめて、一時期、記紀の記述を疑問視した時代があったからです。
僕は、神武天皇を初め、創作されたという天皇でもモデルは存在していたと考えています。
しかし、彼女は、神話も含めて日本の歴史を大切にした憲法を作りたいと言っています。
神話を信じるなら、神武天皇の先祖は、イザナギの左目から生まれたことになります。
神武天皇の存在を信じている彼女は、こういった神話も信じているのでしょうか?
卑弥呼は天皇家と関係あるのでしょうか?
もし、そうなら女性の天皇を認めても良いはずです。
アマテラスは女神でもあります。
なにより、天皇家は神の子孫であり、日本は神の治める国であるといった思想から、神風だとか、天皇のため、国のために喜んで死ぬべし。のような悲劇が生まれたのを忘れたのでしょうか?
彼女は、国会でも八紘一宇を持ち出しました。
その言葉の本来持つ意味は崇高なのですが、それをスローガンに悪用し多くの命が奪われたことをどう思っているのでしょうか?
そんな彼女も今回の選挙で、国民が支持しました。
また、こんな女性候補者も。
政策やビジョンもないままに選ばれる議員。
彼らは、国会においてさしたる活躍もしないまま、単なる1票にしかならないとわからないのでしょうか?
テレビに映っていただけで、自民党だからというだけで、なぜ票を集められるのか不思議です。
「長いものには巻かれよ。」という諺がありますが、特に日本人は権力者や多数派に迎合する性格があります。
多数派に属していれば、安心だ。少数派は負組みで、敗者は虐げられる。
少数派や異端、人と変わった者は、排除するべきだ。
そんな心理があるように思います。
誰もが、未知のモノには不安や猜疑心を持ちます。
しかし、日本人は極端にこれに対し臆病な気がします。
多分、同じ顔でいることが正しいと子供の頃から教えられたからだと思います。
今年の春に、「独裁者の部屋 」という海外のドキュメンタリーが放映されていました。
「2015年「日本賞」青少年向けカテゴリー最優秀賞。スウェーデンの8人の若者が架空の独裁体制の下で8日間を過ごすことになった。多額の賞金がかかっているが、どうすれば獲得できるかは誰も知らない。彼らは独裁者からの理不尽な指示に従う。初日、待ち受けていたのは外出禁止令などの厳しい規則。さらに「全員で持ち込む品を5つだけ選べ」という指令。決めあぐねる男性たちを尻目に、女性たちは化粧品を選ぶと主張するが…。」
独裁者の命令として全員が同じ服を着せられました。
いわゆる制服です。
これに対し、若者たちは、皆が反感を持ちました。
日本人は、子供の頃から制服になれ、同じ服を着ることに慣れています。
彼らは、ファッションは自分のアイデンティーを表現する手段だと考え、それを奪われた事に反感を覚えたのでした。
日本人にこういった考えは珍しいように思います。
中学時代、スカートの長さや学ランの長さまでが規制されていましたからね。
つまり日本の学生は、子供の頃から、個人の自由を奪われ飼いならされてきたのだと思います。
そして、民主主義を勝ち取った西洋人と、民主主義を押し付けられた日本人では、民主主義への理解が違っているのだと思います。
日本国憲法が、GHQの原案で進められたのも、日本人が民主主義を理解できていなかったからです。だから松本案は却下されたのです。
戦前に戻りたい人は、そういった社会に戻りたい人です。
天皇主権の世。
しかし、今の天皇に権力はなく、権力者は天皇の名を利用して、自分の都合の良い国家を作りたいのだと思います。
しかし、改憲へのハードルは高そうです。
最後は、国民投票が待っています。
メディアを使って国民の意識への刷り込みを行われると思いますが、戦後の平和教育が試される時だと思います。
いずれは、そんな人が表れて戦争のできる国に変えられる危機が来るのは自然だと思います。
そんな時に、国民の意識は正しい選択ができるかが重要です。
歴史の過ちをくりかざす、犠牲になった貴い命、悲しみを忘れず平和に向かって進めるのかが問われます。
最後に、今回の選挙で、注目したいところがあります。
議員数では、与党の圧勝と言えそうですが、
質において重要なポイントを抑えられなかったように思います。
大きな問題を抱えている福島県と沖縄県では、現職の大臣が落選しております。
また震災で大きな影響を受けた東北でも6席中、与党は1席しか獲得できませんでした。
さらに、川内原発を持つ鹿児島県知事選も取られています。
新潟もそうかもしれません。
あと、余談ですが、三重県も落としましたね。
三重県は、岡田代表の御膝元という利点がありますが、サミットのあった伊勢があるし、神道の総本山伊勢神宮の神も与党を応援しなかったようですね。
つまり、問題を抱えている地域では、評価されていないわけです。
これは、困っている人には優しくないということです。
あと、今回の投票率は、
「第24回参院選の投票率(選挙区)は、共同通信社が全都道府県選挙管理委員会の確定投票率を11日未明に集計した結果、全国で54・70%だった。前回2013年の52・61%を2・09ポイント上回ったが、1947年の第1回以降で4番目に低い投票率となった。」
4割以上の人が棄権しており相変らず低い投票率だと思います。
多くの困っていない国民が、与党を評価し、或は棄権したことになります。
多くの困っていない人は、一部の困っている人のために優しい一票を投じる想像力は欠如しています。
自分が困らないと、切羽詰らないと意思表示ができないのが日本人なのかもしれません。
もっとも、仕事や日々の生活に追われ、人の事など見る余裕がないのが今の社会です。
そんな労働者を増やしたのも、また日本の社会です。
そろそろ新しい意識的な社会を芽生え指す時期だと思います。
なんにせよ、姑息な手を使って、意識誘導を行って国民を操作することだけは、許してはいけないと思います。