たまに、通りすがりにぶちぎれてくる爺さんに遭遇することがある。
すれ違いざまに怒鳴りつけられる。
常識はないのか!!
じゃまだ!!!
不愉快だけど、きっとこの人は自分のご家庭でこういう扱いされているから八つ当たりしてるんだろうな、って思って・・・
自宅に帰ってさっさと天に召されてしまえ!!天もあんたはいらないっていうかもだけど、と暴言を吐いてうさを晴らしている。
なんで怒るのかって、歳をとって感情のコントロールがしにくいのだろう。
実際実母の老い方で切実に感じたことだ。
直情的、エモーショナル、そんな感じ。
動作は緩慢なのに、感情だけはえ、嘘でしょ?ってスピードで切り替わる。
次に冒頭の通り、自分がそういう扱いされている説もある。
プラス、価値観が自分が若い頃の価値観、下手したら子供の頃の憧れた価値観を盲信して手放せなかった人なのかもしれないな、とお昼寝から目覚めてふと脳内に湧いてきた。
昔は女性はセクハラとかあしらってナンボ、それが大人だ、とか言われていた。
これは確かに私も耳にして、軽くあしらえないが故に、私は大人の女性ではないんだろうな、生涯に渡って、その評価を得ることはないのだろうな、と漠然と思ったのを記憶している。
セクでハラな出来事を友人に相談した時には
セクハラなんてモテない女のひがみだよ
って返ってきたのも覚えている。
体目的の関係を絶やすことのない人をモテると思っているタイプなのでそう言っても不思議ではないが。
モテ、に関しては彼女にとってそうなんだろう、とも思えず、なんだろうなー、なんだろうなー、なんかモヤモヤするけど、この状態をモテるとするならば私は決してモテはしないな、と思うに留まったのも覚えている。
今現在もそうだ。
私はモテず、彼女は彼女のいうところのモテている。
そんな彼女は今も当時の価値観のまんまだ。
社会生活、私よりも濃厚に過ごしているのにもかかわらず、だ。
第三者の少し若い女の子の起こしたトラブルについて、彼女は自業自得と言ったが、私は今はそれはアウトだから、非常識だよ、と思わず言ってしまった。
彼女はあーじゃない、こーじゃない、無責任だのなんだの最後まで私の主張に歩み寄ることはなかった。
それはそれで一理あるので分からなくもない。
他の人、主に男性が若い女の子を庇うような形式になってそれにもよくは思えなかったのだろう。
正直、私は男性の方が彼女のような考え方をするのではないか、と思っていた。
しかし、男性たちはきっちりアップデートされていたのだ。
私も若い女の子を庇うような形になり彼女は腑に落ちない様子だった。
彼女の価値観は彼女を守るための鎧のようなものだったからだろう。
その気持ちはとてもよくわかったけど、反面、アップデートされない危うさを感じてしまった。
価値観そのものを手放す手放さないはその人の自由だ。
アップデートするしない、も自由だ。
だけど、アップデートされているんだ、という事実を概要だけでも認識していないと自分を追い詰めかねない。
認識していないと、自分の中の常識にそぐわない案件が莫大に増える。
なんて無礼な、とか、なんて非常識な、と思うことが増える。
直情的になりつつある世代でこれらのことを感じたら、怒鳴りつけてきてもおかしくない。
怒鳴りつけられるのは理不尽だ。
相手も寂しいのだろう、と同情的になったりもしたが、アップデートされない価値観を握りしめたまま怒鳴りつけることで殴りつけるのは、恥ずかしい。
私だったら恥ずかしい。
恥ずかしかったら、また怒りで相手に恥をなすりつけてくるのだろう。
気をつけよーっと。
説教がましくなってしまったけど、それなりに私は私でアップデートしていかないとな。