砂の器。(感想という名のぼやき。 | ジブン探検中。

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フジテレビの砂の器を見た。

一つの画面に昭和と平成がごちゃまぜ。
部屋の内装、小物がちぐはぐ。

時代背景が異次元というか、異空間化してしまって見ていて落ち着かない。
砂の器の印象的なシーンを背骨にストーリーを構築してしるのだろう。
松本清張作品に感じる人間の淡々とした物悲しさ、しがみつかなければならない必死さみたいなものが全く感じられない。


登場人物の持っているステイタス、ポジションが与えていたであろうものの本質を現代版に当てはめて作っていたら、きっとそれは素敵だったのだろう。
しかしそれは緻密なことで、手抜きをしてできるものではない。
決して手抜きしていると言いたいわけではないが、中途半端なこの状態を手抜きと言われてしまっても致し方ないような気がする。
佇まいが昭和なのに、小物は平成。
違和感。
砂の器詐欺に出くわした気分だ。


CMとCMの間隔が短すぎて話はぶつ切り。
話を見せたいわけではないとこの状況からわかる。

もしくは、若い人たちは、これくらいのCM間隔じゃないと、集中力が持たないのかもしれない。
小物や時代背景、整合性なんてどうでもいい、そんな世代をターゲットにしているドラマなのかもしれない。


だとしたら、私は完全にターゲット外。
工エエェェ(´д`)ェェエエ工、なんて思うのもおこがましいのかもしれない。


演技ができる人たちを周りに置いて、売り込みたいものを踊らせるドラマとしては大成功なんだろうな、と思う。
薄っぺらい音楽家、ああ、残念。
冷酷にもなれず、闇も抱えられず、栄光に浸るフリをするでもなく、実際に浸るわけでもなく、上昇志向があるそぶりもなく、今の生活に対する執着も感じられない、いてもいなくても関係ない感じ、本気で隠したいであろう人間が取りうる行動には思えず、その場しのぎでしか存在していない音楽家になってしまったのは、本当に残念だ。
北大路欣也さまが疑ったから、そんな空気になっただけ。
そして、そのその場しのぎ感だけは現代的でマッチしているんだろうな、と思った。


感動のラスト31分46秒、みたいな告知をしていたが、本当にラスト31分46秒だけ見れば十分だった。
刑事の語りだけで十分だ。(バースデーみたいになった気もするけど)
子役と柄本明さんでお腹いっぱい。
感動話に仕立て上げました、さすがバースデーのナレーター。


そしてドラマを見ていて衝撃が走ったのは、ニュース速報のショーケン死去だった。
思わず声を出してしまった。
己の美学のある役者さんだな、と出演していたロードムービー的なショーケン原案の2時間ドラマを見て思わされた。
その作品がどうのこうのではなく役者の美学をいい悪いなく受け取らせてもらったな、と思った。(独特の間があっていいんだよなぁ。)
貫く美学みたいなものが一つの形としてテレビから流れてきたからだ。


我ながら、言いたい放題だな、と思うが、松本清張作品のドラマが好きな私は、ため息しか出ないんだよぉ。
やり切れなさを感じたいんだよぉ。


とりあえず、出演していた猫が二匹とも可愛かったので、良かったな。
黒猫に赤い首輪は愛らしさ100億倍だな。