しっかりしなきゃ。 | ジブン探検中。

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どう感じたか、どう思ったか、
書いて忘れていくブログ。

眠ったー。
睡眠時間は上々だ。
寝すぎても睡眠不足以上に体に悪いという。
うん、どうでもいい。
健康であることに越したことはないし、ある種の義務でもある、と認識している。
が、どうでもいい。
致し方ないこともある。



私はついついしっかりしなくてはと思ってしまう。
長女あるある、だろう。
しかし、しっかりしなくては、が、他者に対して、しっかりしている、に結びついているかどうかはわからない。
そこがミソだ。
意識はしっかりしなくては、に向かっているのに結果に結びついていない。
大概、それに対して有難いと思われるわけでもなく、当然のごとくスルーだ。
私がしっかりしたい、と思っているのであれば、是非是非しっかりしていただきたけども、決してそういうわけではない。
そう考えると、しっかりしようとすること自体、無駄というものではないだろうか。
いや、無駄だろ、これ。



同じような状況にちゃんとしなくては、というのがある。
(一生懸命も真面目も個人差がある割には、ジャッジの対象にされやすい気がする)
ちゃんとしなくては、にしても、しっかりしなくては、にしても、どちらも日頃の行いによって表に現れる類のものだ。(と私は思ってる)
日頃からしっかりし、ちゃんとしていれば、意識的にしっかりもちゃんともしなくて済むのだ。


だから、私は日頃からしっかり、ちゃんと・・・しない。
しっかり、ちゃんと、に気持ちが向くと、私はマッチョ思想になるからだ。
根性論みたいなそういう展開になり、全くもって思いやりがなくなるのだ。
思いやりがない、というか、優しくない、というか、そういう感じだ。
それは他者に対して、だけではなく、自分自身に対しても同じだ。


他者といると異常に気を使う、上に、しっかりしなくてはスイッチが入る。
・・・他者が敵に思えるくらい疲れる。
そして引きこもる、誰にも会いたくなくなる。
悪循環だろう、これ。
しかも無駄ときている。
なんのためにしているのか、よくわからない。
誰かに頼まれているわけでも、喜ばれているわけでもない。
もちろん私が好き好んでやっているわけではない。
義務感でやっている。
そうしないと人の輪には入れない、孤立してしまう、という出典不明の恐れからだ。
なにこの無駄。


無意識にしっかりしなくてはスイッチを入れていたことに気がつけたのはラッキーだ。
しっかりしなくても、ちゃんとしなくてもいい。
もともとズボラなのだから、ズボラでいい。
それでいい。
それでしばらく生活してみて、問題があったらまた考えよう。