なんで心が折れたのか。
なんでこのタイミングで心が折れたのか。
折れっぱなしにして浸っていた結果、綺麗に言えば、頑張りすぎた、と着地した。
頑張っているつもりは更々なかった。
私の中の「頑張る」というのは、肉体的に動きまくること、形として現れるようなことをする事という認識だった。
もっと前は血反吐を吐くまでやる、追い込むこと、だったから、ライトになったものだ。
肉体的に動きまくる、は文字通り、移動しまくり、買い物やら家事やらをこなしまくる。
寝てばかりいる私には頑張らないとできない事だからだ。
もう一つの形として現れるようなことをする、は、
お金を稼ぐ(お金として現れる)
家事をする(家が綺麗になったり、洗濯され綺麗になったり、ご飯が出てきたり)
勉強をする(大抵ノートやメモ、データに現れる)
そんな感じだ。
しかし、それ以外にも頑張るに値することがある。
考えることだ。
好き好んで考えていても、それなりに負荷がかかっていることは間違いない。
負荷をかけ過ぎたら疲れる。
頑張るイコール疲れる
これもある。
考えることで疲れてきている私が、被害者意識にとりつかれても全く不自然じゃない。
気づいていないから、疲労感だけが充満する。
しかも気づいていないから、なんだよ、くそ、と八つ当たりたくなる。
さらに、考えている内容によっては、無意識に禁則事項で雁字搦めにしていってしまうこともある。
要は、考えることで解放されることもあるが、考えることで無意識に雁字搦めになっていた、ということだ。
なんもしていないのに、なんで私はこんなに疲れるのか、考え過ぎてるからか、とは思っていたが、そのメカニズムまでよくはわかっていなかった。
それがはっきりした、というわけだ。
頑張ったから、ではない。
負荷がかかりすぎた、消耗しすぎた。
それで心が折れた。
そういうことだ。
考えすぎて、負荷がかかった、自分を省みすぎて、消耗した、っていい感じに聞こえるけど、これ、単に欲深いだけでほめられることじゃない。
反省するのはいいこと、でもあるけど、反省して、活かして良くなっていこう、とするのを追求しすぎたら、自分のこと省みてはいるけど、全然見えてねーじゃん、自分の器をまず把握しろよ、ってなる。
自分の器を広げる目的でやってることが、広がる前に破綻した。
自分のこと見えているようで、見えていない、見ていないし、大きくすることばかりにエネルギー費やして、って欲深いとしか言いようがない。
そして、本当に私、器ちっさ!
頑張るって言葉、簡単すぎる。
便利な言葉だけど、見る人それぞれの頑張るがありすぎて、伝わってるのか、私自身も相手の頑張るの本質を理解できているのか悩ましい。
ちなみに頑張らないってのも気をつけないと堕落するだけだと思う。
負荷を減らす、消耗する値を小さくするのが頑張らないであって、放棄や放置してしまうことじゃない。
頑張りすぎて参ってしまう人は、0か100か思考に陥ってることが多いように見える。
(私もそういう傾向はある。)
だから極端なことしがちだ。
一時的に楽になるけど、快適になるかどうかは別の話だ。
楽になりたいだけなら、放棄も放置でいいと思う。
お前の人生がどうなろうと私は知ったこっちゃない。
けど、今の私は、人様の頑張るの本質のことなんて考えて消耗して負荷かけてる場合じゃない。
時々、意識的に脳みそ休めよう。
(そういや最近、またカフェイン量増えてたもんなぁ。)
(デカフェ意識的に増やそう。)
(思考が止まるんだよね、デカフェ)
(睡眠の質が上がるし、考え事は止まるし、思考が落ち着かない人はデカフェちょうオススメ。)
==================
お前の人生がどうなろうと私は知ったこっちゃない。
って書いて、気づいた。
すっごいスッキリした。
あー、もう、これだ。
これが私の最大限の愛情だ。(言い過ぎだ)