目的を持って生きるのってこんなに楽しいんだ。 | ジブン探検中。

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どう感じたか、どう思ったか、
書いて忘れていくブログ。

タイトルを見ると、お、とうとうやりたい事が見つかったのか、この人。
と思われそうだが、安心してください、安定して見つかっておりません。


ただ、自分のこういうところを改善しようと、改善点を見つけ、そこから派生して、こうしてみようか、と方針を見繕っただけだ。
それだけでも、ちょっと気持ちが上がる。
方針に対して正直しんどいな、という気持ちがあった。
そんなこともできないのか、という自分の未熟さに情けなくなった。
その感情を受け止めてやるしかないのだ、と諦めのような気持ちもあった。


しかし、ちょっとネガティブっぽいことばかりではなかった。
その状況を鑑みた自分の反応が事実に基づいた現実的な範疇で前向きだったことに私は驚いた。

情けないところからスタート切るなら、伸びしろしかないやんけー!!!

とな。
誰これ、と我が目を疑った。
この人、あんなに悲観的だったのに、楽観的だったのに。(どっちやねん)
あー、変わったなぁ、私。
さらに取り組みのスタンスにも変化があった。


できてもできなくても意識し続ける。


0か100かの白黒つけたがる、妙な完璧主義も薄れてきた。
グレーを許せている兆候だろう。


私はしみじみ楽しい気持ちになった。


当面の目標は
反射的に無意識に言葉を発しない、だ。
主に会話する場において、なんとなく流れやテンポで言葉を思いつきで発しがちだ。
私の場合、自己嫌悪の原因はこれが多い。
余計な一言、だ。
悪意がないから、なおタチが悪い。
悪意があろうがなかろうが受け取りがたいものは受け取りがたい(笑)
気心が知れた人たちなら、むしろその方が面白いから、あんまり考えて話すのやめなよ、と言ってくれていた。
しかも若い頃だったから、許されていた部分も大きい。
いいBBAになってきたので、自発的に自重していこうと思う。


しかし、反射的に会話してしまうから、未熟であり、情けない、というわけでは決してない。
気がつかない、特にそれで不都合が生じていないなら、なんら問題のない話だ。
私の場合、思いついた言葉が辛辣であったり、皮肉、嫌味と取られかねない表現であったり、最悪の場合、相手に恥をかかせてしまうことに繋がりかねない思いつきなのだ。


実際それは人を遠ざけてしまう要因にもなっている。
人を傷つけかねない自分が恐ろしい存在に思えてしまうからだ。
(いい人っぽいけど、人を傷つけたと自覚した時は救いのないくらい真っ暗な気持ちになって自分を存在させてはならない、くらいに追い詰められてしまうから、本当に、うん、怖い。)
だったら、人と関わることはやめよう、と思ってしまうのだ。


が、そうであっても本来、未熟である、情けない、と言われるようなことでは決してない。(わざと人を傷つける、というのはまた別の話なので横に置いておいて欲しい。)

己を未熟だ、とする必要も、情けない、とする必要もないのだが、私はそのほうがモチベーションが保ちやすいのでそう見ている。
基本的にこのブログで情けないだ、クズだ、ゴミだ、とのたまっているのも、モチベーションの維持や調子に乗るなよ、という戒めに過ぎない。
本音である、というのも事実だが、理想ばかりが高いだけで自身が伴っていない、砂上の楼閣のようなものでしかない。
そして、その砂上の楼閣が私を苦しめていることに少しずつ気づいたのだ。


あるべき大人の姿、と経験や環境などによって構築されているリアルに存在している大人には開きがある、と私は思っている。
あるべき大人の姿は大人になる過程を踏めば、これくらいはできるであろう、という見込みに過ぎない。
マニュアル通りに何事も進むのであれば、苦労しないし、現在私も苦労していないと思う。

大人のくせに恥ずかしくないのか!とつい口にしがちだが、それに気づくことができなかった大人ばかりの世の中だ、と私は思っている。
その「恥ずかしい」とされる部分が人それぞれ違うのだ。
見える形で現れるとも限らず、隠し続けている場合もあり、一概には言えないのだと思う。


それを踏まえた上で、敢えて、大人なのだから、と口にしたいと思う。
大人は成長しない、と決めつけたくないからだ。
人は死ぬまで成長し続ける。
肉体は老化という成長をし、精神は成熟という成長をする、それが人間なのだろう。
そしてそこを手抜きしてどうするんだ、っていう話だろ、と先ほど気づいた。
ま、そんな感じ。