自分だけのプラス1。 | 雨垂れのブログ

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透析6年目。有難う!感謝の日々です。



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おはようございます。

今日は曇時々雨。12℃~18℃。

全国的に雨。向こう一週間は傘マークの日々。そして雪マークもチラリ。

なんとなく憂鬱にさせる週間天気です。



昨日は何処にも出掛けず、ほぼ寝て過ごしていました。

そんなダラケた私を癒してくれたのは、
最近話題に成ってるレーサーの野田樹潤さん。

TROT GIRLS JAPANで心に染みる歌声を聞かせてくれる東 亜樹さん。


どちらも十代の高校生。

この二人の未来が素敵で有りますように!と願う気持ちによぎったのは、

少なくとも向こう30年は大きな災害や戦争が無い世の中でありますように!と願う気持ちでした。

不穏の動きを見せている中国。その機会にと企んでいるかの様な北朝鮮とロシア。

己の欲望で輝く若者達の未来を奪わないで!



明日は明るい春の日射しに包まれると信じて、今日も笑顔でファイト!です🤗



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◼️気を付けて!

【実際の音声あり】「お客様の電話番号は本日で利用停止されます…」さらに「詳しくは1を押してください…」1を押すと…「+」がつく国際電話番号からの詐欺電話相次ぐ、出たりかけ直したりしないで…(SBC信越放送) - Yahoo!ニュース

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【"4歳の頃から歌手活動、スーパー現役高校生・東 亜樹や、「超貧乏になっても歌でいきたい」現役アイドル高校生・寿理 も参加!|【トロットガールズジャパン決勝戦】アベマで無料で生中継!" を YouTube で見る】

【"準決勝 四天王 大継承戦_東亜樹_♪別れの予感/テレサ・テン【トロット・ガールズ・ジャパン】毎週金曜18:00〜WOWOW・ABEMAで無料放送&配信" を YouTube で見る】

【"東亜樹 Azuma Aki official live Channel By KyonS TV" を YouTube で見る】

◆準決勝出場者個々の歌声が聴けます。
【"TROT GIRLS JAPAN 公式" を YouTube で見る】

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"【バース・デイ特別版】野田樹潤" を YouTube で見る

"「レースの世界と正反対」女子高校生レーサーJujuさん(18)、普通免許の取得に教習所へ【ゲキ推しさん】|TBS NEWS DIG" を YouTube で見る

小学生のプロレーサー
【"運命の日 ニッポンの挑戦者たち▼F4レーサー 特別編(Juju Noda)" を YouTube で見る】

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【トンネル列車火災で生き残った使命感…「あずきバー」の井村屋会長、たどり着いた先は「全社員の活躍と幸せ重視」(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース】
アイスや肉まん・あんまんで知られる井村屋グループの中島伸子会長CEO(最高経営責任者)は、列車事故に遭い、九死に一生を得た経験を持つ。社員の活躍や幸せを重視する経営改革を進めている。(聞き手・山内竜介 写真・菅野靖)
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◆<1972年、死者30人を出した北陸トンネル列車火災事故に遭った。その後遺症で教師になる夢を諦めた>

20歳の誕生日を実家で過ごすため、夜行列車で帰省している時でした。3人の小さな男の子を連れた若い母親と一緒に4人がけのボックス席に座っていると、トンネルの中で突然、列車が止まりました。真っ暗な車内でアナウンスも何もない。そうしたら隣の食堂車から炎が迫ってくるのが見えました。

 その母親が泣きながら言うのです。「3人の子連れで逃げられない。跡取りの上の子だけでも連れて行ってほしい」。私は5歳の子を抱きかかえ、窓から車外へ飛び降りました。黒煙が充満するトンネルではぐれてしまい、必死に子どもの名前を叫んでいるうちに気絶してしまいました。

 意識を取り戻したのは、ちょうど誕生日を迎えた2日後。4人の母子が亡くなったことを知らされました。

私自身も、のどからすすの塊が出てきて2年間はほとんどしゃべれませんでした。医師からは一酸化炭素中毒で声帯が麻痺している、声を使う仕事は諦めた方がよいと宣告されました。その後、声は徐々に出るようになりましたが、今でも少ししわがれているでしょう。きつい体験でした。

 子どもを救えなかった後悔と無念。目指していた教師になる夢への道が閉ざされた喪失感。ぐずぐずしていた日々から立ち直ったきっかけは父からの手紙でした。「声が出なくても生きていけるし、自分だけのプラス1を探すことだ。『辛』に一本足せば『幸』になる。亡くなった人のためにも一生懸命生きることが使命だ」。この言葉はずっと私の支えとなりました。

高校の同窓生だった主人と結婚した後、23歳の時に近所にあった井村屋の福井営業所で経理事務の募集を見つけ、アルバイトとして働き始めました。

 亡くなった子どもたちのことを思うと、どんな仕事でもしっかりやろうと。経理だけでなく、4トントラックを運転して配達もしていましたよ。

 ある配達先で「カップアイスのふたが開けにくい」と聞きました。ちょうど全社的に改善活動の募集があったので、ふたの持ち手を大きくするよう提案すると、採用され、社長賞をもらいました。

 バイトでも差別なく表彰してくれる会社ってないじゃないですか。感激して25歳で登用試験を受けて正社員になりました。
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