【追加】心の中では、「やまない雨もあるわよ」とつぶやいていました。 | 雨垂れのブログ

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透析6年目。有難う!感謝の日々です。



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おはようございます。

今日は昼頃から雨予報。
気温は2℃~7℃と肌寒いけれど、寒いさんは今日帰り支度をするそうです。

来週26日の最高気温は16℃予報。
♪もうすぐ♪は~るですね♪😄

その前に、
心に満開の桜咲く春がやって来る?

カーリング女子のイギリスとの決勝戦は
2月20日 午前10時5分からです😀

【追加】

【動画】カーリング 女子 日本初の決勝進出へ 準決勝 日本×スイス ハイライト - 北京オリンピック・パラリンピック特集 - スポーツナビ 




ところで、
YouTuberのヒカルに「詐欺師」と名指された東谷義和氏が、「もう失うものがないから、すべてさらけ出したろと思って」とユーチューブで暴露を開始。

嘘かホントか?何が真実かは不明だけれど、東谷義和氏と付き合いが合った芸能人には恐怖でしょうね。

最初に暴露されたのは、
千葉テレビで復帰したばかりのアンジャッシュ渡部建。

芸能界には、色んな人多いですね。


さて、週末の透析に行ってきます。

今日の日に感謝して笑顔でファイトです🤗



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【二十四節気「雨水」 春の気配が濃くなる時季 - ウェザーニュース】

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【コーヒーは、いれ方で味に差がつく! - ウェザーニュース】

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こういう合わせ酢に、胡麻、卵黄、だし汁などを加えると、さまざまな合わせ酢を作ることができます。
【100歳の100の知恵】手作りの「合わせ酢」は経済的でおいしい|人間関係|婦人公論.jp

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【注文した物と違う!? 通販サイトで購入した商品の「代引き配達」でトラブルが増加中(Impress Watch) - Yahoo!ニュース】

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【こすっても落ちない便器の「黒ずみ、ピンク汚れ」の対処方は…? プロが教える、トイレ掃除の「超便利グッズ6選」 | 文春オンライン】

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◆芸能界に激震? 始まったユーチューブでの暴露合戦

【ヒカルに“詐欺師”と名指しされた「BTSに会わせる」男が怒りの反論|NEWSポストセブン】

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【東谷義和、アンジャッシュ渡部の大阪での“遊び”を暴露「禊終わったと思ったらあかんよ」 - YouTubeニュース | ユーチュラ】

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「奇跡」のような実話の恋愛物語
【林真理子が不倫を「実名」で描いた理由…梨園の妻が出会った奇跡の愛(林 真理子) | FRaU】

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【いじめをきっかけに引きこもり、不登校になった私が、弁論大会で覚醒。体験を共有することで、つらいだけのこともそうではなくなる|話題|婦人公論.jp】

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【『徹子の部屋』に出演の松島トモ子さん「母が認知症で暴君に。自身もパニック障害になるほどの自宅介護の苦労と心境を告白。〈レビー小体型認知症〉と診断され気持ちが楽に」|芸能|婦人公論.jp】
2022年2月18日の『徹子の部屋』のゲストは松島トモ子さんです。松島さんは、2021年10月6日、自身のブログで、その2日前に最愛の母が100歳で亡くなったことを明らかにしていました。4ヵ月経った今も「寂しい」と語っています。2016年春から母の異変が始まり、5年間壮絶な自宅介護の末見送った松島さん。介護4年目、「ようやく隠すことなく語れるようになった」という心境を語った『婦人公論』2019年4月23日号のインタビューを再配信します。


松島トモ子さんは4歳で映画デビューして以来、母・志奈枝さんと二人三脚で芸能活動を続けてきました。母が95歳になって認知症を発症し、一時は親子心中が頭をよぎるほど、心身ともに追い詰められたといいます。(構成=福永妙子 撮影=藤澤靖子)
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◆95歳の誕生会でのショックな出来事

母はとてもおしゃれで、90代になっても、外出するときはスーツにハイヒールでした。商社勤めの祖父は海外赴任が多かったため、娘時代は香港でイギリス系の女学校に通い、ペニンシュラホテルで社交界デビューしたそうです。お洋服も朝、昼、晩で替えるようなお嬢様育ちでした。

父は終戦後、生まれた私の顔も見ないままシベリアで病死しました。父を知らない私ですが、寂しいと思ったことがないのは母のおかげ。子役の仕事を始めてからは、「松島トモ子」の統括プロデューサーのように、常にそばにいて支え続けてくれたのです。

年を重ねても、背筋はまっすぐ、凛として、言葉遣いは美しく、娘バカと言われそうですけど、「年をとることは怖くない」と思わせてくれる素敵なレディでした。「トモ子ちゃんの立派なお葬式を出してから私は死ぬ」が口グセで、母を知るみなさんも、「うん、そのほうがいい」と納得。そのくらい、しっかりとした人だったのです。

そんな母に認知症の症状があらわれたのは、2016年の春のことでした。痛めた手首に巻いた包帯を、すぐにとってしまう。ギプスに替えてもらったものの、それも切る。装着し直すために病院に連れて行くのですが、それが1日に2度、3度と重なって。困って家中のハサミを隠すと、今度は包丁で切ろうとします。

その時期、私はコンサートやミュージカルの舞台で多忙を極めていました。いつも仕事を応援してくれている母が、なぜ私をこんなに煩わせるのか不思議に思うと同時に、腹立たしくもありました。ただ、このときは、おしゃれな母はギプスがイヤなのだろう、くらいに受け止めていたのです。

「これはおかしい」と決定的に感じたのは、5月に中華料理店で開いた母の誕生会。本来の誕生日は2月ですが、寒い時期ですし、お招きする方たちの都合もあり、時期をずらして祝うことになったのです。

その席で、母はいつもの母ではありませんでした。人の話をまったく聞いていない。ひたすら料理を食べ続ける。親に言う言葉ではないかもしれないけれど、まるで“餓鬼”の姿そのものでした。ふと、ずり上がった母のスカートを直そうと手をのばしたとき、真っ青になりました。失禁していたのです。母を気遣うことよりも、その場をどう取り繕うかで頭がいっぱい。このときを境に、一気に症状が出始めました。
【次ページ「母の寝室の前で外出着のまま寝る毎日」】

◆松島トモ子さんのアメブロ
【松島トモ子オフィシャルブログ】