山里の流鏑馬&接ぎ木の状態 | モーティマー日記

モーティマー日記

日記代わりです。

これからは日記がわりにしますのでバラを始め渓流釣りのこと、
写真のことなど趣味中心に投稿します。
なのでカテゴリーがズレていますがご容赦ください。

今日1月19日は3年に一度の町の流鏑馬の日です

木曽義仲の家臣と伝えられる明覚郷(現埼玉県ときがわ町)の3氏と
大河郷(現埼玉県小川町)の4氏が、天福元(1233)年に奉納したのが
始まりと言われます
明覚郷と大河郷からそれぞれ1頭ずつ2頭の馬が出ます

昨日の天気予報では明け方に雪と言っていたので中止かなと
思っていると花火の音が聞こえたので外に出てみると
雪はほとんどありませんでした
急いで支度をしてカメラを持って、今年は大河郷の一行のあとにについて
見ることにしました

大河郷の当番家がどこにあるのかわからないので途中の道で待って
いると一行がやってきました

  

山をどんどん登っていきます、馬の速度に合わせるのでかなり早いです
大河郷の一行は流鏑馬を祀る萩日吉神社へ行くのに峠を越えます
右側の小さな子が「矢とりっ子(確かそう呼ばれています)」で重要な
役目があります
  
 
峠に着くとここで矢を的に当てる神事があります 
 

峠に着いたのが朝7時半
ここで一休み、騎手は草履に足袋だけなので足が冷たそうです
ここで私も甘酒をふるまっていただきました

  

そしてこの子が大河郷の今年の「矢とりっ子」、5歳で可愛いです
背中に矢をしょっています、これがスタイル
因みに朝4時に起きたそうです、偉いですね
この後、夕方まで行事に参加します
家臣の一族の5歳から7歳くらいの男の子が選ばれるらしいです
しかし、最近は子供が少なくて一族以外からも選ばれるそうです
  

そして、こちらは明覚郷の一行、いつも矢とりっ子は馬に乗ってやってきます
 
  

 神社に着く前に女人堂にお参りしてここで矢を射ります
明覚郷が先について矢を射っています
 最初に東西南北に射ってから見物人のほうにも射ります

  
  

ラッキーなことに私のそばに南に向けて射った矢が飛んできて拾えました

  

こちらは明覚郷の矢とりっ子、勿論左の子供ですよ、右はお父さんでしょうか
それとも、付き添いの人でしょうか?
凛々しいです

  

そして私が追い越してきた大河郷の一行も女人堂にやってきました
大河郷の矢も偶然南に向けた矢が私のそばに落ちてきて
拾えてしまいました、
またしてもラッキー、今年はいいことがあるかな?
  

これが拾った矢、右の色が付いたのが大河郷、左の白い矢羽根で少し
短いのが明覚郷
実はこの後、祭りの本番でも1本拾えてしまいました
 

矢取りっ子も馬場を走ります
 

明覚郷の騎手は最初に矢を一本口にくわえ2本の矢を手にします
毎回のことなのでしきたりなのでしょう  
 

そして的に矢を射ります
 

 

疾走!
  

流鏑馬の合間に矢を見物人のほうに向けて射ります
みんな競ってひろいます、
以前、一本の矢を私と同時に持った人とはじゃんけんして私が
勝ってもらってきたこともありました
  
 

流鏑馬には小笠原流、武田流などの流派があるそうですが、ここでは
野良仕事の無い冬に代々行ってきたものなので素朴です
埼玉にも戦前まではあちこちに流鏑馬があったらしいのですが
次々と無くなり、今はここともう一か所だけです

さて、接ぎ木の状態ですが1月6日に切接ぎをして13日目、
芽が動き始めました
温度と日数的には丁度良い状態のようですが、
しかし、これは喜んでいいのかどうか?
穂木の力だけで芽が動き始めたのかも知れません
接合部分にカルスができ始めていればいいのですが確かめようも
ありません

取り敢えず一日の平均温度を少し下げて芽の動きを抑えるために
ホットカーペットでの加温は止めました
それでも昼間の温度は15度くらいになるのでこのまま様子見とします

素人の推測ですが芽が動くとそちらに穂木の力が行ってしまって
カルスを作る力がなくなってしまうのではないかと思っています
多分あと1~2週間で活着するかどうかが決まると思いますので
それまで、細心の注意を続けます

 
 
あとひと月、穂木が黒くならなければ成功でしょうけど