アキハルちゃんねる
【困惑】支援級の懇談会で知ったキツい現実
2024/08/23
上の動画みた.
双子の自閉症児を小学校支援級一年生に通わせている
お母さんの動画.
3.36万人登録チャンネルで,
上の動画の視聴回数は今のところ4.3万回.
支援級の懇談会で,学校の先生から,
小学校卒業後の進路の希望を聞かれたとか.
そして,中学は支援級か支援学校かという話の後に,さらに中学卒業後の話にもなって,
特別支援学校高等部(入試なし)と高等特別支援学校(入試あり)の話をだしたら,
先生が言うには,高等特別支援学校は
「小中学校ずっと普通級ででもやっぱり何か問題がある子が目指すとか知能が結構高くないと,あとルーティンができないと」
としたうえで
「二人ともそっち系(高等特支学校)じゃないと思います」
と話したとか.
うーん.小学校一年生の二人に対して,8年半後(中学卒業)の進路にまで,こう話す小学校支援級教師って,何者なのでしょうかね?
ふたつに場合分けしよう。
(1)小学校支援級教員に子供の未来が見抜けるのだろうか?
まず,この小学校教員に専門性はあるのか?について.
ちょっと障害児やその親を下に見ている感じがありますよね.
小学校支援級教員って,普通の教員免許さえあれば誰でもなれる.教員免許取得の際に,自閉症児の教育について専門教育なんてやらないわけです.特別支援教育の試験でさえもそれに関する問題は出ない.資格試験問題は(過去記事1)で書いた.
そんなに先を見通せている自信はどこから来ますか?
子供の成長や考え方の変動,社会情勢の変動,親の考え方や健康状態・財政状態,兄弟の考え方や状態,いろんなファクターがあるわけです.
そこには人生観も関わってきます.
(過去記事2)で書いた吉川徹医師は親の住まいが賃貸か持ち家かまで詳しく聞くと言います.そうです,さまざまなファクターがあって深く考えていくことなわけです.
(過去記事3)をはじめ多くの記事で書いたが,就学相談は私は信用していない.就学相談員のレベルの低さは想像ができるし,だから彼らに主導権を渡したくないというのがある.就学相談の時に,兄弟の状況,持ち家か賃貸か,親の考え方・経済状況・職業や祖父母の状況,など,たっぷり時間をとって情報を深く見なければならないわけだが,それは就学相談員には無理だ.就学相談員の求人を見れば分かる(過去記事4).
支援級の教員の研修は,公開していることがあるので参加して見るとよい.たいした話はしていない.学校での指示の仕方のアドバイスを先輩教員がやっているだけだ.あの程度の数時間講演は私でも頼まれればかってにでっち上げることは可能だ.その程度のレベルでしかない.
とにかくやっている感をだしているだけだ。
小学校の教員なんて,だいたい中学校までしか情報は無い.あとは高等部の情報が伝聞ないし見学で知るだけだ.障害児の親が知りえない情報を教員が持っているという事はまず無い.だいたいその教員って何歳なんだろうか.
子供の将来を見抜くような教員養成指導なんて,どこでもやっていないんですよ.
(2)小学校教員に未来が見抜けたとしたら,そこに教育はあるか?
では仮に,小学校教員らに子供らの未来が見抜けたとしたら,彼らのやっている教育ってなんだろうね?
これこれの生徒をこれだけの時間をつかってこの指導法でここまで力をつけていきます,
という目標はあるのでしょうか.
この指導法にはエビデンスがあります.やればx%以上の確率でそこまで到達します.
やらないと,到達確率はx%未満になります.
ってなことを言ってくれれば,子供を学校に任せる意味はある.
小学校1年生の時点で,「8年半後の高等特別支援学校の入試には受からない」と未来を見抜けるのであれば,その小学校中学校に通わせる意味はあるのか?特別支援学校高等部ならば入試が無いわけだ.小中9年間不登校でも,入ることができる.
(療育手帳は一日で取得できる.)
そう考えてみると,学校って,教育の場では無いのだよね.託児所と仕分けの場.
卵のサイズをL,M,Sと分けてパック詰めして値札をはって棚に並べるような感じ.
学校では試験をして振り分ける.それだけだ.上位の子に関しては,振り分けの結果,上を目指せるので意味はあるだろう.
最初から入試なしの特別支援学校高等部をめざす子に8年半の間,何をめざすのか?
これって行かないほうがマシじゃないか?託児所としての機能を考えなければ.ただ託児所としてはいじめのリスクもあって全国で30万人の不登校児にとっては入学自体が失敗であった.
あとね特別支援学校高等部に行ったところで,就職率は低いわけよ.知的障害なら1割程度(過去記事5).高等特別支援学校出て就職できても生活保護と大差はない,月12-13万円(過去記事6,7).金額よりもやりがいに意味があると(高等支援学校)校長は言う.
目的があってその手段としての学校だったはずなのに,学校自体が行って当然のものとして思考停止状態になっている.手段が目的化してしまっている.仕事だって本来の目的なのか?社会はそんなに障害者に仕事をしてもらう必要性があるのか?あるのならば給与は高くなるはずだし,無いなら仕事をしなくても良いのではないだろうか?少なくともそれは親や社会が決めることでは無くて当人が決めればよい事ではないだろうか.
親や教員はじめ周囲の大人たちが自分らの雇用を保持する意味もあって,無駄に当人たちを翻弄しているような気がするんだよね.
一日絵をかいてて楽しく過ごせるのなら,それで良いじゃないか.私はそう思うんだ.
アルバイトか月13万円工場勤務を目指して小1から毎日あくせく人の指示に従う訓練を12年間やらないといけないのか?
モンゴル帝国は馬をうまく訓練できたので軍事帝国を築けた。庶民を訓練することで産業革命は起こせた。
もうこれからの時代は馬とか庶民とかを数多く訓練すれば良いという時代じゃないと思うんだ。
達成基準が客観的に測れる仕事はAIが人に変わって全てできるようになるし、そうすべきだと思っている。
いや客観的でなくても、どんな仕事であっても、それが重要で必要不可欠なものほど、機械化を進めるべきだと思う。
たぶん近いうちに、大喜利や謎かけで大爆笑をさらう芸人さんが、AIでカンニングしていたことが発覚して批判され、スキャンダルになったりするんだろうな。
「ねずっちさんがドーピング」とかのタイトルで週刊誌に載るとかね。
(過去記事1)
(過去記事2)
(過去記事3)
(過去記事4)
(過去記事5)
(過去記事6)
(過去記事7)