としママさんのブログからリブログ.
下の記事についてでした.
入試内申書「欠席数」廃止、不登校生の不安軽減 岐阜県公立高
教育
2024年6月25日 08:54
県教委は不登校の児童生徒を巡る現状を受け、調査書に出欠に関する欄があることで、子どもが「学校に行かないといけない」と思ってしまうように、精神的な重圧につながることを考慮。入試で出欠を問わないことで、子どもに対して将来への不安を和らげる狙いがある。
文部科学省によると、全国では、23年度入試時点では、東京都、神奈川県、大阪府、奈良県、広島県が「出欠の記録」をすでに廃止しており、簡素化する流れがある。
内申書から欠席数を廃止するとのこと.大賛成.
本来,学校というのは目的では無くて手段だ.
私の同級生を見ても,小中学校を卒業して数十年してもまだ地元で暮らしている人なんて少数派だ.
地元で自営業をしている跡取り同士ならまだしも,サラリーマンの子供なんて地元から離れる.
タンポポの種が(絶滅防ぐため)遠くへ飛ぶように,それは自然なことだ.
うちみたいな賃貸に住んでいるなら猶更だ.私立ならさらにそうである.
学校というのは個人の能力を向上させるという目的のための手段に過ぎない.
学校がそのための手段として機能しているかどうかは,多様性の現在,庶民がそれぞれ判断すればよいことだ.
識字率が半数未満で国が強制的に識字率を上げようとしなければならなかった150年前明治の学制公布時点とは違う.
人間の脳の癖として,相関関係を因果関係と誤解しやすい(過去記事1).
そして,手段を目的と誤解しやすい.
一世代ならまだしも数世代にもわたって続けてきてしまったものは,習慣化してしまい,本来の目的を忘れてしまう.
そもそも人間の行動は快楽報酬を受けるために決定される.しかし習慣化するとそこに報酬が存在しなくても行動続けることになるわけだ.パブロフの犬の条件反射もそうだ.
学校に学力向上効果のエビデンスは無い.しかし,それでも150年間続いているというだけでなかなか辞められない.それをビジネスにして食べている人がいれば猶更である.そういう業界を切り捨てるような政治家は選挙で通らない仕組みだ.
高校になったら欠席数には厳しいので,とか言うけれど,それは余計なお世話.
なんで高校のために中学で我慢しなければならないのか.
(過去記事2)でも書いたけど,
学校なんて自分が行かなくても誰も困らないし,金ももらえない.
仕事は自分が行かないと関係者が困るし,金ももらえなくなる
そういう考えには一理ある.
理由なんか納得できなくてもとにかく大人や地位の高い人の言う事を聞け,というのは,ブラック企業耐性が強いだけで,かえって社会に出たら過労死するタイプではなかろうか.
高校になって自分で登校に意味が見いだせれば登校すればよいし,見出せなければ高認とって大学行くなり別に就職の道さがすなりすればよいだけのこと.
古い一つの価値観を正義だと決めつけて押し付けるのがおかしい.
ましてや,公立教員という公務員に強制されるのはおかしい.
学校ってさ,古いんだよ.
毎日定時に行かなければならない,とか,鉛筆で筆算,トメハネ漢字書き取り,とか,
もうそんなものは学校を卒業したら使わない.
日本史とか,古文漢文とか,算盤・習字とか,日本人としてのアイデンティティーのために,個人のためでなく国のためにやらせることも多すぎる.
そういうものは,義務教育の学校でやらせるんじゃなくて,
国や地方自治体が企画して,参加者には金配るとか報酬渡してやればよい.
その方が現在のやりかたよりずっと安上がりだろう.
それでも無くなるものは無くなって良い。歴史の試練に耐えたものを文化遺産と呼ぶべきで、歴史の試練に耐えられなかったものの価値はそれまでのもの。
とにかく,中学校という存在そのものが意味を失いつつあるのに,
内申書という権力を利用して教員に従わせるという悪習慣は無くなるべきだ.
(過去記事1)
(過去記事2)