夫婦というものは面白いものである.

それぞれ強みと弱みがあって同じ方向を見ていても違うものを見ている.

私は論理的に考え段取りだてることが好きだし得意だ.

ツレは日常的なこまごまとしたことに段取りをとることが苦手な反面,私が気が付かないことに気が付いたり非日常的なことを思いついたりする.

 

ツレに言われて気が付いたことを今日は書く.

 

うちの末っ子はA,Bの二つの民間療育所(児童発達支援事業所)に通っている.

Aでは療育士のことをよく聞くが,

Bでは療育士の事をよく聞かずに,”帰る”と言い出して部屋のドアをどんどん叩くことがしばしばある.

 

なんでなんだろう?

 
Aはいつも室内,Bも公園や畑にいくこともあるが室内が多い.
同じ室内でやるときでも,息子はBでは嫌がることがある.
 
ツレは何故か理由が分かったという.
 
Aでは,何々をやってから次に何々をやろう,という指示がでてくるときに,
そのふたつに関連性があるのだという.
家でも,手を洗ってからおやつを食べよう,という指示には従うのだ.
 
Bでは,トランポリンをやってから積み木で遊ぼう,という指示がでることがある.
トランポリンと積み木との間に関連性は無いのだ.
息子は積み木が好きだ.積み木が好きなら,トランポリンをやれば次に積み木というご褒美が得られる,
と支援員は言うのだが,
なぜ積み木をやるのにトランポリンが必要か,そこに論理性はない.
 
忖度希求型児は,そこに論理性や理由がなくても,自分より強くて信頼のできる大人(支援員)がいるのなら,
その大人の顔色を見て,その大人のご機嫌を取ることで自分の利得を最大化しようという心理が働く.
逆に,自分の顔色を見せて他人に忖度させようという戦略も体得する.忖度希求型の特質だが,多くのヒトがこれを持っている.
忖度希求児は,自分は他人の顔色をうかがうし,他人も自分の顔色を見るだろうという思い込みがある.
 
自閉症児は,この感覚が無い.そばにいる他人の顔色を見ないのだ.
食事の前に手を洗うべきだということには理屈があり,理屈が分かれば従う.
理屈も分からないのに自分より強い人がいて,その人に従うことが自分の利得になるから,という原理では動かないのだ.
 
それで以前読んだ次の本を思い出した.


発達障害なんてただのオプション: 人生、思いどおりにいかねえからおもしれえ! (2020)
堀内祐子 (著), 堀内謙人 (著)

面白かった.

 この堀内家の長男ケントさん(1991-)は,学校はいつも遅刻したり欠席したりしていたらしいが,仕事をしてからは遅刻や欠勤は無いそうだ.

母がなぜか本人に聞いたら,

仕事は金貰って行っている.行かなかったら金貰えなくなるし,仕事仲間も困ることになる.

学校は自分が行かなくても誰も困らないし,金が貰えなくなるわけじゃない.

だそうだ.

 

 とても論理的.そうだよね.学校へなぜ毎日遅刻せず行かなければならないか,そこの論理性を忖度希求児は追及しない.

皆が学校行ってるし,行かないと親や教員や世間がうるさいから行く.

そんなことで毎日の多大なる時間を学校で過ごす.

 

 でも,社会のみんながみんな忖度希求児だったら絶滅するだろう.

 

 (過去記事1)で漫画家やなせたかしの弟についてこう書いた.

弟千尋がたかしの元を訪れた.特攻隊に志願したため最後の挨拶に来たのだという.なんで志願したのか?と責めると,

だって,志願する者前へ出ろ,と言われ,皆が出るのに自分が出ないわけ行かないじゃないか.

 さすが,京都帝国大学法学部卒の優秀な弟だ.馬の世話を怠って居眠りして甲種幹部候補を落とされた出来損ないの兄とは違う.

 しかし,これで弟千尋は戦死した.

 

 人類のなかには自閉症児はいなければならない.それは絶滅を防ぐための多様性の担保という仕組みなのだ.それは障害者ではない.

 社会の認識の方に傷害があるわけだ.

 

 医学モデルから社会モデルへ

である.

 

 このケントさんは自営で仕事もして結婚もし子供もいる.立派だと思う.中学校3年間でオール1だったなんて忖度希求型の教師たちが心配するほどの事ではなかったのかもしれない.人には人それぞれの生き方があるのだ.

 

 もっと書きたいことはあるが時間が無いので今日はここまで.

 

 

(過去記事1)