(過去記事1)の続き
 
M君が神戸大学付属住吉中(現神戸大学付属中等教育学校)1年生12歳だった
1993年(平成5年)11月22日月曜日 午後五時ごろ
 
 母(Y子さん当時40才)がパート勤務が終わって5時ごろ自宅へ電話をかけた。父(夫)Hさん44才が電話に出た。
 すぐに帰ると伝え、そのまま帰宅した。
 
 しかしHさんは家にいなかった。
 M君がいたので聞くと、M君帰宅時には誰も居なかったという。
 
「僕が帰った時にポストにカギが入っていた、どこかへいったんと違うかな」
 
Y子さんは2階のHさんの書斎兼寝室をのぞいたが暗かった.
酒豪のHさんは夜遅くまで酒を飲みに行くことがあり、携帯電話も普及する前だったので、気にせず家族で夕食をとり就寝して次の朝を迎えた。
 
 翌日11月23日火曜(祝日)・勤労感謝の日
朝M君はY子さんにこう話した.
「今日は昼まで、寝てていい?」
「数学の問題がわからない」 
普段と変わりが無かったとY子さんは述べた.
 
午前8時50分頃
Y子さんが二階の書斎兼寝室に行くと,畳に血がついている.
布団をめくるとうつぶせになりなくなっているH氏を発見.
 
Y子さんが警察に電話しようと受話器を取ると,M君が包丁をもって襲い掛かり,2人はもみ合いになる.
「僕のせいやない。学校を休んだことでガチャガチャ言うからこうなったんや、あんなに叱られたら、僕の立場がない、逃げ場がなかったんや
 
Y子さんは首に全治2週間のけがを負いながら,息子から包丁を奪い取った.
M君は逃走し行方不明となった.
 
11月24日水曜,午後14時半過ぎ
 
自宅から7km離れた行きつけのゲームソフト店にM君が現れ,警察に保護された.
その時,M君は受験勉強を強いてきたHさんを批判した.
 
「みんな、寄ってたかって僕をいじめる。戦争なんか、大人がやって子供を巻き添えにする。犠牲になるのはいつも子供や」
 
Hさんの死亡推定時刻は11月22日午後17-18時.Y子さんがパート終わって自宅に電話をかけた直後のようだ.
胸に刺し傷が一か所だけだったという.
身長153cm12才の少年が44才父親を刺した.
カバンにナイフを忍ばせているのを父に見つかり叱責されたことがあったという.
そんな状態の時に刺せばもみ合いになっていたろう.しかも畳に血があったのは2階の書斎だ.
Hさんは昼から酒を飲むことがあったという.もしかしたら,Y子さんが電話をした時はすでに酩酊状態にあり
直後に2階書斎兼寝室であおむけに寝ており,そこをM君が一気に刺したのかもしれない.そしてうつぶせにしたのか.
 
2か月後1994年1月24日月曜日
児童相談所がM君の処遇を決定した.医療少年院に入りカウンセリングが続けられたらしい.
14歳未満は刑事責任がなく処遇の公開も少年法によりされていない.
 
以下の本によれば,2001年頃の時点では母Y子さんとは同居していないらしい.
 
 
 生前Hさんと親交のあった作家団鬼六氏(故人)は,Hさんは
大人の世界の悪徳的なものから一切解き放たれた自由な子供の世界を持つ人だった,
と書いている.
 
 Hさんは1949年(昭和24年)岡山県笠岡市で生まれた.
続く.


 
(過去記事1)