1980.11-1981.3ごろに生まれた少年がいた。
Mくん。2024年度で44才。
彼の祖父は岡山県の船乗りだったらしい。
 
M君は子供の頃は両親と長男として
兵庫県西宮市獅子ヶ口町という高級住宅街
の二階建て一軒家に住んでいたようだ。
二学年上に姉がおり、4人家族だった。
 
彼は小学3年生から浜学園に通い出した(小4からという説もある。小3の3学期からかもしれない)。
 
私立中学受験は神戸周辺発祥の文化らしい。
韓国は中高受験は加熱していない。
 
阪神西宮からバスで21分のところに灘中学はある。
 
1968年東大合格者数で都立日比谷高校を抜き灘高が日本一となった。
 1967年から都立高校入試で学校群制度を導入し、首都圏においても日比谷、西、戸山など名門都立高に入っていた生徒は開成、灘、武蔵の私立御三家へ流れることになった。そうして私立中学文化が首都圏にも広がった。
 
 兵庫県の県立高校入試制度は生徒数比にして6割の学区ではくじ引きによる総合型選抜になる。よって学力で突出した県立高校は無い。大学進学に熱心な家庭では小学生から塾に通わせて難関または大学附属の私立高校や私立中学を狙わせる。
 
 西宮市も1963年からずっと総合型選抜の学区である。
 
 1959年浜学園は高校教師とその妻が尼崎で生徒2人から初め15年で600人となった。確か夫は公立学校の教師だったため名義上は妻が創始者になったらしい。1974年に西宮教室1号館2号館を設置して更に15年で10100人となった。
 
 M君の父は1949年生まれ。当時としては珍しく、授業参観も積極的に参加した。
 父の年収は今の金額で500-1000万円はあったろう。裕福な方だったはずだが、母はパート勤めもした。塾の費用などでかかったろう。
 父は酒好きで、仕事仲間と酒を飲んでは、
息子を東大へ行かせる、
と言っていたようだ。
 小学校6年生で受験勉強専念のためカブスカウトも退団した.
 そして1993年、M君は灘中を第一志望校として受験することになる。
 
 残念ながらそこは不合格だったが、難関だった国立中学に合格し進学した。神戸大学附属住吉中学である。現在の神戸大学付属中等教育学校である。国立であり今でも兵庫県内の共学中高一貫校としては最も入試偏差値が高い。灘中も住吉中も神戸市東灘区にあり、距離にして2.7km,自転車で20分はどの距離である。
 丸川珠代(1971.1-)は住吉中から大阪教育大学付属高校池田、東大経済学部、テレビ朝日アナウンサーを経て衆議院議員を3期勤めて大臣にもなった。
 
 Mくんは1993年4月住吉中学に進学してからも中学一年時から塾に通っていた。
 
 その年、1993年11月のことだった。
 チェッカーズから独立した藤井郁弥のTrue Loveが流行曲だったころのことだ。
 この月にクリントン大統領が第一回APEC首脳会議をシアトルで開き、日本からは細川首相が参加した。
 その頃だ。M君は中1で12才。
 
 
続く



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