(過去記事1)の続き.

 

 それから科目によって科目の性質上,作問のしやすさも違ってきたりする.

 国語や適性型試験は比較的作問が難しいと思う.過去の類題なら難易度がだいたい分かるのでそれらをちょっと加工して出題することで難易度の調整は可能だ.だが,国語は漢字書き取りは別として,文章の読み取りに関しては難易度の調整が難しい.

 公開模試の国語で出題する文章は既出でなく新しいところからオリジナル問題として出すからだ.

 

 (国語に限らないが記述式だと)悪いケースだと,生徒の解答を見て,皆の出来がよければ採点基準を辛くし,出来が悪ければ採点基準を甘くするなんてこともありうるだろう.

 これだと解答者は試験時間中にどこまで時間かけて丁寧に回答すべきかクリアでない.つまりは試験後の採点者らの気分という確率的ファクターがはいってくるのだ.

 確率的ファクターとは,本来の生徒の学力と関係が無い.成績があがったりさがったりしても,それは生徒の学力の上昇下降ではなく,たんにサイコロをふっているのと同じ現象だ.

 

 だから,国語や適性検査や小論文など,記述式の試験はとくに,確率因子が作用することになる.博打になるわけだ.(数学でも証明の論証でどの部分を厳しく採点するかの基準がぶれることはあるだろう.必要十分条件であることを示す必要が論理的にはある場合に,必要条件だけしか示していない答案にどれだけ減点するか,など.)

 

 私の高校時代の同級生で,勉強しないキャラ・できないキャラの人がいた.ところがその人が駿台予備校の全国模試の現代国語の部で全国トップ5だかなんだったかで表彰されたことがあった.周囲はびっくり.そんなに出来る奴だったのか!でも実際にはそれは一回きり.もう二度とそれは無かった.平凡以下の大学に進学したと思う.こんなことは算数・数学ではありえない.英語・理科・社会でもありえないだろう.国語はありうるのだ.作問者との相性や作問者の気分といった確率的因子で変わってくる.

 

 国語は偏差値がぶれやすい.

 

 それは受験生ひとりの問題ではない.作問や採点に確率的因子がひそんでいるのだ.

 

 公立中高一貫校の適性検査入試に対策法が無いというのもこれが大きな原因だ(過去記事2).

  以前,ある塾関係者がこう言っていた.”私立中学受験,特に御三家狙うような人は新小4からはじめないと遅いですが,公立一貫校入試狙うなら,小5夏からでも間に合います”

 普通の主婦はこれで騙されるのかな.そういう話ではないでしょ.御三家狙うのでもいつからはじめれば十分かはその子の地頭や成長具合によるし,公立中高一貫校は適性検査のために確率的ブレが大きくて対策しようがないんですよ.まあその塾関係者は,公立一貫校落ちてもそのまま通塾してもらって高校入試まで更に三年間儲けるつもりなのでしょうが,だったら小5夏から通う意味ないでしょ.3年間の高校のために5年間塾に通うとかやりすぎ.今を大切に生きようよ.塾産業はメソッドも無いのに世間をだましすぎ.首都圏では中学受験者数微減とか微増とか言っているが,増えているのは埼玉とかで東京はもう中学受験者数は減っている.塾もビジネスとして斜陽で大変なのだろう(過去記事4).

 

 

 算数・数学も偏差値がぶれやすいが,ぶれかたは国語とは違う.下振れするのだ.上振れはない.いつもできない人が運がよくて高得点とることは無い.しかし運悪く点数急降下はありうるのだ.問題数が少ないので下振れ幅も大きい.

 

 (過去記事3)でこう書いた.

平均点低い科目が得意なら、偏差値80,90とって大差付ける事も可能。数学物理ダメでも他が出来るなら合格させちゃう一方で、数学物理大得意な人は優遇する。満点続出する試験だとこうはならない

 入試は合否ボーダーライン層との競争だ.数学物理は比較的難問続出し平均点が低いケースが多い.すると,数学物理大苦手な人でも合否ボーダーラインの人に大差つけられないので,それを前提に他の科目でいつも有利なら安定して合格ラインへもっていける.一方で,数学物理大得意な人は(英語国語大得意な人と比べて)ボーダーライン層に対して大差をつけやすいという意味で有利だ.しかし,いつもそういう得意の数学物理で点数を稼いでいる人は,いざ試験というところで大問読み間違え計算間違いなどふいに落として合格ラインを割ってしまうことが結構ある.

 

 ただ,算数・数学の下振れは,主に受験生個人に起因するもので,作問者・採点者に起因するものではないので,あきらめもつく.

 一方で国語の上下振れは,採点者に依存する確率的因子なので,どうにもならない.

 

 私は思うんだけど,もう入試に国語を出題するのは辞めませんか?

 

 だって,算数にしろ理科・社会にしろ日本語で出題できてるでしょ.

 本当に日本語できない人だったら,算数も理科社会も問題文誤読して間違えているはずなんですよ.問題文理解して正答しているということは,それって国語がちゃんと使えていることを意味している.

 

 (過去記事4)で国語が出来なかった小説家のことを書いた.

昔,作家・藤本義一(1933.1.26-2012.10.30)がこんなことを書いていた.自分は作家をやっているので周囲から,さぞかし小学校時代から国語が得意だったでしょう,と聞かれる.でも,そんなことは無かった.国語が得意なわけでも無かったし,感想文など書いても表彰されなかった.例えば,学校での動物園旅行で,帰ってから感想文を書けと先生から命じられる.優等生は,ぞうが大きかったです,ライオンが怖かったです,など,教員が求めるものを書いて表彰される.しかし藤本少年はそんなことは書かない.動物園の水道の蛇口を同級生のA君が壊して周囲が水浸しになって大変だった時の先生や他の同級生の反応,とか,そういう事を書く.だから賞とかは取れない. 

 

(過去記事1)

 『試験問題を作成する心境』(過去記事1)で適切な模試を選ぶことが重要だと書いた.合格判定では志望校の入試問題と似た形式のものを選ぶのがよい.これはあなたが模試の作問者または作問者チーム…リンクameblo.jp


(過去記事2)

 

 

(過去記事3)

 

 

(過去記事4)