(過去記事1)の最後で、
小学生に相対的能力主義を親が植え付けるのは良くない
と述べた。
本人が独自の考えで一時期そういう思想にハマっても、親がそうでなければ帰ってくるところはある。
しかし親自体が相対的能力主義だともう帰る場所はない。
相対的能力主義は終わらない。中学受験が終わっても大学受験が待っている。そのあとは就職。就職後もキャリアを積み上げる競争が待っている。
そこでは成果を上げることが能力の証明になる。能力を証明するために目に見える成果の競争が果てしなく続く。
年齢が増すごとに先天的に同等の能力の者たち同士の競争となる。
そこで勝つためには私生活を犠牲にするチキンレースになっていく(過去記事3)。
私生活を沢山犠牲にする。
そのためには恋愛、結婚、出産、子育て、親の介護、さまざまなものを犠牲にすることになる。
金銭を追い、子供の数を少なく、教育投資ビジネスに金を取られる。
そんな生活は決して持続可能ではない。
少子化も進む。
助け合いという本来の社会観から離れ、能力のある者が能力のない者を踏みつけるという世界観での死闘の世界となる。
老後そばにいる人との人間関係を、金銭、地位、名誉のために犠牲にしていく。そこで待っているのは孤独と不幸である(過去記事2)。
(過去記事1)
(過去記事2)
(過去記事3)