中学受験の話を書いたので,それについて思い出したエピソードふたつ.

 

 

 (1)小料理屋の主人とその母

 

岡山県倉敷市でちょっと良い感じの小料理屋があった.そこの主人が料理をつくって女将さんが運んでくれる.ともに若くて女将さんはとても美人だ.まだ結婚して間がなくて女将さんが出産する前だった.夫婦はともに大学出.同い年らしいが主人は大学で一年留年したそうだ.主人のお母さんが出てきて話をしたりするんだけど,主人曰く,彼が子どもの頃だったころはかなりの教育ママだったらしい.そのことを振ると,主人の母は言った.

あれって,なんだったのかしらね.

 

 今でもそのしみじみとした声を覚えている.若い母親だったころ,自分の息子に何を望んで期待していたのだろうか.主人の父母も飲食店を経営していて,そこの小料理店は父母の資金がかなり入ってはじめたものだろうか.

 なんであの時は受験とか学校教育とか学業成績とかに乗せられてしまったのかという母親としての後悔を感じた.

 

 

 (2)床屋の女理容師とその息子

 

引っ越して床屋を変えて,2回目くらいのときだったかのエピソード.

その床屋は20代くらいの息子とその50-60代くらいの母親がふたりでやっていた.とは言っても息子はまだ修行中みたいで店内の掃除をしたりして,母親が主に客の頭を刈っていた.父親は亡くなったのか,離婚したのか,多店舗経営していて別の店を営業しているのか,全く別の仕事をしているのかは知らない.ただ,父親は店には全く来ていないようだった.

 

 息子はいかにも勉強できなかっただろうボーっとした感じで,母親はその正反対にシャキシャキテキパキやる感じ.やさしい母親というより仕事に責任感強い厳しめの女理髪師という感じ.

 私が店内にいるときに,30代・40代くらいだかの女性Aが店に入ってきた.Aは入ってくるなり明らかに客ではない感じで話し始めたので,何かのセールスと思ったのだろうか,女理髪師は冷たく反応していた.セリフは覚えていないが,何か用ですか?みたいな冷たさ.

 そしたらAはこういった.なつかしい.Aは息子の小学校か中学校時代の家庭教師だったとか.Aは昔を思い出して愛着のある彼に会いに来たらしい.

 ただ店の営業時間内で,客も私ともう一人ぐらいいて仕事中だったからか,話をそれほど弾ませることもなく,まもなくAは帰っていった.

 

 あの息子は顔や動作をみるからに勉強できそうは無い.知的障害とまではいかないだろう.シャキシャキした母親とは対照的に仕事の要領も良くない感じだ.これからあの床屋を継ぐのだろうか.仕事に熱心な母親からしたらいろいろ心配だろうな.

 息子が小中学生の頃は母親としていろいろ考えて,安くないお金払って家庭教師を雇ったのだろう.出来の悪い成績を少しでもマシにしようかと.

 でも今考えれば,床屋を継ぐのに学校歴は関係ない.中卒で十分だろう.不登校でも中学校は卒業できる.勉強が好きなら学校とか年齢とか関係なく本でも読んでいるはずだ.未成年に勉強を強要する親にかぎって自分では学問を完全に辞めてる.

 Aは何を思っているのだろうかね.自分が若いころ(想像するに大学生の頃)小遣い稼ぎでやった家庭教師のアルバイト.その教え子が今床屋稼業を継ごうとしている.Aの教えたことは意味があったか.

 金かけて学習環境を整えてしまったがためにかえって子を追い詰めて自己肯定感を下げちゃったりしなかったか(過去記事5)?なんかその20代らしき息子は顔に自己肯定感が無かった気がするんだよね.日中,お母さんと二人で店を切り盛りし,一日中母の小言を聞いて暮らしてたら,そうなるかもね.これから新たな主人としてこの床屋を大きくしていくんだ,そして結婚して子供たくさん作って養っていくんだ,っていう夢があるのなら,もっと生き生きとした顔していても良いと思うんだよね.

 

 あれからまた引っ越したので,あの床屋があれからどうなったかは知らない.

でも時折思い出す.

 (3)雑感

 

 これらの話にとくに結論は無いし,これをもって何を言いたいか,主張は用意していない.

 でもときたま思い出すんだよね.この母子らのことを.

 

 若い親って,自分の代理戦争かのように,子供を使って遊んじゃうことがあるよね.受験とか児童劇団とかスポーツとか.

 あれって子供じゃなくて親が楽しいんだよね.(過去記事1)でも似たこと書いた.

 

 そして塾業界は煽るし,学校も煽る.でも塾経営者も学校教師も,その子の人生について大きなビジョンがあって,受験界に入る親子を煽るわけじゃない.

 塾に思想は無い.

受験が良いとか悪いとか人生にとって有益かどうか

なんて考える哲学者ではない.塾がやることは,単に預かった子を希望の学校の入試に合格させること.そして合格実績を広告してまた新しい生徒を募集して経営をまわすこと.

 学校教師も,小学校の先生はせいぜい中学校まで,中高の先生はせいぜい大学進学まで,大学の教師もせいぜい就職ぐらいまで,しか視野が無い.就学相談員も支援学校小学部教師も,その子が30歳,50歳の時にどんな暮らしをするだろうか,という視点までは持てていない.

 どの人もみんな

自分が今を生きることで精いっぱい

なんだよね.

 確かに私が学生だった頃,私と関わった教師たちはみんな自分より大きな存在であった.今から思えば良い人も悪い人もいた.良い教師は本気で私の将来の事を考えて良かれと思って接してくれたろう.でも今となっては彼ら彼女らの多くより今の私の方が年上だ.今現在も付き合いが続いている教師はもういない.亡くなったか連絡先を知らない教師がほとんどだ.今の私を知っている生徒時代の教師はいない.

 

 私は子供らを自分の玩具にしてはいけないという思いが強くある.未来は不確定だ.私にできることは最悪の可能性をなるべく小さくすることだ.意図的に良くすることは出来ない(過去記事3).

 子供らが自分の人生を自分で切り開いて自分の人生の責任を自分でとってほしい.

 

 受験とか学校教育とか教育って私は親が子にするものじゃないと思ってる.勉強はしたい人が自分でするもの.押し付けられてするものではない.(過去記事4)

 

 相対性理論って面白いの?古事記って面白かった?

と聞かれれば,

面白かったよ,学ぶならどれどれの本が良いよ,

とかは話せるけど,

どこそこの学校受かるために受験勉強しろ

とは言わないな,私は.私の父母は,両親とも中卒で学校歴は無かったけれど,そんなことは私には一度も言った事なかったな.そのことは親にとても感謝している.

 

 

(過去記事1)

 

 

(過去記事2)

 

 

(過去記事3)

 

 

(過去記事4)

 

 

(過去記事5)