(過去記事1, 2)などで明治時代の公教育のはじまりについて論じた。

 そこでは日本国内の富国強兵、徴兵、工場労働、選挙導入という政府の視点から書いた。

 今回は欧米の思想史を絡めて別の角度で公教育の始まりを眺める。

 

 公教育は今日の先進国の多くで19世紀後半の短い期間に同時期に一斉に始まった、

日本も欧米を参考にしたが反応は早かった。アジアでは勿論最速で、欧米ともほとんど遅れることなく始まった。アメリカでは州ごとに段階的にはじまり、ドイツは欧州では最も早かったがドイツ統一は明治維新より遅く、それからである。だから日本の公教育のはじまりは欧米とほぼ同時と言っても過言ではないくらいだ。公教育は段階的に行われたので、どこが早かったかは厳密に話すには長い話になってしまう。(例えばある意味英国は一番早かったとも言えるし一番遅かったとも言える)

 

 日本では欧米の脅威から急速に欧米を模倣する形で公教育を政府が始めたが、その思想も欧米の受け売りであった。

 欧米の公教育の思想は、フランス革命やもっと前の宗教革命に遡る。

 

 人権思想の台頭である。

 中世欧州では、子供の概念もなかったし、教育の概念もなかった。強いて言えば教育とは、

神への信仰か、特定の職業教育

という形であった。日本でも中世どころか江戸時代まではこんな感じである。

 子供は沢山産んで沢山死ぬので、いちいち愛情もかけては心も持たなかったし、教育投資なんて概念はなかった。聖職者や靴屋鍛冶屋などギルドをもつ職につくには丁稚奉公して下働きしながら技能としきたりを身につける。

 

 ところが宗教改革や社会契約説(ホッブズ、ロック、ルソー)から、教育の目的が変わってくる。

 神のためでも職のためでもない、全ての人のための共通の基礎教育

という考え方だ。ここで発想が大逆転する。

 活版印刷の発明により聖書が普及することで、プロテスタントが生まれた。聖書が神父の独占から自由になった。聖書に書いてない教会に都合の良いことを語る神父に対抗する勢力が出てきた。彼らの武器は文字が読めることだ。

 聖職者に限らず、神に真に通じるためには、文字を読めることが必要だ。職に限らず全ての人にとって必要という考えが出てきた。

 

 中世に人権思想は無かった。王権神授説により神によって選ばれた国王が国を統治する。民は国王に神にふれふす。ところが、人間は貧富地位に関わらず平等で、全ての人が自己の幸福を追求する権利があるという発想が出てくる。

 ルソーらの考えは最初はたんに絵に描いた餅だったが、独身弁護士ロベスピエールなどが感化され、フランス革命を成功させてしまう。国王をギロチンにかけて国民国家を作った。ナポレオン率いる国民軍は他国が雇う傭兵よりも強かった。ここで国民国家と民主主義がはじまる。古代ギリシャローマ時代から途切れていた民主主義という仕組みが新しいOS(オペレーションシステム)で動き出した。

 OSがMS-DOSからWindows、iOSへ変わると、その上で動作していたアプリも総入れ替えになる。

 神への信仰が人生の最大目標だった時代

から、

全ての人が自分の幸福のために追求することが最大の目標であり、社会として全ての人にその権利を保障するという時代

大転換した。

 そしてこの欧州が18-19世紀産業革命で力をつけ、その思想も江戸時代の思想家たちへほとんどリアルタイムで伝わっていた。その下地があったからこそ明治がやってきたわけだ。中国朝鮮とは大きく違っていた。

 全ての知識は聖書にあるとし、一部特権階級がその知識を独占し、神様の言葉で民を支配するという構図

 から、

 貧富地位関係なく広く全ての人が読み書き計算をし、百科事典をはじめいろんな書物と体験や観察から知識を発見して、聖書にない新しい真実を民の手で獲得して世界観を広げようという構図

へと、大転換した古代のアリストテレスに通ずる考えOSが復活したわけだ。それも印刷技術や産業革命という、古代より格段に向上したハードウェアに、このOSが実装された

 

 ダーウィンの進化論(1859種の起源)では、聖書に反すると批判されていた。実は明治に入ってすらまだ欧州は、宗教と科学の分離は明確になされていなかった、

 

以下に続く

 

 

(過去記事1)

 

 

 

(過去記事2)