(過去記事1)の続き。


中世のOSは、こうだった。

愚かな庶民は何も考えなくてよい、君らの認知は正しくない。正しい真実はすべて聖書に書いてある。聖書を正しく読んでいる神父の言葉を聞き、神の意思に従いなさい。国王は神に選ばれて君ら庶民を統治している。


 そこには、神のための義務という発想はあっても、国王が民のために何かをする義務という発想はない。せいぜいほどこしである。乞食に小銭出すのはほどこしであって義務でないようなものか。これは中世キリスト教の特徴かもしれない。日本で流行った儒教には、上の者が庶民のために政治をするという発想はあったはずだ(孟子にあったはず)。もっとも江戸時代日本は諸藩の連合国状態であり、徳川家が日本中の庶民の事など考えるはずもない。


 ところが、古代ギリシャローマ時代は議会制民主主義が成り立っていた。アリストテレスは学問の父と呼ばれ、観察と思考により、客観的な知識を追っていた。何かの書物に全てが書かれているという発想はなかった。

 中世キリスト教世界では古代ギリシャ語で書いてあるというだけで焚書にされ、古代文明はイスラム圏に移された。十字軍による1202年コンスタンチノープル陥落などを機に、ふたたび失われた古代ギリシャローマの思想が逆輸入されてきて、キリスト教を脅かすようになった。新約聖書よりもずっと古い。古さは神聖さと権威をもつ。活版印刷で聖書が普及し、百科事典が刊行される。この世にはキリスト教以外にも宗教があるなど、教会にとっては不都合な事実も庶民に知れ渡る。


 真実は聖書のみに書いてあるわけではない。一部の知識人だけでなく、広く庶民がみな読み書きが出来、書物を読み書き、交流して、その観察とともに、みんなで新しい知識を得て、世の中を良くしていこう。良い世の中とは、全ての人が自己の幸福を追求する権利を侵害されないことだ。


 皆んなで政治も学問も軍事もやる民主主義OS。

 古代では奴隷を除く市民の間でだけ成り立っていたOSが、産業革命を迎えた欧州という古代ギリシャよりはるかに豊かなハードウェアにインストールされたわけである。


 OSが変わればアプリも全て変わる。

 教育も、聖書購読、職業訓練といったものから、

 全ての人に共通な読み書き基本知識の教育を少年時代から国が保障する

 という形へ移行した。


 大学はもともと聖職者のギルドにすぎず滅びかけていたが、この発想のもと、息を吹き返した。


 このOSを実装する青写真を描いたルソーは少年時代は不遇で教育もうけられなかった。彼の生きた18世紀は庶民の識字率はかなり低かったろう。1780年代後半の識字率は男47%女27%だった。


https://research.piano.or.jp/series/classic/2021/06/2_7.html#:~:text=フランス大革命前後の1786,なかったと推察されます%E3%80%82


 その識字率を男女とも9割以上にあげられると当時信じれた人は少なかった事だろう。実際そうなるまで百数十年以上かかったわけである。


 すごい大きな夢であったろう。ルソーや当時の進歩的思想家らにとって。しかし、そこでもし私がルソーに、

いや、識字率は99%にまでは上げられても99.9%にはならんでしょう?

と言ったとしても、彼は関心を示さなかったと思う。


 人口比2%の軽度知的障害者、0.1%の中度知的障害者、0.003%の重度知的障害者は眼中には無かったろう。


 識字率が5割未満で、本が高く街に本屋も無い地域で、もちろんインターネットもなく、識字率を9割以上まで引き上げよう

となったら、学校を作るのは手っ取り早い話だ。

年齢別にクラス分けして教える集団授業形式は効率的だろう。

この方式は古代にはあったが中世近世には無かった教授法である。


 自閉症という概念は1943年以降の新しい概念である。もちろん明治期には無い。しかしその頃の法律で、障がい者は義務教育を免除するとされていた。障害者への教育は国を強くする投資にはならないという考えだろう。


 1979年養護学校義務化となり、全ての障害者が義務教育の対象となった。これは人権思想からの帰結である。


 前にも(過去記事2)で書いたが、日本の精神医学は源流がドイツにある。ドイツの精神医学の考えは、もともと精神障害者は社会の害悪であり、排除し隔離し管理して社会への迷惑になることを避けるというものである。虐殺したり、乱暴な脳外科手術をしたりしてきた。知的障害者の養護学校はその歴史を汲んでいる。


 人権思想OSは実装したままアップデートしている最中である。それにより教育アプリも更新が必要である。


 いや、もう学校は要らないのかもしれない。現金という古いシステムをSuicaや PASMOに入れるより、ビットコインやイーサに変えるような大変革が必要かもしれない。問題は政府がどうするかである。


 

(過去記事1)


(過去記事2)