公立中学校支援級の数学の授業を見学してきた。
ほんの少しだけで帰ってきた。
たぶん三クラス能力別で分かれているうち、二つを覗いた。後ろ姿なのであまりよくわからなかったけど。
二つのうちの一つは本当にちょっと覗いただけ。黒板に
引き算
時計の読み方
と書いてあった。
念をおすけど小学校ではなくて中学校ね。
もう一つは教室に入ってちゃんと聞いた。とは言っても10分くらいだけど。
男3人、女一人。後ろ向きだけど、冗談言って話しているところを見る限り普通に見えた。パッと見、知的障害があるとは思わない、普通の中学生。話し方とかも変じゃない。内容も。
ただやっている内容は
せいぜい二桁三桁の引き算や掛け算ドリル。3*15とかやってた。いくつか間違えてやり直してたり。
見なかったクラスはもっと上級なのかどうかは分からない。
中学支援級見学は昨年だけでも数回見たのですぐ帰ってきたけど、帰りに色々考えた。
時計の読み方を勉強していた子たち。
一体あれを何年間続けてきたのだろう?
普通級なら小学校一年生の二学期で時計の読み方を習う。
いやね、小学校6年間全く行ってなくて、家でも全く勉強してこなくて、中学生の年齢になって生まれて初めて算数を習い始めてるのなら、時計を習うのは良いことだ。
支援級は進みが遅いだろうけど、それでも普通は6年間で小3の一学期ぐらいまでやるのは普通だと聞いた。
おそらくは小学校の時からずっと毎年時計の読み方を勉強してるのだろう。
んー。もういいんじゃないかな?デジダル時計が読めれば。
何年もアナログ時計の読み方を教え続けるのは教育虐待な気がする。
小学校時代に教えて失敗したんだよね。その失敗体験を教師こそが学ばないといけないんじゃないだろうか。
いろんな掲示物に日本語だけじゃなくて英語中国語韓国語を併記するのと同じで、駅の時計など、全部アナログからデジタルに切り替えようよ。せめて併記。まあデジタル腕時計携帯しても済む話か。
いらないじゃん、アナログ時計の読み方。
漢字の筆記も要らない。ワープロで打てば良い。このブログ書くのに小中高で習った漢字の筆記は無用。好きな人が趣味でやる分には止めない。
いつまでも、人を鍛える事その事自体を美徳として目的化するのはやめよう。
手段と目的を混同してはいけない。
もうさ、軍隊や工場労働者をつくる教育は義務教育では必要ない。
これだけ頑張らせて目指すところが作業所勤務で生活保護と大して変わらない額の給与?
そりゃ気が狂って強度行動障害になる人が出ても仕方ないのでは?
生活保護で家でこうやってブログか動画配信して、人生のうち一定期間バズれば、それで充分社会貢献とか自己表現できたことになるんじゃないかなあ?まあ好きなら作業所で働けば良いけど、12年間以上鍛えて目指すところとは思えない。
本人が何をしたいかが重要。
150年前に出来た義務教育学校というシステムはもうアップデート不可能なほど古くなっていると思う。
これから、教育や労働に対する価値観も変わっていくと思う。
そもそも学問とは役人や社会的上位者のために発達したものである。
例えば漫才M-1の応募者八千組中グランプリは1組だ。決勝大会まで行けるような上位者が頑張るのは分かる。でも8割6000組以上は一回戦敗退だ。彼らの全員が来年もM1目指さなければならないか?
しかも義務として?
https://o-warai.com/2023/08/01/【データ】8-1更新-m-1グランプリ-2023-一回戦-プロ・アマ/
全く違う道探した方が良いだろう。
今の就学率は異常に高い。
普通級と支援級の数学レベルの差も大きすぎる。
余りのある割り算まではクリアできてて、そこでストップしてるような人が中学普通級に沢山いると思う。
算数数学は画力や歌唱力や運動神経と同じで生まれつきの特性が大きい。同じ親から生まれた兄弟姉妹でも生まれつきの遺伝子は大きく違う。それが生物多様性。
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