(過去記事1)で書いたnhk
学校のみらい
先週土曜夜の二部構成の番組だ。

とても良い番組だと思った。でも気になる点もあった。
 それは、行政や学校に繋がっていなくて支援を受けていない不登校児がある程度いて、それが問題視されていたこと。
 いやいや、そもそも現在の不登校児のほとんどは小学校一年生入学式から通っていないのでは無くて、途中まで登校していたのに、精神的にたいへんな目にあって、学校や行政に対して不信感を持ったために不登校に至ったはず。
 それなのに、その不信感を抱いている行政や学校に繋がれ、という方が無責任だ

 役人ってやっぱり人ごとなんだよね。やってるフリはしてるけど、深いところで真剣に事態を思考していない。虐めがあっても、虐める側の心理を研究して逆手をとるという発想がない。(名著ヤバい経済学の著者2人のうちの1人作家がもう1人の経済学者を評してインタビューで語っていたのは、彼の強みは犯罪者の心理になれることだと。自分が犯罪を犯すならこうすると深く考えることで手口の解明も可能になる。虐める側、差別する側の心理を読んだ上で逆手をとれるような人はなかなかいない。)
 文科省や子ども家庭庁や厚生省などほとんどについて言えると思うんだけど、
支援することそのものが目的になってしまっている。
支援はあくまで手段であって目的では無いはずだ。
 番組内でも、不登校児で相談して役に立ったという人と、役に立たなかったという人がだいたい同じくらいの割合いたのに、そこにはあまりツッコミが無かった。

 行政や学校は、支援していますというポーズを取る体裁をとっているだけなのか。それで予算を多く取り省益を拡大したいということなのだろうか。

 特別支援は差別を生み出す。(過去記事2,3)でも書いたが、特別支援という概念自体に差別が含まれる。

 あなたと付き合うには特別な専門性を持った人に特別な支援を受ける必要がある

 そう言われて良い気持ちがする人はいないだろう。だいたい、その専門性も規則性を見出せたという意味での知見はほとんどないし、支援するって言ったって、効果のエビデンスは無い。

 支援学校も支援級も通級も結局はみな専門家ではなく素人だ、というのは過去に書いた(過去記事4,5)。





(過去記事1)