以下は最近の松本人志の文春砲とは関係があるものの、その性加害の真偽とはあまり関係がない。


中田敦彦が2023年5月下旬、自身のYouTubeで松本人志を批判した。

芸人含めて世間の大半は松本擁護であった。

私は中田擁護派で、その事を記事に書いたような気がしていたのだが、今自分のブログを検索しても出てこなかった。ブログをはじめたのが7月からだったから、私がそのことをこのブログに書いたのは思い違いだったようだ。


 中田敦彦は自身が駆け出しの頃、松本人志に面白くないと言われた。また中田が大好きだった爆笑問題のことも松本は著者で批判したことがあり、そのことが中田は悔しかったそう。


 中田の気持ちはわかる。彼は言った。


 面白くない芸人は、大御所が面白くないと言わずとも、面白くなければそのまま消えていくのだから、放っておいてくれ


こういうことだったと思う。松本は影響力がありすぎるのだ。後から来る新人の若手は、自分の笑いを創造して、それを市場で公平にジャッジしてもらいたい。つまらなくて消えていくのは自分の力なのだから、その結果は受け入れよう。


 芸人が賭ける相手は観客なのだ。一般視聴者だ。ベテラン先輩芸人ではない。


 せっかく若手が先人とは違う新しい独自の笑いを創造して市場に賭けているのに、先人が市場の公平性を見出さないで欲しい。


 分かる。


 ダウンタウンや吉本の笑いはチームの笑いでもある。芸人間の関係性が出来ていて、視聴者もそれを熟知しており、その関係性の中での笑いなのだ。言わば、学校のクラスのいろんなキャラの生徒間の笑いの模倣とも言える。


 中田は、そういった吉本の芸人社会内から出たかった。その枠組みの中にいては、上下関係がいつまでも保持されるのだ。


 一方で、それとは違う戦略をとる芸人も出てくる。ベテラン先輩にとりいって気に入られて番組に呼ばれて雛壇芸人となる。


 テレビでも一緒に飲みに行った旅行に行ったなどとネタにする。

 その方向性で行きたい芸人はたくさんいるのだろう。

 ただ、それは中田のように笑いのネタの質で勝負しようという方向性とは全く逆だ。


 笑いの技量そのものの勝負ではなく、芸人同士の人間関係構築による勝負になる。


 規則探求型の中田にとっては、それは苦手な戦略だ。


 もしかしたら、中田は吉本の内部にいたので、そういった人間関係構築型芸人らの振る舞いをよく知っていたのかもしれない。

 女まであてがって先輩芸人のご機嫌をとり、ひな壇に呼ばれて、あわよくば審査員となった先輩芸人の評価も受けてのしあがるのはフェアか?

 さらに先輩芸人に気に入られなければ、詰まらないと著書にかかれたりテレビで発言されたりして市場のジャッジを乱される。


 吉本芸人のようにチームでやる笑いも

 中田のようにグループ単独でやる笑いも

どちらもアリなのだろうが、


 前者と後者は対等であるべきで、前者のベテランが賞の審査員で中心になったり、メディアで後者の妨害をすることはフェアではない。


 そういうことだと私は理解した。


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