『学校論(6)日本での初等教育の誕生』行政・学校側の人間VS親子の戦略について思う所を書く. この両者は,お互いのプレーしている場と目的が異なる. 行政・学校側の人間の立場から学校を見ていこう.…リンクameblo.jp

 

 

 

学校論(1)

学校論(6)

で,そもそも初等教育とはどんな目的ではじまったものかを論じた.

そして今もその前提の延長で行政は動いている.

 

これを行政サイドでなく生徒目線で学校は何かを見ていこう.

 

生徒は何のために学校へ行くのか?
行きたくて行っているのではない.行かされているのだ.
たいてい拒否権は与えられていない.
本当は義務教育は権利であって,子が権利を主張したなら親と行政は教育する義務をもつ.
ところが子供が幼くて事情が分からず意思表示の能力もないうちに
ある意味騙されて学校に行かされる.
それが吉と出るか凶と出るかは分からないのだが,そのギャンブルをあまり考えずにやらされる.
行政の役人はサラリーマンとして言われた職務をやっているだけ.
それがその子のためになるかどうかは深くは考えない.しょせんは雇われサラリーマンである.
校長だって,来る生徒を拒む権利はほぼ無い.
親も自分の子の特性や,その学校の担任教師はどのような素性の人なのか,あまり調べない.
 
毎年,親が子のクラスの担任教師と同級生らの経歴・素性を学期初めによく調べたうえで,
今年度は子を学校へ通わせるのはやめて家庭学習に変えます
なんていう提案を子供に出す親なんて今まではまずいなかった.
1970年代に就学率がピークとなり,學校に行くのが当たり前になったので,
ほとんどの親や市民はそれ以外の事は考えない.
よっぽどひどい虐めにあったとか重度の精神病に子がかかって体も動かないような状態になってから
初めて不登校を許したりする.
1980年中2で自殺未遂した大平光代に復学を促した親・教員らは何も考えていなかったろう.
学校行くことが正義と信じていたのだろう.復学したら当然のように虐めは再発した.
学校にいじめをふせぐ能力は無いのだ.構造上.
 
王様は裸だ
 
しかし,役人たち教師たちは,王様は裸だとは立場上言えない
個々のケースで隠ぺいし,隠ぺいがバレたら謝罪し,再発防止とか言い出すだけ.いや,再発防止じゃなくて,どう落とし前付けてくれるんだよ,やったほうはやり得かよ.それで再発防止しても構造上無理なんだから,また再発する.その繰り返し.
 
 
 閉塞空間では虐めは必ず起こる.
 人の命が大切だなんて言う倫理感はここ高々数百年のものだ.人体の遺伝子に深く刻まれたものではない.
戦国時代の武士たちは,辻斬りをした.金銭目的ではなく,ただ人を殺すために.
 
 閉塞空間では必ず起こる虐めだが,思春期の学校では更に深刻化する.
 
 人は自分が所属するグループの社会的地位と,その所属グループ内の地位,この二つの地位を常に意識する.
その所属グループというのも入れ子構造になっている.
大きいのだと,日本人とか,同年代同性グループとか,進学校とか,進学クラス・落ちこぼれクラス,クラスの中のイケてるグループ.
 小学校低学年はそれほどでもないが,それ以降,思春期になると,自分の性的パートナー探しが人生最大の目標となる.
 男と女,さらに個体の特性ごとに,その戦略・戦法は変わってくる.
 一番典型的なのは,よりイケてるグループに所属し,所属グループ内地位を高めることだ.
 所属グループ内の地位を高めるためには,グループ内の他者は自分よりイケてないほうが望ましいものの,
イケてない人物が所属グループ内にいると,所属グループの地位を低める.だから,追い出すのだ.
 
 ところが,閉塞空間だと,追い出す先が無い.追い出された方も逃げ場がない.これが事態を深刻化させる.
基本,は平和の象徴とされる.喧嘩をしないからだ.しかし実は鳩は喧嘩の初期で片方が逃げ去るので喧嘩に発展しないだけだ.二匹の雄の鳩をかごの中に入れると,激しい喧嘩が起こる.片方はもう片方を殺すまでやる.殺してもまだ終わらない.相手の死体の皮をはぐまでやる.喧嘩の相手がその場にい続けるというストレスに耐える能力が鳩には無いのだ.かごに入れられるなど自然界ではありえないことだから.
 
 本来,人間も35人が同じ教室に一日中,一年間毎日入れられるなんてことは,ここ1.5世紀前まで史上無かったことだ.
クラスの中で一番イケてないやつを見つけては追い出そうとする.虐められた方は逃げ場がない.
 
 イケてるかどうかの基準は,成熟度だ.
 身体の成長が早いということ,生殖能力・運動能力・知的能力が高いことがイケてる基準になる.
ここでいう知的能力は総合的な能力だ.学校の試験の点数とは一致しない.
 
 この点で言うと,自閉スペクトラム傾向のある子ども,知的障害のある子どもは,弱い立場になる.
自分の子どもがそのタイプだと分かれば,親は最初から無防備に学校に登校させないほうが無難だと思う.
 
 なぜなら学校に同級生間の虐めを防止する能力は無いから.
 
 教師や生徒らの条件がある程度そろったときに虐めは深刻化しない.それでも軽い虐めは起こる.そして軽いものでも発達障害傾向のある児童は,深く心に刻み込んでしまう.防御力が非常に弱いのだ.
 そして小中高12年間,その良い条件が毎年保たれているなんてことはまずない.一度でも酷い虐め体験が起こると,もう立ち直れなくなる.いじめる加害者側としてはそれが目的なのだ.
 
 それを教育で防ぐことは無理だ.それは価値観の相違にすぎないのだから.
 
 虐め被害者であった大平光代(1965.10.18-)は,その苛め地獄から逃れる手段を見つけた.暴走族に入ることである.それが唯一の解答だった.入れ墨を入れ,組長の妻になった.いじめ加害者からしたら,これが一番恐れていたことだろう.学校側に能力がない以上,これしか手段が無かったと言える.20歳すぎまで北新地でホステスをやりながら,22歳では宅建と司法書士両方を独学で受かってしまう.1年やそこいらの勉強でそれら資格をとってしまうのだから,もともと地頭が良かったのだ.そんな賢い少女が,一般人たる普通の女子中学生とで話が合うはずがない.IQ20離れたらもう話がかみ合わないのは当然だ.
 その大平光代が,弁護士になり,大阪市助役にもなるが,それも辞めて2008年6月に山間地に移住した.2006年9月に産んだ一人娘がダウン症だったことがその主要な原因と思われるが,その移住した後,大平氏の文章を雑誌で読んだことがあった.
 彼女によれば,非行少年らを説諭してきたが,それに限界を感じたとのこと.
 正確な文言は覚えていないが,こんなことを言っていた.
 
大平:他人に暴行しては駄目だ,自分が暴行されたら痛いでしょ?
少年:他人に暴行しても,私は痛くない
 
こんな会話に失意したと言う.分かる.こういう少年に言葉で話しても本当の意味で分かることは無い.
 
説教なんて単なる音波・空気の振動でしかない
 
あー、教師なんて所詮俺に音波を浴びせる以外何もできないやつなんだー
ってことで終わり。
 
実害が無ければ行動は変わらない.それはそれでアリなのだ.生物の多様性である.善悪を超えた世界の話だ.
 
 学校は君にとって危険な場所なので,来ないでください.
 
校長がこれを生徒や親や世間に言ったら,それこそ教育義務を放棄したとして大問題とされる.
本当はそのほうが,その生徒の心の命を救うとしても,たいていの公務員はそんなことは言わない.
 
いちTVマンから見て,少なくない可能性としてジャニー氏は少年に手を出している.でも証拠は無い.一応高裁の判決文としては少年性虐待を認めてるが,それはジャニーズ原告の民事裁判にすぎない.上告して最高裁は棄却して賠償額は確定したが,判決文の中の全ての文について真実性を裏書きしたわけではない.いちTVマンとして,真実はどっちだったか探ってみるか?いやそれはTVマンの仕事じゃない.だったら深く考えずに,このままジャニーズ事務所との取引を続けよう.
 
そんなものだ.ヒトは自分の仕事で精いっぱいだ.自分にとって都合が良ければ,それで困っている人がどれだけいるか,違法性が無い限り,深くは考えないで行動する.たいていの人はそうだ.自分の上司や周囲の人がやっていれば,自分だけ波風をたてても,自分が損するだけだ.第一,確証はないんだから.
 
 
 でも,親は自分の子どものことを,そんなに軽く考えてはいけない.
 親は賃金労働として子供を育てているわけではないのだ.
 
 犯罪を犯す人間はたくさんいる.犯罪をおかされてから裁判で勝っても意味は無い.総合的に判断すべきである.
 
 
過去記事・参考文献:
大平光代さんについての過去記事