行政・学校側の人間VS親子

の戦略について思う所を書く.

 

この両者は,お互いのプレーしている場と目的が異なる.

 

行政・学校側の人間の立場から学校を見ていこう.

 

学校論(1)と少し被る.

 

 

 

そもそも学校とは何か

近代的な意味での学校ね.高等教育でなくて初等教育の話をする.

明治時代初期にできたのは何故かっていうと,みっつある.

 

ひとつに,欧米列強に倣って軍隊や工場での生産性を高めるために,民衆の識字率高めることと

 

・ふたつめに,(天皇を中心とする)忠君愛国思想への洗脳を国家主導で行うため.(江戸時代までの徳川家を中心とした(藩)連合国内市民社会思想と全く違った価値観を国家が必要とした.)

 

・みっつめに,武士の家禄制度辞めて,無職となった武士階級の再雇用先(教員)を確保するため.

 

世界的に見ても産業革命と初等教育学校はリンクしている.

 

で,初等教育を行うためには,ネットも無ければ本屋も普及していない.印刷物も高い.親が字が読めないんだから本も買わない.

そんな時代で,字が読めない親の子に字を教えるためには,集団教育しかなかった.

 

ラジオもテレビもない時代,国家が民衆を直接支配するためには,各地にリーダーを作って,そこに民衆を集めて集団教育が常套手段だ.

 

当初は法的に義務教育にしたけれど拘束力は弱く,初期は結構あまかった.行かない人も結構いた.

設立初期は京都大学でさえ定員割れしていて学生人気は無かった.帝国大学と官公庁養成所・軍士官学校・師範学校(教員養成)は別々だった.(なぜ歴史ある慶応義塾大学が,歴史の浅い東京帝国大学に学生人気で追い越されたかと言うと,慶応大学は他の私大同様,入試が無く金さえ払えば誰でも入れたが,帝国大学は厳しい入試を通れば卒業後は官僚への道が確保されるようになったからだ.)

高等教育機関である中学,大学は金がかかったので庶民はよほど勉強ができて村がかりで金銭的に支援するとかでなければいかなかった.眼鏡をかけなければならぬほど勉強しないと成績が上がらない貧乏人は師範学校へ行った.眼鏡をかけずとも成績優秀で体も立派ならば士官学校を目指した.

 

 

 

1871年(明治4年)文部省新設

1872年(明治5年)学制交付.(1875年には24303小学校開校192万人入学.現在は26000校だから学制交付数年で寺子屋等から小学校への移行完了)

1879年 学制廃止,教育令交付.(第17条で普通教育は通学を必須としていない)

1880年 干渉教育令交付.(学齢児童就学率:男59%女22%)

1885年 森有礼(38歳1847.8-89.2)が初代文部大臣就任(第一次伊藤内閣)(学齢児童就学率:男66%女32%)

1886年 第一次小学校令(初めて義務を明確化.義務教育は4年以内とした)

1889年 大日本帝国憲法

1890年 第二次小学校令改正.(義務教育は3年間または4年間

1900年 第三次小学校令(全部改正)(義務教育を4年間に統一)

1907年 小学校令改正.(義務教育期間を6年に拡張)

1941年 国民学校令(義務教育を8年と規定したが最後の2年間(高等科)は戦時下特例で終戦まで実現されず.通学せずとも家庭学習により就学義務が果たされるとの規定はなくなった.)

1947年 学校教育法 (義務教育9年・小中学校となる.)

 

 そして,義務教育が明確化されてから137年たつ.しかし,組織というものは巨大化して伝統となると,もともとの目的の手段に過ぎなかったことを忘れ,組織の拡大自体が目的化する.

 

1890年第二次小学校令で初めて小学校の目的を明示した.

「小学校は児童身体の発達に留意して道徳教育および国民教育の基礎ならびにその生活に必須なる普通の知識・技能を授くることを以て本旨とする」

 

現在有効な学校教育法での小学校の目的は第29条でり,目標は第21条である.

 

第二十九条 小学校は、心身の発達に応じて、義務教育として行われる普通教育のうち基礎的なものを施すことを目的とする。

 

第二十一条 義務教育として行われる普通教育は、教育基本法(平成十八年法律第百二十号)第五条第二項に規定する目的を実現するため、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
 学校内外における社会的活動を促進し、自主、自律及び協同の精神、規範意識、公正な判断力並びに公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
 学校内外における自然体験活動を促進し、生命及び自然を尊重する精神並びに環境の保全に寄与する態度を養うこと。
 我が国と郷土の現状と歴史について、正しい理解に導き、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養うとともに、進んで外国の文化の理解を通じて、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
 家族と家庭の役割、生活に必要な衣、食、住、情報、産業その他の事項について基礎的な理解と技能を養うこと。
 読書に親しませ、生活に必要な国語を正しく理解し、使用する基礎的な能力を養うこと。
 生活に必要な数量的な関係を正しく理解し、処理する基礎的な能力を養うこと。
 生活にかかわる自然現象について、観察及び実験を通じて、科学的に理解し、処理する基礎的な能力を養うこと。
 健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養うとともに、運動を通じて体力を養い、心身の調和的発達を図ること。
 生活を明るく豊かにする音楽、美術、文芸その他の芸術について基礎的な理解と技能を養うこと。
 職業についての基礎的な知識と技能、勤労を重んずる態度及び個性に応じて将来の進路を選択する能力を養うこと。

 

 

 上に述べた通り,学校とはそもそもが,産業革命の時代に,ラジオ・テレビもなく,新聞も普及していない時代に,

(日本最古の新聞は1872年学制公布の年.)

・工場労働者と軍人(徴兵制になった)

・国家主導による天皇中心の思想統制

・教員・公務員の雇用確保

のために,30代の森有礼らが欧米から輸入してきたものである.

 

 150年前の組織が,いまだに死なずに動き続けている.工場労働は機械にとってかわられ,国による思想統制はメディアにとってかわられてきた.残るはみっつめの雇用確保である.しかし,これも本当に必要なものか.

 

 学校と言う機構が全員にとって役に立たないとは言わない.

 一部の人にとってはいまだに有効に機能するだろう.でも,一部の人にとっては有害であり,すくなくとも強制されるほど必要性のあるものではない.