ニートの自伝・3 | シケた世の中に毒を盛る底辺の住民たち

シケた世の中に毒を盛る底辺の住民たち

リレー小説したり、らりぴーの自己満足だったり、シラケムードの生活に喝を入れるか泥沼に陥るかは、あなた次第。

果たして、学校へ行かなくなった俺は、外には一歩も出ず、
自ずと、家にいるタローと接するようになった。

タローは、飼い犬だ。
物覚えのつく頃にはもう家にいたから、犬にしては大往生といった年齢だった。

それまで、母親に何度、散歩に連れていけと言われても嫌がり、
あまり撫でてやることも名を呼ぶこともなかった。
俺はタローが苦手だったのだ。

家庭内での優劣をはっきり態度で示し、
無垢な目で人を見つめ、臭い息を吐いて食事をねだる。
そんな潔いまでの狡猾さに、
子どもながら怯えのようなものを抱いていたことは確かだ。

特にタローも小犬の頃は気が弱かったのか、
事あるごとに吠え散らかしていたので、
単に噛まれたりしないか怖かったのもある。

特にその頃、まー君に裏切られたような気持ちでいっぱいだった俺には、
言葉を持たない犬でさえ、信用できないでいた。

学校に行くとまー君に会わなければならないし、他に友達もいない。
まして新しい友達を作ろうなどと思うはずもなく、
勉学への意欲はとうに失っており、
色々な感情や悪い妄想が頭の中を交錯して、
こめかみをドクドクと伝う血流の異常な速さが、
頭痛に似た痛みを伴って俺を苦しめ続けた。


いろんな嘘や言い訳をしながら学校を休むようになると、
母親から遠回しに、学校で嫌なことがあったかなかったか、など
詮索されるようになったが、
あくまで平然と、「鉄分が足りないみたい。」などと言い、
立ち眩みしたような演技をし続けていた。

そんな子どもの様子がおかしいことを母親はもちろん見抜いてはいたようだが、
無理に家から連れ出すようなことはせず、静観の態を貫いていた。

父親にも相談していたようだが、
のどかな片田舎に長年暮らしてきた温和な家庭しか知らない両親にとって、
俺のような、社会からはみ出しかかった異端児を軌道修正する術は、
到底なかったのだろう。

そのうち、家にいることが当たり前になり、
母親が買い物などで出掛ける際、タローの面倒を見させられることが増えてきた。

老犬のタローは、一度、庭へ出てしまうと家への入り方が分からなくなるらしく、
ご飯の時間になると、家の中でエサを食べるのだが、
入れずに軒下でくんくん鳴くのだ。
サッシをカラッと開けてやると、勢いよく家に走り込み、
俺の足元で回り出す。
それが面白くて、何度も助けてやっているうちに、
タローの俺に対する態度が変わってきた。


学校へ行かなくなって1ヶ月が経ったある日、
久しぶりにピアノを弾いてみようと思いたった。
暗くなる気持ちをどうしていいか分からず、
何をするでもなく過ごしていた俺にもまだ、
その頃はそんな前向きな感情が残されていたのだ。

何となく、ドナドナを弾き始めた。
自分で自分をいじめるように、暗く物悲しい曲を黙々と弾いた。
楽譜がなかったので途中で手を止めたが、その手の先、ピアノの真下に、
タローが佇んでいるのが目に入った。

タローは、売られ行く仔牛たちを見届けるように、
前を向き、じっと動かず、ただ荒い息を吐いていた。
心なしか、観客がいてくれている安心感が湧き、
俺は再び同じメロディーを奏で始めた。

小学生の頃、ピアノ教室へ行っても、母親が側にいないと何度となくミスをし、
不安感からか、泣き出してしまうことも多かった。
横に立っていてくれているだけで、随分となめらかに手が動いたものだった。

今、タローが同じ役目を果たしてくれている。犬でも家族なんだ。
「よし、今日はタローと遊んでやるか」
苦手なものに立ち向かう、いや、調和する、努力をする気になっていた。
そんなことを考えながら弾くドナドナは、先程までの印象とは
遥かに違った曲に聴こえた。


足の先に硬いものが当たった、その時までは。