ニートの自伝・1 | シケた世の中に毒を盛る底辺の住民たち

シケた世の中に毒を盛る底辺の住民たち

リレー小説したり、らりぴーの自己満足だったり、シラケムードの生活に喝を入れるか泥沼に陥るかは、あなた次第。

これは、俺の自伝だ。
この世に生を受けてからの38年間、全ての出来事、考え、思い、あらゆることを、ここに記す。
自伝なんてたいしたものにならないのかもしれない。
ただ、周りの誰もが諦めている、俺がニートから脱却するまでの軌跡を、何らかの形で残したいだけだ。
もしかしたら、一生ニートのまま、この自伝を延々と続けなければならない可能性もある。
その時は、その時だ。ニート日記として楽しんでもらうのも手だろう。
俺は、この自伝を書き始めることによって、自分を試す旅に出ようとしている。
名も知らない誰かが、その勇気だけでも、世界のどこかで讃えてくれるなら、成功と言えよう。

世界には、他にも俺と同じ状況で苦しんでるやつも、いるだろう。
いや、もしかしたら、好んでニートを続けているやつもいるかもしれない。
俺は、どちらかと言うと、劣等感や背徳感、 後ろめたさを感じながら日々生きている方だ。
決して、好んでニートを続けてきたわけではない。
ただ、この場を借りて懺悔したり、自分がニートであることを悔やむつもりもない。
ただ、自己表現したいだけだ。
親の金で飯を食い、ネットを使い、買い物をし、世間では中年と言われる年齢にまで育ってきた、
そんな俺が、たまりにたまった自我を発散させられる場所は、やはりネットしかないのだ。

また、前置きが長くなった。
人に誤解されたくなくてあれこれ説明したくなる性分なので、これからも大目に見てやってほしい。

それではまず、俺の少年時代のことから思い返すとする。


福井県の東尋坊近くの小さな町で産声をあげた俺は、笑助と名付けられた。
人を笑って助けてやれるような、おおらかで器の大きい人間になってほしかったのだろう。
そんな両親の期待とは裏腹に、俺は、人見知りが激しく、笑うことも少ない、人を助ける勇気もないような少年だった。

小学校低学年の頃は、学校の登下校でさえも親がいないと泣き出し、授業中も、母親手作りのターザンを模した布のキーホルダーを握り締めて離さなかった。
確か、その頃小学生に大人気のアニメキャラクターだったように記憶しているが、その半裸の男を俺はあまり好きではなかった。

俺が好きだったのは、他のアニメに出てくるシンタローという不甲斐ないキャラクターだった。
おかげで、ひらがなより早くカタカナを覚えたのだ。
世間的には不人気なキャラだったようで、シンタローのぬいぐるみはどうしても見つからず、いつもおもちゃ屋さんで泣き怒りしていた。
喜んだり笑ったりする以外の喜怒哀楽は、激しかったように思う。

唯一の習い事として、放課後にピアノ教室へ通っていたことが今でも不思議だが、
それももちろん、母親についてきてもらっていた。
ト短調の暗い曲が好きで、発表会のお題だった魔女の宅急便を気に入り、熱心に練習したところ、
なんと、入賞することができた。

今思えば、俺の人生で一番輝いていた瞬間だった。
その時も、心配した母親が、舞台に立つ前、指にシロツメクサのリングをはめてくれたのだ。
それがあったから、安心して弾くことができたのだろう。

そんな俺には当然、友達などほとんどできなかったが、たった1人、親友と呼べる友人がいた。

それが、まー君だ。


まー君は、近所の団地に住む、4人家族の長男で、確か年の離れたお姉さんがいた。
そのせいか甘ったれで弱虫で、まー君といる時だけが、この俺が珍しく、リーダーシップを発揮できる時間だった。

極度の人見知りで、知らない人に話しかけられるとすぐ母親の後ろに隠れてしまうような少年だった俺が、
まー君と仲良くなったきっかけは、ひょんなことから、俺がまー君の秘密を知ってしまったからだった。


ある日、近所の公園で一人、アリを探していた俺は、椿の植え込みの陰で、葉っぱでお尻を懸命に拭いている少年に出くわした。
普段なら絶対に自分から話しかけたりしない俺が、思わず、
「何で、お尻拭いてるの?」
と聞くと、その少年は、静かに泣きじゃくり始めたのだ。
最初は戸惑った俺だったが、少年の汚れたパンツを見て、黙って自分の家から替えのパンツを持ってきてやった。

それが俺とまー君の出会いだ。

お尻を拭いた葉っぱを土で埋め、汚れたパンツを公園の水道で洗わせ、親に気付かれないよう家の洗濯機に放り込むよう指示した。

一仕事終えたまー君に笑顔がこぼれると、俺は、本当に生まれて初めて、心の底から大笑いした。
笑って人助け、できたような気がしたからだ。

それが確か2年生の春だったから、それから小学校卒業までの5年間は平穏な日々が続いた。

人見知りは相変わらずだったが、親がいなくても泣かなくなった。
そしてピアノは、特技と言えるほど上達していった。


そのまま、大人になっていれば、なんて思うこともある。
でも、過去を悔やんでもしょうがない。
それは、この何十年間、常に思い知らされてきたことだった。


いよいよ、一番思い返したくない部分まで、俺の記憶を遡ってきてしまった。
ただ、この部分を語らずして、今の俺までたどり着くことはできない。
腹をくくろう。


今の俺の土台を形成したのは、中学に入ってすぐの、ある事件がキッカケだった。