江戸最初 山手七福神を歩く ①ダイジェスト版 | jinjinのブログ

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江戸最初 元祖山手七福神を歩く (ダイジェスト版)        2022-01-08

 

昨年末とこのお正月、「江戸最初 元祖山手七福神」を歩いてきました。

今回はダイジェスト版・・・ゆくゆくそれぞれのお寺・七福神をレポートしたいと思います。

◉お正月の七福神歩きは「大雪」の日・・・風情はありましたがちょい難義しました。

写真は雪の七福神の日のもの、プラス昨年末及び以前に撮影したものを含みます。

 

■江戸最初元祖山手七福神

山手七福神は安永4年(1775)以前に開設されていると思われ、「江戸最初」を名乗っています。

「山手」と言う意味では、「新宿山ノ手七福神」という七福神もあり、混同を避けるため「元祖」が付けられ「元祖山手七福神」となったようです。

 

 

◉江戸城の裏鬼門にあたり、将軍が鷹狩の際に参拝した目黒不動堂(目黒瀧泉寺)参道道筋に祀られた七福神。ほぼ一直線のルートです。

 

 

①毘沙門天 = 覚林寺

②布袋尊   = 瑞聖寺

③福禄寿・寿老人 = 妙円寺

④大黒天   = 大円寺

⑤弁財天   = 蟠龍寺

⑥恵比寿神 = 瀧泉寺(目黒不動)

 

◉山手七福神の巡り方

七福神・・・すべてがお寺・・・谷中七福神と同じですね。

◈白金から回り始めると・・・無病息災・長寿祈願

◈不動前(目黒)から回ると・・・商売繁盛祈願 ・・・ といわれているそうです。

ご時世からいっても・・・今回は白金高輪発コースとしました。

 

■最正山覚林寺(清正公) =日蓮宗=   毘沙門天を祀ります。

 

 

◉覚林寺は、桜田通りと目黒通りが分岐する地点(目黒通りの起点)にあります。 山門は桜田通りに面しています。

 

 

◉創建:寛永8年、可観院日延上人により開創されました。

◈開創日延上人は、加藤清正が文禄の役で朝鮮に出征した際連れ帰った人で、李朝14代王宣祖の庶長子であった臨海君の子であったといわれています。

 

清正公によって養育され、成人して出家、30歳で安房誕生寺の十八世住持となりました。

(誕生寺:日蓮聖人の生家に創建された寺院)

 

◉弘化2年大火にあいましたが、山門は安政3年(1856)、清正公堂は慶応元年(1865)再建されています。

 

<本堂:ご本尊は釈迦牟尼仏>

 

◈日蓮宗ではご本尊として、三宝尊、十界大曼荼羅をご本尊とする寺院が多いと思われるのですが、覚林寺は「釈迦如来」をご本尊としています。

 

<清正公堂>

 

◈清正公堂は権現造の建物で、清正公の位牌や像が祀られており、「白金の清正公(せいしょこ)様」と通称され古くから人々の信仰と崇敬を集めてきたといいます。

◈権現造とは、拝殿・幣殿・本殿が一つの建物内に収められる建築様式です。

 

<毘沙門堂>

 

◈覚林寺毘沙門天

山手七福神に祀られるようになったのは昭和59年。それまでは近隣の「立行寺」の毘沙門天が山手七福神として祀られていました。 「立行寺」は大久保彦左衛門、一心太助のお墓のあるお寺です。

 

 

◉毘沙門天は寅の年・寅の月・寅の日・寅の刻に生まれたといわれており、今年は寅年、最も毘沙門天と御縁の深い年になります。

令和4年は48年に一度しか訪れない「元日が寅の日」となる特別な年だそうです。

 

■紫雲山瑞聖寺 =黄檗宗系単立=  布袋尊を祀ります。

 

 

◉瑞聖寺は、黄檗宗として江戸では最も最初に創建された寺院です。

◉創建:寛文10年、開山は隠元和尚の高弟であった「木庵性瑫(もくあんしょうとう)禅師」。

 

◉開創木庵禅師:中国明の高僧で、日本黄檗宗始祖「隠元隆琦」禅師の招きにより来日、江戸に来て四代将軍家綱の帰依を受け、広大な寺域を下賜され「瑞聖寺」を創建しました。

江戸名所図会を見てみますと、広い寺領にいくつかの伽藍をもち、各伽藍が回廊で繋がれており、まさに禅宗寺院らしい特徴をもった構造となっています。

 

 

◉現在の山門(表門):目黒通りから少し奥まったところにあります(かつてはこちら側が裏門でした。)

 

 

<大雄宝殿>

 

大雄宝殿前に月台(げったい=石を敷き詰めた舞台、法要を行う際の基壇)、二重屋根(裳階と言われる)、眠らぬ魚をイメージした魚梆、独特な丸窓など、まさに黄檗宗方式、宇治萬福寺と同様な建築となっています。 

 

「布袋尊」は、江戸時代には「天王殿」に祀られていたそうですが、現在は「天王殿」はないため、大雄宝殿に祀られています。

 

<ご本尊「釈迦牟尼仏」と阿難陀・摩訶迦葉像> 

 

<山手七福神:布袋尊>

 

 

■誠瀧山妙円寺  =日蓮宗=  福禄寿と寿老人を祀ります。

 

 

◉創建:足利義輝の近臣・瀧本弾正忠光が、義輝より足利尊氏の念持仏と伝わる妙見大菩薩像を拝領、その子「瀧本采女」が元和元年(1615)自邸に妙見菩薩を奉安して寺院として開山、妙応寺と号しました。  瀧本采女は瀧本院日忍と称しています。

◈延宝6年、東漸院日存により現在地に移転したとのこと。

◈昭和20年の空襲で小堂を焼失、昭和29年、妙円堂と本堂は再建されました。

 

<本堂>

 

<妙見堂>

 

◉江戸名所図会にも白銀妙見堂として「妙円寺」の紹介があります。

 

 

◈崖上亀の口から流れ落ちている小瀑は「妙見の滝」といわれていたようです。

◈江戸名所図会に曰く「妙見大菩薩は足利将軍尊氏公の念持仏といへり」と紹介があります。

 

◉日蓮宗では法華経や法華経を信仰する行者の守護神として様々な神様を祀っていますが、妙見菩薩はその代表的な一神で、北極星または北斗七星が神格化された神様です。

 

◉妙見菩薩インドに発祥した菩薩信仰が、中国で道教の北極星・北斗七星信仰と習合し、仏教の天部の一つとして日本に伝来した神。名称は菩薩でありながら、実質は大黒天や毘沙門天・弁財天らと同じ天部に分類されます。

◉像容:妙見信仰には星宿信仰に道教、密教、陰陽道などの要素が混交しており、像容も一定していません。妙円寺の妙見さまも、堂内は撮影禁止で、ネットにも紹介画像はありませんので、像容を伺うことはできません。

 

◉妙円寺福禄寿と寿老人(ネット画像からお借りしました)

 

 

写真左手が寿老人。 右手が福禄寿、両手で宝珠を捧げ持つお姿となっています。

真ん中が「妙見様」。 北極星を神格化した妙見菩薩を南極老人星の化身、福禄寿と寿老人が囲んでいる形となっているのがユニークです。

 

■松林山大円寺 =天台宗=   大黒天を祀ります。

 

 

◉創建:元和年間に湯殿山の修験僧・大海法印が祈願道場を開いたのが始まりと伝わります。

この坂は修験僧行人派の本山となり、寺前の急坂は行人坂とよばれるようになったとか。

◉明和9年、江戸三大大火の一つといわれる行人坂の大火がおこりました。 真秀という破壊僧による放火ではありましたが、大円寺が火元となってしまったため、大円寺は長い間再建が許されませんでした。

ようやく嘉永元年(1848)、薩摩藩主島津斉興の帰依を得、薩摩藩の菩提寺となることで再建されました。

 

◉江戸名所図会にも・・・大円寺そのものはなく、石仏群だけが描かれています。

 

 

<本堂>

 

◉ご本尊は清凉寺式といわれる「生身の釈迦如来」立像、国の重要文化財に指定されており本堂横の釈迦堂に安置されています。

 

 

◈釈迦堂には天海大僧正が比叡山の三面大黒天を勧請したと伝わる「三面大黒天」もあわせて奉安されていますが、釈迦堂の奥、釈迦如来の左手の厨子内に奉安されていました。

(釈迦堂は普段は閉じられていますのでご注意を)

 

◉江戸最初山手七福神の大黒天「開運招福大黒天」は本堂に奉安されています。

薩摩藩により寄進されたという、徳川家康そっくりと言われる大黒天です。

 

 

◉明暦の大火後、再建が許されなかった嘉永元年までの間、大円寺の仏像は大円寺の下方にあった明王院に移されました。 明治に入り明王院が立ち行かなくなり廃寺になると、逆に明王院の諸仏は大円寺に移されたとのこと。

 

◉阿弥陀堂

本堂の右手に「阿弥陀堂」があります。

明王院も天台宗のお寺で、ご本尊は阿弥陀如来であったとのことです(江戸名所図会)。

 

 

阿弥陀堂の右手横に「八百屋お七と𠮷三」の説明板と西運上人の念仏行の碑があります。 今回は割愛、別途レポート致します。

 

 

◉阿弥陀堂をガラス越しに除いてみますと阿弥陀三尊像を拝観することができます。

阿弥陀如来の前にお七地蔵が奉安されているのが確認できました。

 

 

◉大円寺にはこのほかにも目を引く文化財がありますが、当記事では割愛します。

 

 

■霊雲山称明院蟠龍寺  =浄土宗=  弁財天を祀ります

 

 

◉創建:明王院付近にあったという称明院を宝永6年(1709)霊雲上人が現在地に移し寺号を改称したと伝わります。 一時は律院といって、お坊さんの勉強のためのお寺でもありました。

 

◉本堂へと歩いていくと、石段があり、昇った横に谷中七福神より古いという根拠の石碑・・・があります。 安永4年(1775)未年正月吉日と掘られ、基盤部に山手七福神とあります。

これが「江戸最初」の根拠となっているようです。

 

 

◉本堂

ご本尊は阿弥陀如来。平安時代~鎌倉時代の作とのことです。

 

 

◉江戸名所図会には、「蟠龍寺 窟(いわや)弁天」祠として紹介されています。

 

 

江戸名所図会には本堂へと登る石段の手前に丈六の仏像が見えます。

この仏像・阿弥陀如来ですが、明治維新後フランスへと持ち出され、現在はパリのチェルヌスキー美術館に鎮座しています。

 

◉本堂の右手に岩窟の祠があり石像の弁財天が奉安されています。

 

<本堂横の弁天堂に鎮座の弁天様>

 

■泰叡山瀧泉寺 =天台宗= 恵比寿神を祀ります。

◉創建:開創は慈覚大師。 平安時代(808)、若き慈覚大師円仁が、広智阿闍梨に伴われ、下野国から比叡山に向かう途中この地に立ち寄り、霊夢に面色青黒く、右手に降魔の剣を提げ、左手に縛の縄を持った恐ろしい形相をした神人が枕もとに立ち、『我、この地に迹を垂れ、魔を伏し、国を鎮めんと思うなり。来って我を渇仰せん者には、諸々の願ひを成就させん』と告げた。

*慈覚大師はその尊容を彫刻して尊像を安置したそれが龍泉寺の創りという

*関東最古の不動霊場として、熊本の木原不動尊、千葉成田不動尊と日本三大不動の一つとか

 

<本堂の裏に大日如来>

 

◈この銅造り大日如来様は法界定印をむすんでおり、胎蔵界の如来様ですね。

 

 

<目黒不動仁王門>

 

◉三福堂に「弁財天」「大黒天」「恵比寿様」の3神が祀られています。

元々は弁天堂だったそうで、恵比寿様・大黒天は居候・・・といった感じでしょうか

 

 

 

<山手七福神 恵比寿神>

 

◉これでダイジェスト版は完結です。

後日・・・それぞれのお寺について記事にしたいと思います。

 

 

ありがとうございました

今年もよろしくお願い致します。