鎌倉金沢街道をゆく =報國寺=  | jinjinのブログ

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鎌倉金沢街道を歩く =報國寺=

 

 

■報国寺  =臨済宗 鎌倉臨済十位=

鎌倉随一の竹のお寺・・・2000本の竹が気持ちよく整備され生い茂っています。

 

 

山門…薬医門という。平成19年に再建されました。

 

 

山門を入り参道を歩いて行くと、参道脇に石造りの御仏が並んでいます。

 

 

 

 

 

●本堂です

 

 

報国寺創建:報國寺の開山は仏乗禅師、建武元年(1334)と伝わります。

円覚寺開山の「無学祖元」に師事し、後中国へ渡った高僧です。

開基は『足利家時=足利尊氏のおじいさんにあたる人』となっていますが、家時が亡くなったのは1284年といいますから、実際には上杉重兼(宅間上杉始祖)が家時を供養する目的で創建したのではないか…ともいわれています。

 

◈足利家時は八幡太郎義家の7代目の子孫にあたります。 父は足利頼氏、母は上杉重房の娘という。

上杉重兼…この付近、鎌倉市浄明寺を本拠としており、家時と関係の深かった重兼が家時を供養したのだろうと言われています。

 

報國寺は「竹のお寺」…一年を通じて2000本の孟宗竹の美しさと力強さを堪能できます。

◈休耕庵…報國寺開山「仏乗禅師」はここに庵を建て、修行したという。

ここでは「お抹茶」を頂き、しばしゆったりと竹を楽しめます…なのですが、混んでいる時は…あまりゆったりできません。後ろの人に席を譲ります。

 

 

 

 

建武元年(1333)鎌倉北条氏が滅亡、後醍醐天皇による建武の中興がなりましたが、建武3年には足利尊氏が室町幕府を樹立し「南北朝時代」となります。

足利尊氏は、ゆかりの地鎌倉に四男の「足利基氏」を置いて鎌倉公方としますが、第4代鎌倉公方足利持氏が「永享の乱」を起こし、敗れた持氏は自害、その嫡子義久は報国寺で割腹します。

報國寺は鎌倉公方終焉の土地、哀しい歴史を持つお寺でもあるんですね。

ここ報國寺に足利氏鎌倉公方一族の墓(やぐら=横穴式墳墓)があります。

 

 

庭園がきれいなお寺で、心が安らぎますね。