このエピソードの前編はこちら→(☆)
突然
長文のメールが届きました。
送り主はNorikoさんではありませんでした。
そのメールは
Norikoさん夫婦が通っていた
指圧師のMさんからでした。
「突然のメール失礼します…」
Mさんは自分が誰かを説明したあと
Norikoさんが突然倒れ
ICUに入っていて危険な状態で
助かる確率が50%。
旦那さんも
精神的に弱っていること
体の患部の箇所など
状況を詳しく伝えてくれました。
私はその時
旦那さんの状況も気になったので
彼に電話をしましたが
祈る他
どうすることもできない状態でした。
Norikoさんが元気になって
もう一度お茶目なNorikoさんと話がしたい
ただただ、そう願いました。
☆
それから1ヶ月ほどして
奇跡的にNorikoさんは回復し
自分でご飯を食べたり
身の回りのことを
できるくらいになったと
Mさんから報告がありホッとしました。
その報告から3ヶ月後。
私は完全に日本へ帰国することを決心して
置いてあった荷物を片付けに
ニューヨークへ戻りました。
実は私はニューヨークへ戻るつもり
で日本に帰国していたので
置いていた荷物がありました。
5月のニューヨーク。
心地よい木漏れ日の中
広い病院の敷地内を歩いて
たどり着いた病室で
少し痩せたNorikoさんと再会し
私の願いは叶いました。
お土産にスリッパを渡すと
「ありがとう。履きますよ」
と力一杯嬉しそうに微笑んだ彼女。
少し弱々しい印象もあったけれど
私には元気に見えました。
☆
日本に戻り2ヶ月ほど経った頃
またMさんからメールが届きました。
しばらくぶりに
Norikoさんに面会に行ったら
リハビリもできていなくて
寝たきりの状態になっていて
弱りきっていたという内容でした。
それに加え
医療費がものすごく高く
払えないこと
旦那さんも心身ともに
弱っていたことなど
様々な問題に
Mさんは必死に援助を考えて
サポートしてくれていました。
私はそのメール以降
元気になってほしい
という祈りはしませんでした。
Norikoさんと旦那さんにとって
一番幸せな状態を願いました。
☆
それから数ヶ月後に届いた
Mさんからの最後のメールは
Norikoさんが
その生涯を終えたという
今までで一番短いメールでした。
Norikoさんの言葉と一緒に
胸にこみ上げてきた
熱い気みたいなものは
悲しいという感情ではなく
この世の人生おつかれさまでした
という思いでした。
いくつになっても
新しいことにチャレンジして
できるようになりたい!という
強い意志と行動を
見せてくれたNorikoさん。
できないと決めつけないで
やってみる
覚悟を決めたから
腹を決めたから
そんな半生を
送れたのかもしれません。
アメリカでは
日本のように歳を気にすることが
あまりなく
なんでもトライする人も多いのですが
いくつになっても
できないと決めつけないで
やってみる
それができるにつながるのです。
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