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突然
長文のメールが届きました
 

送り主はNorikoさんではありませんでした。

 

 

 

そのメールは

Norikoさん夫婦が通っていた
指圧師のMさんからでした。


「突然のメール失礼します…」
Mさんは自分が誰かを説明したあと

Norikoさんが突然倒れ
ICUに入っていて危険な状態で


助かる確率が50%。
旦那さんも

精神的に弱っていること

体の患部の箇所など
状況を詳しく伝えてくれました。


私はその時
旦那さんの状況も気になったので
彼に電話をしましたが
祈る他

どうすることもできない状態でした。

Norikoさんが元気になって
もう一度お茶目なNorikoさんと話がしたい

ただただ、そう願いました。

 

 

 


それから1ヶ月ほどして
奇跡的にNorikoさんは回復

 

自分でご飯を食べたり

身の回りのことを

できるくらいになったと

Mさんから報告がありホッとしました。


その報告から3ヶ月後。

 

私は完全に日本へ帰国することを決心して
置いてあった荷物を片付けに
ニューヨークへ戻りました。

実は私はニューヨークへ戻るつもり
で日本に帰国していたので
置いていた荷物がありました。


5月のニューヨーク。

 



心地よい木漏れ日の中
広い病院の敷地内を歩いて
たどり着いた病室で

少し痩せたNorikoさんと再会し
私の願いは叶いました

お土産にスリッパを渡すと
「ありがとう。履きますよ」
と力一杯嬉しそうに微笑んだ彼女。

少し弱々しい印象もあったけれど
私には元気に見えました。

 

 

 

日本に戻り2ヶ月ほど経った頃
またMさんからメールが届きました。

しばらくぶりに

Norikoさんに面会に行ったら

 

リハビリもできていなくて

寝たきりの状態になっていて
弱りきっていた
という内容でした。

それに加え
医療費がものすごく高く

払えないこと


旦那さんも心身ともに

弱っていたことなど

様々な問題に
Mさんは必死に援助を考えて
サポートしてくれていました。

私はそのメール以降
元気になってほしい
という祈りはしませんでした。

Norikoさんと旦那さんにとって

一番幸せな状態を願いました。
 

 

 

 

それから数ヶ月後に届いた
Mさんからの最後のメールは

Norikoさんが

その生涯を終えたという
今までで一番短いメールでした。

 





... 本当に覚悟のいることだったのよ。

 


Norikoさんの言葉と一緒に
胸にこみ上げてきた

熱い気みたいなものは

悲しいという感情ではなく
この世の人生おつかれさまでした
という思いでした。

 

 



いくつになっても
新しいことにチャレンジ
して

できるようになりたい!という
強い意志と行動
見せてくれたNorikoさん。


できないと決めつけないで
やってみる


覚悟を決めたから
腹を決めたから

そんな半生を

送れたのかもしれません。

 

 

アメリカでは

日本のように歳を気にすることが

あまりなく

なんでもトライする人も多いのですが

 

いくつになっても

できないと決めつけないで
やってみる

 

それができるにつながるのです。