月見橋を渡り、後楽園から岡山城へ向かいます。
豊臣秀吉の指導を受けながら宇喜多秀家が築城した岡山城は
漆黒で塗られた下見板の天守閣の外観を鳥(カラス)に例えて
鳥城(うじょう)とも呼ばれています。
月見櫓(つきみやぐら)
岡山城本丸跡に現存する唯一の櫓で重要文化財に指定されています。
城外からは2階建てに見えますが、実際は3階建て。
城側の窓は大きく開くようになっていて、城主が月見を楽しんだと言われています
本段に上がる入口として防備を高めた大型の城門、
不明門(あかずのもん)をくぐります。
※江戸時代、藩主の移動は天守閣近くにあった渡り廊下で行われ
この門は限られた人しか入れず、普段閉ざされていた事により不明門の名があります。
城内は地下1階から6階まであり
様々な展示資料と共に岡山城にまつわる歴史を知る事が出来ます。
5階の窓からは、金の鯱を至近距離で見る事が出来ますよ。
6階の展望スペースでは、岡山の街や後楽園を見渡せます。
宇喜多秀家は関ケ原の戦いに敗れた後、島津家を頼り
大隅(鹿児島)の牛根郷(垂水市)に隠れ住み、その後八丈島に流された。。
12月に鹿児島の大隅半島や垂水市(たるみずし)を訪れたので
地名でイメージが湧くのってちょっと嬉しいなと思いました。
それにしても、八丈島で50年もの歳月を過ごし
84歳まで長生きしたとは・・・
豪姫の実家の生活物資の支えも大きかったのでしょうね。
でも、秀家と2人の息子たちは豪姫と2度と会う事が出来ず
どんなに寂しかったことでしょう。切ないですね。。。。
そう言えば、金沢に行った時に豪姫の住居跡にも訪れたよねと。
あの時は、歩いていたら偶然見つけたのですが
このような形で繋がりを感じられたり
歴史を知り、理解を深められるのも
旅の面白いところだな~とつくづく思います。
おまけ
お手洗いの鏡が烏城彫でステキでした