患者目線から見た看護師 | つねにコーチであるために

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昨日、人間ドックで毎回ピックアップされる脂質異常の再検査を受けに病院へ行ってきた。

 

かかりつけと呼べるほどの病院があるわけではない。なので、ドックを受けた病院(のグループ?)で再検査を受けることにした。

 

面倒臭がり屋なので、ドックを受診した病院から追跡の確認(再検査した?という)があったときに、休暇予定が決まっていたのでそのまま予約したのだ。

 

看護コーチのトレーナーや看護師のコーチをしている関係で、看護師の知り合いは多く、一緒に学び続けているので、さも自分が看護師であるかのような気持ちになっているけど、冷静に考えると、ボクは看護師ではない。

 

だけど、看護師(看護コーチ?)とはどうあるべきかということに触れる機会が多いので、すっかり看護師目線になってしまっているような気がするので、今回は患者目線から見た看護師について書いてみたい。

 

まず、病院の受付に行くと感じるのは、受付で応対してくれる方々の表情に笑顔が少ないことだ。

 

患者が多く、忙しくて気持ちに余裕がないのだろうけど、もう少しなんとかならないものだろうか。

 

そして、病院と言えば「待ち時間」である。

 

今回は、13:30に予約を入れていたにもかかわらず、診察室に呼ばれたのは14:45であった。

これも、なんとかならないのだろうか😓

 

ディズニーランドのようにファストパスを出せとは言わないけど、改善の余地はあると思う。

 

前置きが長くなったけど、看護師について感じたことを書こう。

 

まず感じるのは「隔たり」「距離感」である。

 

病院側の人と患者側の人という隔たりだったり、距離感だったりを感じてしまう。

 

患者としては、いつ呼ばれるのだろうとドキドキしながら待っているのに、看護師の方々は自分の業務をこなさなければならないので、スタスタと大勢の患者さんたちの目の前を通過して行く。

 

我々患者は陳列されているもののように捉えているのだろうか。

 

実のところ、そうではないことは知っているけど、待合ベンチに座って順番を待っていると、そう感じざるを得ない。

 

一人一人と対話しながら通過することなどあり得ないだろうけど、ここでも工夫の余地があるのではないだろうか🤔

 

患者さんの待ち時間は対話するチャンスなので、その病院に看護コーチがいるなら、待ち時間の間にコーチングセッションを提供することも可能だろう。

 

次に感じるのは、「応対のそっけなさ」「手続き感」「流れ作業っぽさ」である。

 

大量の患者さんを平等に効率良く応対しなければならない事情はよくわかる。

 

だけど、必要最小限の対話で済むようにしている感じが伝わってくる。

 

もちろん、こちらから何か問い掛ければ、懇切丁寧に教えてくれるけど、訊かなければ多くを語らないというか、そっけない会話のみで終わってしまう。

 

大変だとは思うけど、個別対応として、何か一言添える(たとえば、現在の待ち時間を伝えてもらったり、iMessageなどをもらえる)と、お互いの雰囲気や待合ベンチで過ごす気持ちが変わると思う。

 

さらに感じたのは、「看護師の高齢化」である。

 

勤務のシフトにもよるのだと思われるが、看護師不足が叫ばれて久しく、シルバーナース(プラチナナース?)を登用する機会が増えているのだろう。

 

特に支障がある訳ではないけど、医療機器(システム?)が進化し、新しいシステムの中でまごついている姿を見ると、環境の変化に人間がついて行けていない感じが滲み出ている。

 

今後はAIが人間の生活の場に入り込んでくるので、この違和感はますます増えるのかもしれないけど、そもそもシステムは人の弱い部分をサポートしてくれるように作るべきであるので、プラチナナースが宇宙服のようなハイテクスーツを見に纏って看護するのもアリだと思う🤓

 

余談であるが、先日行った𠮷野家では、フロア席の配膳にロボを使っていた🤖

 

以上が患者目線で看護師を眺めて感じたことだ。

 

今後の看護コーチトレーニングに役立てられたらいいなぁ〜