(季氏第十六)
伯夷(はくい)、叔斉(しゅくせい)は首陽(しゅよう)の下(もと)に餓(う)う。民(たみ)今(いま)に到(いた)るまで之(これ)を称す。其(そ)れ斯(これ)を之(こ)れ謂(い)うか。
【訳】
「伯夷と叔斉の兄弟は、周を逃れてふもと首陽山の麓におり、わらびを食べ、餓えて遂に死んだが、民は今に至るまでこの兄弟を褒め称えている。この詩はこのことを言ったのであろうか」
<論語が醸すコーチング>
【民今に到るまで之を称す】人々が今に至るまで褒め称えるのは、財を積むより徳を積むことなので、コーチはクライアントが財を積むことに走っていると感じたら、根底にある思いや価値を問いかけて、徳とのつながりを意識できるようサポートしている。